第119話 仲のいい夫婦
翌日、やすくんがやってくる日、杏樹ちゃんは、朝から顔を赤くして、ドキドキしていたようだった。ああ、でも、その気持ち、すっごくよくわかる!
「お姉ちゃん、私、変じゃない?」
杏樹ちゃんは、新しく買った可愛いTシャツを着ている。裾がひらっとしていて、それに思い切り短いショートパンツを履いている。
すらっと伸びたその足は、私でもドキッてするくらいかっこよくって羨ましい。それにTシャツはかなり胸元が開いていて、下にはタンクトップを着ているけど、それでも胸元が見えそうなくらいだ。杏樹ちゃんはそんなに胸が目立たないとはいえ、やっぱり女の私が見てもドキッとする。
なんだか、ここ最近の杏樹ちゃんは一気に大人びてきた気がする。体型が女らしくなったって言うのかなあ。前よりも痩せた気がするし。
「杏樹ちゃん、ダイエットとかしてる?」
「ううん。なんで?」
「痩せたんじゃない?」
「ううん。体重は変わんないよ。でも背が伸びた」
ああ、そう言えば。見上げるようになったもんね。そこも羨ましいなあ。
「足長いし、かっこいいよね」
「ええ?私が?ウエストのくびれもないし、こんな女らしくない体型してるのに」
「そんなことないよ。かっこいいよ」
私がそう言っても、杏樹ちゃんは、本気にしないで苦笑いしながら、
「いいよ~。そんなにお世辞言わないでも」
と言っている。
そこに、聖君のお父さんとやすくんが来た。やすくんが駅に着いたと連絡をしてきて、お父さんが車で迎えに行っていたのだ。
杏樹ちゃんも迎えに行けばいいのに、恥ずかしがって行かなかったのだ。
「いらっしゃい!」
おばあさんとお母さんが出迎えた。やすくんは、ちょっとはにかみながら、お店の中に入ってきた。
「あ、どうも。お世話になります」
「杏樹ちゃんの彼?かっこいいじゃない」
春香さんがそう言って、やすくんに近づいた。
「え?!」
やすくんは、思い切り動揺したようだ。
「春香。彼って言っても最近付き合いだしたばっかりなんだよ?あんまりひやかすなって言っておいただろ?」
聖君のお父さんがそう春香さんに言ってから、
「なあ?困っちゃうよな?」
とやすくんに目配せした。
「あ、は、はい」
やすくん、真っ赤だ。そんなやすくんを杏樹ちゃんも恥ずかしそうに赤くなりながら見ている。
ああ。なんて初々しいカップルなんだ。それに比べて、私ときたら、すっかり海に旦那さんをとられている。
聖君は朝早くから、海に櫂さんとサーフィンをしに行っているんだよね。あ、おじいさんも一緒だ。
ほんと、おじいさんも聖君も元気だよね。それに、ものすごく気が合ってるよね。私が聖君を放っておいたっていじけてたけど、放っておかれているのは私の方だと思うよ。
やすくんと杏樹ちゃんは、2人して照れ合っている。その二人をお父さんがテーブル席に座らせ、そこにお母さんが飲み物を運んだ。
「やすくん、午後杏樹と海に行って来たら?」
「え?はい。あ、あれ?聖さんは?」
「サーフィンしに行ってるよ」
杏樹ちゃんがそう答えると、
「わ。いいな。サーフィン」
とやすくんは目を輝かせた。
「あ、午後はシュノーケル借りて、潜るか?やすくん」
お父さんがそう提案すると、またやすくんは目を輝かせ、
「はいっ」
と嬉しそうに答えた。
「桃子ちゃんはどうする?凪ちゃん連れて一緒に行くかい?」
「いえ。凪には日差しが強すぎるから、お店にいます」
「空も私も家にいるから、聖は連れて行って。もうすぐ櫂はお店もあるし戻ってくると思う。そのあときっと、行きたがると思うんだよねえ」
横からそう春香さんが言ってきた。
え?っていうことは、聖君、午後も海に取られちゃうの?
