第117話 空君と凪
波打ち際に聖君は凪を抱っこして座り、凪を砂に触らせたり、海の水に触らせたりした。その横では櫂さんが、空君を抱っこしてしゃがんでいる。
空君は砂にも海の水にも触ろうとせず、櫂さんの胸にしがみついたままだ。
凪はというと、砂にも海水にも興味があるようで、寄せては返す波も、目を丸くして見ている。
「凪、面白い?」
聖君は目を輝かせながら、凪にそう言って、凪のほっぺにキスをしている。
「ねえ、あの人かっこいいよね」
私はちょっと離れたところから、聖君と凪を眺めていた。すると後ろから、そう言う声が聞こえてきた。振り返ってみると、高校生か、大学生の女の子が2人。聖君のことを指差している。
「うん。かっこいい。私もさっきから気になってたの」
「声かけちゃう?」
「え?でも、なんだか赤ちゃん連れてるよ」
「妹か、親戚の子じゃない?いいじゃん。あの人かなりイケてるもん。声かけてみようよ」
2人はそんなことを言いつつ、聖君のほうに向かって歩いて行った。
「あら、逆ナン?」
春香さんが私にだけ聞こえるくらいの声で、私の横に来てそう言った。
「こんにちは」
あ、本当に声かけてる!
「どこから来られたんですか?私たちは東京から来たんですけど」
うわ。思い切り聖君の横に座って話し出したよ?ど、どうするの?聖君。
「え?俺?」
聖君は、その子たちのほうを見た。でも、その時突然凪が、
「ギャピ~~~~!」
と泣き出した。
「凪?どうした?」
「凪ちゃん、目に砂でも入ったのかな?」
聖君と櫂さんが、慌てて凪の顔を覗き込んでいる。
「あら、大変」
私と春香さんも、凪のほうに向かって急いで歩いて行った。
「凪?大丈夫か?」
「ウギャピ~~~~!」
うわ。どうしちゃったの?凪!
「凪?どうしたの?」
私が凪の横に行くと、凪は私のことをちょっと見た。でも、聖君の胸にすがりついて泣いたままだ。
凪の泣き声に驚いたのか、空君までがぐずりだした。
「とにかく、向こうに戻るか」
櫂さんがそう言って立ち上がり、砂浜を歩きだした。
「凪、ごめんね?パパがちょっと目を離したすきに、砂のついた手で目をこすっちゃったのかな」
そんなことを言いながら、聖君も立ち上がった。するとその横で女の子が、
「え?パパ?」
と驚いていた。だけど、聖君はそんなの無視して、
「桃子ちゃん。凪の顔を拭いてあげるタオルある?」
と私に聞いてきた。
「うん、あるよ」
「凪、ママに抱っこしてもらう?パパ、タオル水でぬらしてくるから」
「あ、私がぬらしてくるよ」
「いいよ。思い切り走って行くから。カバンの中に入ってる?」
そう言いながら、聖君は私に凪のことを抱っこさせようとした。
でも、凪、聖君から離れるかなあ。と思っていると、凪は女の子二人のほうをちらっと見て、それから私に手を伸ばしてきた。
「凪、ママのところにくるの?」
そう聞くと、凪はヒックヒックと泣きながら、私の胸に顔をうずめてくる。
「ま、ママだって」
「え?じゃあ、何?親子なわけ?」
大学生くらいの女の子二人はそう言いながら、呆然と私たちを見ている。そんな二人をまた凪が、チラッと見た。
私は凪を抱っこしながら、シートに戻った。そしてシートに座って凪の顔を見てみると、あれ?おしゃぶりをしながら、すっかり落ち着いちゃってるよ?
