第126話 変な私
家に帰ってきた。私はまだ、ぼけっとしてた。リビングに上がると、凪はお昼寝中。
「お父さん、ありがとうございました」
そう言うと、聖君のお父さんはにこりと微笑んだ。
「麻里ちゃんも来たんですか?」
「うん、お昼寝しそうだったから、さっき連れて帰ったよ。それより、どうだった?聖」
「……」
私が目をうっとりさせたのがわかったらしい。
「あ、その目見ただけでわかった。あはは。わかりやすいね、桃子ちゃん」
聖君は、すぐにエプロンを付け、お店の手伝いを始めていた。
「桃子ちゃん、ゆっくりしてていいよ?凪ちゃんも寝ちゃったし、ここで俺、仕事させてもらってるからさ」
お父さんがそう言ってくれた。
「じゃあ、お店手伝ってもいいですか?」
「いいけど。そんなに今、混んでないよ?あ、でも、スコーンがなくなりそうだってくるみ言ってたなあ」
「じゃ、スコーン作ってきます」
私はいそいそとお店に行った。ああ、黒いエプロンを付け、聖君が爽やかにお客さんのオーダーを聞いている。
か、かっこい~~~~~。
ダメだ。私、かなり変になっている。顔がにやけるのを抑え、キッチンに入った。
「スコーン作ります」
「桃子ちゃん、助かるわ」
お母さんにそう言われ、私もエプロンをして手を洗った。そこに聖君がオーダーを通しに戻ってきた。
「ケーキセット二つ。両方ホットで」
「は~~い」
お母さんが答えた。ホールのテーブルを拭いた紗枝さんも戻ってきた。
「2次会、聖君が歌うの?楽しみだなあ」
紗枝さんがそう言った。
「なんで知ってるの?」
「お母さんが、今日練習に行ってるって教えてくれたの」
「なんだ。黙っておいて、びっくりさせようと思ったのに」
「誰を?」
「みんなを」
「え~~。でも、確かに。いきなり聖君が歌いだしたら驚くかも。私も聞いて驚いたの。聖君が歌うなんて知らなかったから」
「え、そっか。みんな、知らないか。それもそうだね。文化祭でちょっと歌っただけだし」
「桃子ちゃんは今日、見てきたんでしょ?どうだった?聖君」
紗枝さんがキッチンに顔を出して私に聞いてきた。
「え?」
「聖君、どうだった?」
か~~~。あ。いけない。顔が一気に火照った。
「桃子ちゃん?顔赤いよ。どうしたの?」
紗枝さんが不思議がった。でも、あの聖君を見たら、紗枝さんも目がハートになるはず。って、そうか!私だけじゃなくって、たくさんの女性が射抜かれちゃうかもしれないんだ。わあ。大変!
「桃子ちゃん?」
「紗枝ちゃん。ごめん。桃子ちゃんね、ちょっと変になってるから、気にしないで」
「変って?」
「ちょっとどこか、よその世界に行ってるみたい」
「え?どういうこと?」
「……まあ、ほっておいてあげて?」
聖君はそう言うと、苦笑いをしながらホールの方に行ってしまった。
紗枝さんはまだ、私の横にいた。
「もしかして、聖君がかっこよすぎて、とか?」
「当たりです」
「…まあ、なんとなく想像つくけど。そんなに聖君、かっこよかったんだ」
「2次会、どうしよう。聖君に惚れちゃう人、また増えちゃうかも」
「え~~。でも、知った顔ばっかりなんだし、平気だよ」
「そうだけど」
そういう紗枝さんだって、やばいかも。それから、ああ、そうだ。絵梨さんも来るんだ。また、思い切り訳のわかんない妄想膨らませるかも!