「そうだな。聖も素潜りしたがっていたもんな」
お父さんまでがそう言いだした。がっくりだ。
案の定、サーフィンを終えて帰ってきた聖君は、やすくんから、
「午後はシュノーケリングしませんか?」
と聞かれ、ものすごく嬉しそうに、
「おお!行こうぜ」
と目をきらきらさせた。
でも、それよりも何よりも、サーフィンをしに行って、なんで女の人が一緒に帰ってくるかなあ。
「櫂さんの甥っ子になるの~?」
ああ、櫂さんの知り合いかあ。
「サーフィンの質あるのに、サーフィンよりも潜る方がいいんだってね?」
誰?髪がショートで、真っ黒に日焼けした、20代前半くらいの女の人。
「マキちゃん、気に入っちゃった?でも聖は駄目よ」
春香さんがそう言うと、
「駄目?年下だから?ねえ、聖君。年上の女性には興味ないの?」
と、聖君の肩に手を当てながら聞いた。
うわわ!やめて。勝手に触らないで。
「う…。う…」
あ、また凪がぐずりだした。やばい。泣きそう。
「うぎゃぴ~~~~!!」
やっぱり。
私の腕の中で、ご機嫌でいたのにいきなり泣き出しちゃったよ。
「凪?」
聖君がすかさずこっちにやってきた。
「また、泣いちゃった…」
「ああ、桃子ちゃん。妬いてた?今」
「う…うん」
「凪、大丈夫だよ。パパ、ママ以外の女性、興味ないし、安心して」
そう言いながら、聖君は凪を抱っこした。
「え?何?もしかして、聖が他の女性と仲よさそうにすると泣くの?」
「パパを取られたくないから?」
お父さんと、春香さんが面白がって聞いてきた。
「いや。多分、桃子ちゃんが妬いてると、それに反応して泣くみたい。ママと以心伝心みたいなところがあるんじゃないのかな」
ああ。聖君がばらしてくれたよ。恥ずかしい。
「ね、ねえ。その子って、まさかとは思うけど、聖君の子供…?」
「え?うん。そうだけど?」
マキさんって女性が聖君に聞いてくると、聖君はあっさりとそう答えた。
「ぎゃぴ~~~」
「ああ、凪。違うんだよ。パパ、浮気してるわけじゃないから」
聖君はそう言いながら、凪をあやしている。
「じゃ、じゃあ、そっちの人は聖君の奥さん?」
「…はい」
私は何気に聖君に寄り添い、小さくうなづいた。
「し、信じられない。だって、聖君、まだ19歳って言ってなかった?」
「うん。去年結婚したんだ」
「…うそ」
マキさんの顔、青い。その顔を見て、凪がだんだんと落ち着いていった。
そして、マキさんが、
「あの、私午後バイトがあるんで、もう帰ります。それじゃ」
とお店を出て行くと、すっかり凪は機嫌をよくしてしまった。
「あ~~~。う~~~」
そう言いながら、聖君の顔をぺちぺちしている。
「凪、ママのライバルが帰って行ったから、機嫌直った?」
聖君がそう聞くと、凪はにっこりと微笑んだ。
「本当だ。ママのライバルを退散させてるんだ、凪ちゃん。すご~~~い」
春香さんが、びっくりしながらそう凪に言った。春香さんの腕の中では空君までが、ご機嫌でいる。
「凪ちゃん、末恐ろしいな。こりゃ、聖は絶対に浮気できないね」
櫂さんがそう言うと、
「あのね。浮気なんてする気、まったくないから。櫂さんとは違うんだよ」
と聖君は口を尖らせて答えた。
「俺?なんで俺が浮気?」
「だって、さっきのマキさんって人、櫂さんがいるから声かけて来たんじゃないの?」
「まさか。お前目当てだろ?こんなおじさんには興味ないさ」
「でも、櫂さん、女性の知り合い多いじゃん」
「みんな、店の客だよ。俺が浮気するわけないじゃん。春香怖いもん。ね?」
櫂さんはそう言うと、春香さんの横に行って、春香さんの顔を覗き込んだ。
「ええ?もしかして櫂、浮気したいの?」
「いや。したくありません。奥さんだけで十分です」
櫂さんがそう言って、春香さんの頭を撫でた。わあ。春香さんと櫂さんも、仲いいんだなあ。そんな二人の間で、空君は嬉しそうだ。
聖君は、凪を抱っこして、まだあやしている。凪はきゃたきゃたと声をあげ笑っている。
「凪ちゃん、元気ですね。さっき、泣いちゃってびっくりしちゃったけど」
やすくんがそう言って、聖君に近寄った。すると凪は、やすくんに手を伸ばした。