「凪、タオルぬらしてきた。顏あげて見せて?」
聖君は私の横にしゃがみこみ、凪の顔を覗き込んだ。
「あれ?泣き止んだ。もう大丈夫なの?凪」
凪はおじゃぶりをしたまま、今度は聖君の顔を見た。そして聖君のほうに手を伸ばす。
「パパに抱っこされたいの?」
聖君はそう言って、凪を抱っこした。すると凪はまた、離れたところから私たちを見ている女の子二人のほうを見た。そしてべとっと、聖君にひっついた。
まさか、あの大学生らしき女の子二人に、聖君を取られたくなかったから泣いたとか…。なわけないよね?
まだ、そんな思考能力、備わっていないよねえ?
9時半を回ると、かなり太陽が照りつけてきた。
「そろそろ帰ろう。これ以上いたら、凪ちゃんも空もひからびちゃうよ」
そんな冗談を言いながら、櫂さんが荷物をまとめだした。
結局、私は聖君と一回だけ海に入っただけで、そのあとは聖君は櫂さんと泳いでいた。空君は春香さんが、凪は私がずっとお守りをしていた。
「春香さんも、泳ぎたかったんじゃないですか?」
「え~~?私はもういいよ。これ以上焼けたら、しみだらけになっちゃうもん」
春香さんはほとんど海に入らず、ずっとTシャツを着たままだった。
「桃子ちゃんも肩赤くなってるけど、大丈夫?帰ったらすぐに冷やしたほうがいいよ?」
「はい。そうします」
「桃子ちゃんは、焼けてもすぐに白くなるの?」
「はい。でも、そばかすとか残りそうで、気を付けないと」
「そっか。色白いもんね。私はお母さんに似て、どんどん黒くなっちゃうからさ~~」
「そうなんですか?」
「うん。お兄ちゃんは色白で、お父さんに似たんだよね」
お兄ちゃんって言うのは、聖君のお父さんのことか。そう言えば、白いかも。
「聖は年中黒いよね」
「そうですよね」
そんな話をしている横で、聖君と櫂さんがどんどん荷物をまとめ、そして私たちはそのまま駐車場に行って車に乗った。
凪はすでにうとうとしている。空君もだ。
「帰ったら2人ともお昼寝だね」
櫂さんがそう言った。車の運転は聖君がしていた。
「あ~~~。いいなあ。こんな綺麗な海をみながらの運転」
「だから、とっとと伊豆に来たらいいんだよ。来いよ、聖」
「俺、まだ大学があるって」
櫂さんの言葉に聖君は苦笑いをした。
お店に戻る頃には、凪と空君は眠ってしまっていた。そっと二人を抱っこしてお店に入り、空君はおじいさんが、凪はおばあさんが抱っこして、2階の和室に連れて行ってくれた。
私たちは、シャワーを浴び着替えをして、それから春香さんと一緒に空と凪を見に行った。2人は仲良く並んで、気持ちよさそうに寝ている。
「今日、お兄ちゃんとくるみさんと杏樹ちゃん来るのよね?」
「はい。あ、そのうち杏樹ちゃんの彼氏も来ます」
「名前なんだっけ?」
「やすくん」
「そうそう。会うの楽しみだわ」
「…知ってたんですか?彼氏も来るって」
「お兄ちゃんからメールで聞いてる。できたてほやほやのカップルだから、みんなでひやかしたり茶化したら駄目だぞって」
そんなメールをお父さんったら送っていたの?