「なんか、プロダクションの人が来てて、聖君をデビューさせるとか息巻いてたんですよ、今日」
私はつい、そんなことを紗枝さんに言っていた。
「え?デビューするの?」
紗枝さんが思いきり驚いてそう聞いてきた。
「しません。断ったから。それに、デビューなんかしたら、手の届かない人になっちゃうし」
「え~~~。あははは。桃子ちゃん、それ、本気で言ってるの?聖君はデビューしようが、桃子ちゃんの旦那さんじゃない」
「え?」
「一番手の届く距離にいるじゃない。面白いなあ、桃子ちゃんって」
あ、そうか。デビューしたって、私、奥さんなんだなあ。って、デビューなんかしないんだから、そんなことで悩まなくてもいいんだけどさ。
そして、スコーンも作り終わり、私はリビングに戻った。本当はまだ、お店にいたかった。ホールで爽やかに笑っている聖君に、何度もハートを射抜かれ、もっともっと聖君を見ていたいと思いつつ、リビングから凪のぐずった声が聞こえてきて、私はリビングに戻ったのだ。
凪はお腹を空かせていた。
「おっぱい、上であげてきます」
そうお父さんに行って、凪を連れ、聖君の部屋に入った。
「凪、パパねえ、かっこよかったんだよ」
私はそんなことを凪に話しながら、おっぱいをあげていた。すると、軽やかに階段を上ってくる音がした。あ、あの足音、聖君だ。休憩に入ったんだ。どうしよう。まだ、おっぱいあげているのに。
「桃子ちゃん、あ、まだおっぱいあげてたんだ」
ドアを開け、爽やかな笑顔とともに、聖君が入ってきた。
うわ~~~。なんだか、照れる。
「どうしたの?なんで後ろ向いたの?桃子ちゃん」
「ちょ、ちょっと恥ずかしくて」
「何が?」
「おっぱいあげているのが」
「は?」
聖君は隣に座って、私の顔を覗き込んだ。それから、凪の顔を見て、
「あ、思い切り吸い付いてるね。そろそろ、離乳食でもよくない?」
と言ってきた。
「あ、そっか。もうそんな月齢だよね?」
と言いつつ、私はドキドキしていた。なんだって、聖君が隣に座ってきただけでときめいているんだか。
「離乳食作り、俺、してもいい?」
「うん」
「本、買っておいたんだよねえ。確か、この辺に置いておいたはず」
そう言いながら聖君は、本棚の前に立った。その後ろ姿を見ても、はあってため息が出る。
「あった。これこれ。可愛い食器も買っておいたし、楽しみだなあ。ね?凪。早速明日作ってみる?」
またそう言いながら、聖君は私の隣に座った。
「う、うん」
「何作ろうかなあ」
聖君はそう言うと、しばらく本に夢中になり始めた。その間に凪は、おっぱいを飲み終え、私はそそくさと服を直した。
「あ、飲み終わった?」
「うん」
「あ、服直しちゃった?」
「うん」
?なんで?
「なんだ。凪の次は俺が甘えようと思ってたのに」
「へ?!」
「ちぇ」
ちぇって。だ、ダメだ。いつもなら、そんな言葉もすんなり受け止められるけど、今日はやけに恥ずかしい。
「桃子ちゃん、真っ赤だけど?」
「あ、り、離乳食だけど、どうしようか。凪、りんごジュースとか好きだし、果物は食べられるかな」
「ああ、離乳食ね。でも、まずお粥とか?それか、味噌汁とか…」
「……」
本を見ている聖君の横顔を見た。それから、本のページをめくる手。聖君の指って、細くて綺麗だよね。爪の形まで綺麗。
「はあ」
あ、いけない。思わずため息。
「どうしたの?疲れてるの?」
「え?ううん」
「顔赤いのってまさか、熱?」
聖君がおでこを私のおでこにくっつけてきた。うわ!うわ~~~。なんだか、照れる!
「熱いけど…。やっぱ、熱…」
「違うの。今、ドキドキしちゃって」
「なんで?」
「だって、おでこくっつけてきたから」
「うん。だから、なんでドキドキ?」
「え?だって、聖君が」
「うん」
聖君がきょとんとした顔で私を見ている。その顔、可愛すぎてまた、ドキドキが~~。
「私、変かも!」
「うん。俺もそう思う」
「聖君が…」
「うん」
「かっこよすぎるし、可愛すぎるし、ドキドキしっぱなしで」
「………」
あ、聖君、また惚れすぎって言って、抱きしめてくる?ますます私、ドキドキしちゃう。
「……」
してこないなあ。なんだか、呆れ顔のままだ。
「やっぱり、熱ある?桃子ちゃん」
え~~~。なんでわかってくれないのかな。また、聖君に惚れちゃったの!