「まさか凪、やすに抱っこしてもらいたいとか?」
聖君がそう言いつつ、やすくんから凪を遠ざけようとすると、凪は、
「あ~~~」
ともっとやすくんのほうに手を伸ばした。
「久しぶりに会えたから、嬉しいんじゃない?やすくんに抱っこしてもらったら?」
聖君のお母さんがそう言うと、聖君は、しぶしぶやすくんに凪を預けた。
「凪ちゃん、ちょっと見ない間に大きくなった?重くなった?」
やすくんがそう言うと、凪は嬉しそうにやすくんの顔をぺちぺちした。
最近、この凪のぺちぺちは、一種の愛情表現なんじゃないかと思えてきた。そういえば、空君にもしていたよねえ。
「俺、こっちにいる間、凪ちゃんのお守りしてますから、桃子さん、十分羽伸ばしていいですよ」
「え?いいよ。ここには、凪の世話係のクロが2匹もいるし、やすくんも杏樹ちゃんと海に行ったりして楽しんでよ」
私がそう言うと、やすくんは一瞬杏樹ちゃんを見て、顔を赤らめた。
「午後は、海に行くんでしょ?」
「はい」
「楽しんで来てね。今、勉強に追われてる時期でしょ?しっかり骨休みして」
そう私が言うと、やすくんははにかみながらうなづいた。
でも、その後ろで、聖君が不機嫌な顔をしている。凪も杏樹ちゃんも取られて嬉しくないのかなあ。
凪を抱っこしたまま、やすくんは杏樹ちゃんとテーブルにつき、何やら楽しく話を始めた。その時、聖君がキッチンにいる私の横にいつの間にかやってきた。
「桃子ちゃん」
「え?」
「なんでやすにはあんなに優しいの?」
「へ?」
「あんなに優しい言葉、なんでかけてあげてんの?」
「?」
「俺には最近、そういう言葉も何にもないけど」
「え?え?そうだった?」
「……」
うそ。聖君が不機嫌そうな顔をしていたのは、そのせい?
「でも、聖君、最近海潜ったり泳いだり、今日だってサーフィンしてすごく楽しそうで、私が何か言葉かけなんてする必要もなさそうだったよ?」
どっちかって言うと、私がしてほしいくらいだったよ。
「………」
「聖君?」
「凪がいるから、仕方ないんだけどね。でも俺、いっつも桃子ちゃんと一緒だったらもっと楽しいだろうなって、そう思ってるよ?」
「え?」
「海潜るのも、泳ぐのも」
「うそだ。私のことなんて、忘れてるくせに」
「まさか!」
「……」
本当かなあ。でも、今、かなり真剣な目つきをしているけど。
「桃子ちゃんのこと、忘れるわけないじゃん」
そうかなあ。海に魅了されてる時は、私のことまで忘れている気がするけど。
「俺、たまにあれだもん」
「え?」
「海綺麗だね、桃子ちゃん、とか言っちゃってて、父さんに笑われてるもん」
「?」
「隣に桃子ちゃんがいないのに、とっさにそんなこと言ってるんだ。父さんが、お前っていっつも桃子ちゃんと一緒にいる気になってるんだなって笑ってた」
「そ、そうなの?」
「そんだけ、いっつも桃子ちゃんのこと考えてるの?って、そうも言われた」
わ~。本当に?そうだったら、ものすごく嬉しい。
「桃子ちゃんのほうこそ、俺のこと忘れてるときない?」
「ない」
「…すげ、即答」
「だって、ないもん」
「そっか」
聖君の顔が一気ににやけた。
「午後、一緒に行きたい。凪、母さんとばあちゃんに預けて行かない?」
「…うん。素潜りって、怖そうだし、やめておく」
「なんで?泳げるようになったのに」
「でも、海はまだ苦手」
「…俺がいるのに?」
「ごめん」
「……そうか」
あ、一気に顔が沈み込んだ。わかりやすいなあ、聖君って。
「じゃ、早めに帰ってくるよ」
「いいよ。十分に楽しんで。だって、聖君、この前合宿だって行けなかったんだし、いつもなかなか海に行けないじゃない?こっちにいる間は綺麗な伊豆の海、満喫してよ」
「……」
あ、聖君の顔付きがまた変わった。と思ったら、抱きついてきた。
「え?」
うわ。いくら今、キッチンに誰もいないって言っても、いつ誰が来るか。
「桃子ちゅわん。大好き!」
「う、うん。私も。でも、もう離れて」
「なんで?」
「誰か来たら恥ずかしいよ」
「大丈夫だよ。身内しかいないし、俺らがバカップルなのは全員知ってるから」
でもでもでも!