「可愛いカップルなんでしょうねえ」
春香さんはそう言って、目を細めて凪と空君を見て、
「空はいったいどんな恋をするのかなあ」
とつぶやいた。
「凪は彼氏ができたら、大変そうです。聖君が許すかどうか」
「そうね。聖、お父さんに似てうるさそうよね」
「聖君のお父さん、うるさくないですよ?」
「あ、違う。お兄ちゃんじゃなくて。つまり、聖のおじいさんよ」
「あ…」
おじいさんのことか。
「私と櫂が付き合っている時も、本当にうるさかったんだから。お兄ちゃんは何も言わなかったけど、お父さんだけはずっと反対してて、結婚だって、式には出ないって言い張って、そりゃもう大変だったんだから」
「でも今、仲いいですよね?」
「うん。伊豆に来てから一緒にサーフィンしたりして、すっかり仲良し。ほんと、お騒がせな人だって思わない?私のお父さん」
くす。そんなことを言いながら、春香さんは笑った。きっと、本当は大好きなんだろうなあ。
凪はいったい、どんな恋をするのかな。いつ、凪と恋の話をできるようになるんだろう。ちょっと、今からワクワクしちゃうな。
どんな彼氏かな。あ、でも、お父さんがかっこいいから、その辺の男なんてかっこいいと思えないんじゃないの?きっとファザコンになるよね。
なんつって。
バタン!
そんな呑気なことを思っていると、聖君が部屋に入ってきた。
「あ、やっぱり、凪と空、くっついて寝てる」
そう言うと、聖君はそっと凪を空君の横から離した。
「聖、いいじゃないのよ」
春香さんがそう言うと、
「駄目」
と聖君は口を尖らせた。
空君と仲良くなるのは、お許しが出たんじゃなかったの?こりゃ、本当に先が思いやられるかも。
その日の午後、聖君のお父さんから連絡が入り、おじいさんが車で駅まで迎えに行った。おじいさんは、60代だと言うのに、すごく行動的。本当に元気だなって思う。
パッと動けてしまう行動力は、聖君と似ている。おじいさんにきっと聖君は、かなり影響を受けていると思う。
どっちかって言うと聖君のお父さんは、あまり行動的じゃないほうかもしれない。いつも落ち着いていて、おっとりしている感じがする。ただ、聖君も、静かで穏やかな時もあるから、そんなところはお父さんに影響されたのかもしれないよね。
お父さん、お母さん、そして杏樹ちゃんがまりんぶるーに到着すると、お店の中は一気にまたにぎやかになった。
おばあさんも、おじいさんも杏樹ちゃんが来たことを喜び、杏樹ちゃんも2人と話をして盛り上がっている。
凪と空君も、お昼寝から目が覚め、ご機嫌だ。聖君のお父さんが空君を抱っこしても、空君が泣かずににこにこしている。
「空君、お父さんは大丈夫なんですね」
私がそうお父さんに聞くと、
「ああ。春香と何か通じるものを感じるんじゃない?」
とにっこりとしながら答えた。
「空君、凪とも仲良くなったんです。だから、聖君が妬いちゃって」
小声でそう言うと、お父さんはクスッと笑って、
「聖、こんな赤ちゃんでも妬いてるの?しょうがないよね」
としばらくくすくすと笑っていた。
聖君は凪を抱っこして、ご機嫌だ。
「今日の夜は、にぎやかになるね」
と喜んでいる。きっと、聖君もお祭り好きだよね。
そして、聖君が言うように、本当に夜はすっかりにぎやかなパーティになった。昨日の夜もにぎやかだったけど、さらに今日は、みんな親戚同士で気も使わない仲だからか、お酒も進み、大変なにぎやかぶり。
空君と凪も、そのにぎやかさの中にいるせいか、まったく眠りそうもない。目をぱっちりと明け、クロとクロと遊んだり、おじいさん、おばあさんにあやされて笑ったり、すっかりハイテンションだ。
「夜中、泣きそう」
春香さんが私の横に来てそう言った。
「え?空君?」
「そう。興奮した日の夜中って、夜泣きするんだよね」
「そうなんですか」
「凪ちゃんはしないの?夜泣き」
「はい。したことないかも」
「うわ。羨ましいな~~~」
そうか。大変なんだなあ。そういえば、麻里ちゃんは夕方に泣くって言ってたっけ。みんな大変な思いをしながら子育てしてるんだね。
凪はなんだってこんなに、親を困らせることのないいい子に育っているんだろうか。そのうち、夜泣きにてこずるようになったり、大変な時期がやってくるのかなあ。
夜10時近くになり、さすがの凪と空君も眠くなったようだ。
「和室で寝かしつけちゃおう、桃子ちゃん」
と春香さんに言われ、私たちは2階に上がった。そしてあっという間に寝てしまった凪と空君を、布団にそっと寝かせた。
「今日もここに泊まっていこうかな。どうせ、櫂は飲んだくれて、でかいいびきをかいて寝るんだろうし」
え…。でも、聖君がまたすねるかも…。
「空、凪ちゃんの隣だと機嫌いいんだもん。不思議と」
確かに。
空君と凪を、2人で変わりばんこに見ることにして、私と春香さんは順番にシャワーを浴びに行った。聖君はと言うと、みんなとはしゃいでいるからか、凪と私がいないことにも気づかないでいるらしい。
そしてその日も、私は春香さん、凪、空君と一緒に和室で寝ることになった。
夜中、何やらぐずる声。凪?