「もう、いい」
「え?何が?」
「聖君に言っても、わかってもらえそうもないから」
「え?何を?」
「だ、だから、また聖君に惚れちゃったって」
「あ。ああ。練習見てて?え?それでいまだに、ドキドキ?」
「うん」
「……面白い、桃子ちゃんって」
面白がられた。
「ギュ~~~~」
うわ~~~。後ろから抱きしめられた。
「きゃわわ」
「きゃわわ?」
「心臓、ドキドキ~~~」
「え?まじで?」
「うん!」
「あはははは。面白すぎる~~。もっと抱きしめちゃお!」
「ダメ。心臓破裂する」
「嘘?まじで?じゃ、押し倒しちゃお!」
「も、もう~~。面白がらないで!」
「もう手遅れ。俺、その気になっちゃった」
「え?」
「だって、桃子ちゃん、可愛いんだもん。襲いたくなっちゃった」
「だだだ、ダメ」
「なんで?」
「心臓が」
「持たないの?それ、何年前に言ったセリフ?」
「本当なの!」
「あはは」
聖君は笑ってから、キスをしてきた。うわ。それも、思い切りとろけそうなキス。
「あ~~~、う~~~」
「い、いてて」
凪が、聖君の髪を引っ張った。
「痛いよ、凪。あ、まさか、パパがママをいじめてるとでも思った?」
「あ~~~~」
「こらこら。凪までママの上に乗っからなくてもいいの」
「う~~~」
「なんだよ、まさか、仲間に入れろってこと?」
凪はどんどん私の上に乗っかろうとしている。
「わかった。はいはい。凪も一緒に遊ぼうね?」
聖君はそう言って、私の上から下りると凪をひょいと抱っこした。そして、凪の脇を掴んで、体を左右に揺らして遊んであげている。
「きゃきゃきゃきゃ」
「凪、フリフリダンス~~。次はジェットコースター」
今度は凪のお腹を抑え、高くしたり低くしたりしている。凪は大喜びだ。
「次は?何がいい?お姫様。王子様と踊る?」
そう言うと、くるりくるりと回りだした。凪はまた大ウケだ。
いいなあ。凪。お姫様なんだ。そして、聖君は王子様。じゃ、私は?私も聖君のお姫様がいいんだけどなあ。
ああ、それにしても、聖君の笑顔、可愛い。うっとり。
「あ、また目、ハートになってるよ、ママ」
聖君が私を見てそう言うと、
「見て、凪。ママ、またパパに惚れちゃったんだって。ほんと、何回惚れたら気が済むのかね?」
と、凪に言っている。
酷い。気が済むってなによ、それ。
「ま、パパも何回もママに惚れちゃってるから、お互い様かあ」
「え?本当に?」
「うん。多分、綿帽子の桃子ちゃんにも、ドレス着た桃子ちゃんにも、俺惚れそう…」
「そ、そうか」
まだ、タキシード姿や、紋付袴姿、見てないんだ。また、私惚れちゃうんだ。
「きゃ~~」
「何?どうしたの?桃子ちゃん」
「タキシードと、紋付袴。どうしよう。きっとかっこよすぎるよね?」
「俺?」
「うん!」
「…………。ごめん。さすがの俺も、今日の桃子ちゃんにはついていけません」
聖君はそう言って、何かをこそこそと凪に耳打ちしてる。ママったら変だよねって言っているのかもしれない。
でも、しょうがないじゃん。こんなに好きになってるんだから!
「ねえ、桃子ちゃん。心臓が持たないから、抱かれるのは無理なんて言い出さないよね?」
「い、言い出すかも」
「ええ?!それだけは勘弁して」
「でも」
「…ま、いいや。そう言っても俺、狼に変身しちゃうから」
「え?」
「それに、あれだ。桃子ちゃん、キスすると抵抗しなくなっちゃうし」
うわ。そ、そんなこと言われちゃった。
「だから、いくらでも…」
「え?」
「ううん。なんでもない」
聖君はそう言って、ほんのちょっとにやついた。
あ、あの顔は、ときめかないぞ。でも、ニヤついた顔も、可愛いと思ってしまう私が怖い。