「あ、バカップル。こんなところでまで、いちゃついてた」
ほら!見られた!って、お父さんか。
「……だから父さん。バカップルって呼ぶのはやめてくれない?」
「だって、バカップルじゃん。それより、どいてくれない?俺、アイスコーヒー入れに来たんだけど、奥の冷蔵庫まで行けないじゃん」
「………わかったよ。後で思い切りいちゃつくよ」
げげ。聖君、そんなこと平気で言ってるし。前は照れて言わなかったよね?そんなこと。いったいいつから、そんなことを平気でお父さんに言えるようになったの?
「ああ、そうしてくれ。そうだ。夜花火するってくるみが言ってた。桃子ちゃん、浴衣着たら?」
「え?はい」
「で、そのあと思い切り、いちゃついたら?」
「……」
あ、さすがに聖君、真っ赤になった。
「そ、そんなこと言う父親っている?」
「ここに。あ、くるみも浴衣着るんだ。俺、そのあと酒飲んでくるみとここで、チーク踊るから。邪魔しないでね、聖」
「し、しねえよ。勝手にしろよ、まったく」
聖君はそう言うと、ぶつくさ言いながら、キッチンから出て行った。
「ごめんね?桃子ちゃん、邪魔しちゃって」
「い、い、いえ。全然」
ああ、私はこういう時、どうしていいかわかんないんだから。聖君、置いて行かないでよ。っていうか、私もお店に行ったらいいのか。
なんて、もじもじしていたら、お父さんのほうがさっさとアイスコーヒーをグラスに入れ、お店に行ってしまった。
ほんと、あのお父さんも、おじいさんも、そして櫂さんもだけど、変わっていると思う。なんていうか、この家族はみんな、奥さんといちゃつくことを平気でしちゃえるっていうか。
ああ、だからか。聖君もそんな中で育っているから、平気なのか。でも私はまだ、平気じゃないんだけどな。
それにしても、お酒飲んでチーク?聖君がお父さんはお母さんと、チークダンスとかするんだって言ってたけど、本当にしちゃうんだね。
うっわ~~~。私にはできない。
いや、してみたいっていうのが本音。聖君とチークだなんて、ロマンチックかも。
あ、そうだ!結婚式でみんなでチークダンスとか、いいよね。その時私も、聖君とチークを踊るの。
してみたい。真っ白のタキシードを着た、めちゃかっこいい聖君とチークダンス!
あ、駄目だ。今、想像しただけでクラッときた。
それ、ものすご~~~く、贅沢なことだよね?!
いきなり、結婚式がわくわくしてきた。タキシード姿の聖君。紋付き袴の聖君。聖君とチークダンス。そういえば、籐也君のバンドで、聖君歌うって言ってたよね?ああ、それも楽しみ!
そんな妄想をしていて、私はすっかり目をとろんとさせているところを、しっかりとおばあさんに見られ、笑われてしまった。
「もしかして、聖見て、うっとりしてた?」
「え?え?は、はい。あと、いろいろと妄想して」
「くすくす。ほんと、可愛いわね。でも、私もそういえば、圭介見て、うっとりしていたっけ」
「え?そうなんですか?」
「圭介、爽やかだったし、かっこよかったし。あ、今もだけど」
今もって言えちゃうところがすごい。
「桃子ちゃん見てると、あの頃を思い出すのよね」
「あの頃?」
「出会ってすぐの頃。懐かしいな。江の島の海に行って、クロ追いかけて走ってた圭介」
ああ、クロと走ってる聖君みたいなんだろうなあ。
「おばあさんは、本当におじいさんのことが大好きなんですね」
「……ええ、まあね」
おばあさんは、少し照れた顔をした。
「日記、読みました」
「そうなの?恥ずかしいわね」
「素敵でした。私と聖君もそれに影響を受けて、日記書いていたんです」
「そう」
「……私もずっとずっと、聖君と一緒にいて、今みたいなバカップルでいたいなって思ってます」
「バカップルで?くすくす。そうね、聖とだったら、ずうっとバカップルでいられそうよね」
おばあさんは、そう言って優しい顔で微笑んだ。
ああ、優しいな。私はおばあさんの笑顔、大好きなんだ。この優しい笑顔でいつも、おじいさんのことを見つめてるの。本当におじいさんが大好きで、大事なんだろうなって感じるんだよね。
まりんぶるーは今日も、あったかくって優しい空気に包まれていた。