目をさまし、横を見ると、ぐずっていたのは空君だった。ああ、もしかして夜泣き?
「空だ。やっぱり、泣き出しちゃった」
春香さんも目を覚ました。
ぐずりだした空君を抱っこしようと、春香さんが起きだすと、空君の声がしたからなのか、凪まで目を覚ました。そして横で寝ている空君のほうをじいっと見ている。
あ、空君も凪を見た。あ、凪ったら、空君の顔、ぺちぺちたたいてるよ?空君、もっと泣いちゃうかも。
「うきゃ?」
うわ。凪が思い切り、空君を見て笑った。
「空、泣き止んだわ」
「え?」
本当だ。もっと泣くかと思ったら、空君、凪の笑い顔見て泣き止んだ。それどころか、ちょっと嬉しそうな顔をしている。
そして、空君は凪の顔を見て、おしゃぶりをしながら、安心したようにすうっと目を閉じてしまった。それを見ていた凪も、安心した顔をして目を閉じた。
「あ、寝ちゃった」
一部始終を静かに私と春香さんが見守っていた。
「空、夜泣きしないで寝ちゃったわ。びっくり」
春香さんは息を殺しながらそう言うと、空君の顔をそうっと覗き込んだ。
「…よく寝てる」
「ですね」
「凪ちゃんに感謝だわ。凪ちゃんって、何者?」
「え?」
「空がこんなに安心しきって寝ちゃうなんて、いったい何者?」
「さあ?」
そう言われても。
「それとも、赤ちゃん同士にしかわからない、何か通じるものでもあるのかな。テレパシー?以心伝心?」
「どうなんでしょうね?」
「凪ちゃんって、もしかして名前通り、すごく穏やかなオーラでも発してるんじゃない?」
「え?」
「波風のない状態のことでしょ?凪って」
「あ、はい。そうです」
「その穏やかなオーラを感じて、空も安心して眠れたのかも」
そうなのかな?よくわかんないけど。
「ああ、こうなったら、ずっと凪ちゃん、空のそばにいてくれないかしら。そうしてくれたら、私も櫂も、ものすごく助かっちゃうんだけどなあ」
私はそう言われ、苦笑いをした。もし、そんなことを聖君に言ったら、冗談じゃないと怒りだしそうだ。凪は俺のものだから、他の男のそばになんか置いておかない!とか言って。
だけど、本当に仲睦まじく寝ている凪と空君を見ていると、不思議な感じがした。本当に赤ちゃんでしかわからないような、なにかしらの意思伝達があるのかもしれないなあ。
いや、わからないぞ。聖君に似て、凪はただ単に、楽天家ってだけで、その楽天的なオーラで空君も、楽になっちゃうのかもしれないしね。
将来、凪はいったいどんな女の子になるんだろうか。そして、空君とはこうしてずうっと、仲良しでいるのかなあ。なんて、そんなことを思いつつ、すっかり聖君のことは忘れて私はまた、眠りこけた。