第114話 まりんぶるー
伊豆の家は、本当に大きい。玄関を入ると、大きめのエントランスがあり、そこからそのまま奥へと進むと、カフェがある。カフェは、窓ガラスが大きくてとても明るい。
4人掛けのテーブル席が2つと、2人掛けが3つ。れいんどろっぷすと大きさ的には変わらない気もするが、窓ガラスが大きいのと、天井が高いのと、白木でできているから店全体が明るいせいか、とても広く感じられた。
「凪ちゃんだよ~~」
おじいさんが、お店の奥のテーブル席へと向かって行った。そこには、女の人が赤ちゃんを抱っこして座っていた。その横には髪が金髪で、髭の生えてる見るからにサーファーの男の人も座っている。
「凪ちゃん?初めまして~~!うわ。可愛い~~!」
「春香おばちゃんだよ、凪」
「やめてよ、お父さん!春香お姉さんって呼ばせるんだから」
ああ、春香さんだ。本当におばあさんに似てる。
「それ、無理があるんじゃないのか?だって、凪ちゃんにとったら、お前はおじいさんの妹だから、本当は春香ばあさんだろ?」
そう聖君のおじいさんが言うと、
「そういえば、お父さんなんてひいじいちゃんなんだもんね。笑えるよね」
と春香さんにおじいさんは言われてしまい、おじいさんはいじけている。なんだか面白い親子かも。
「あ~~~」
凪は誰よりも空君に興味を持ったらしい。春香さんの腕の中にいる空君に、手を伸ばしている。
「あ!こら!空。凪に手を出すな」
聖君が慌てて凪のほうに行った。いや、手を出そうとしているのはどう見ても、凪の方だと思うけど。
「あはは。聖、本当に親ばかになっているんだなあ」
そうサーファーの人が大笑いをした。きっと、春香さんの旦那さんの櫂さんだよね。
「それより聖、空に会うのは初めてだろ?お前のいとこになるんだぞ」
「あ、そうか!初のいとこか!」
聖君はおじいさんにそう言われ、空君のほうに両手を伸ばした。多分、抱っこしようとしたんだろう。でも、
「ふ、ふ、ふえ~~~~ん!!」
空君は、顔を春香さんの胸に押し付け、泣いてしまった。
「あ、あれ?もしや人見知り?」
「そうなの。もう始まってるのよ」
「そうなんだ。じゃ、俺、抱っこできない?」
聖君がそう言いながらがっかりしている横で、凪が、
「あ~~う~~~」
と空君に何やら話しかけた。するとなぜか空君は泣き止み、凪のほうを向いた。
「あ~~~」
「……」
「う~~~~」
「……」
話しかける凪を、空君がじっと見ているぞ。
「あ~~~?」
「う~~」
お。空君が返事をして、手を伸ばしてきたぞ。そして凪が、空君に二コリと微笑むと、なんと空君も凪ににこりと微笑んだ。
「お!すごいな、凪ちゃん。泣いてる空を笑わせたぞ」
おじいさんが喜んでそう言った。
「本当だ。空、凪ちゃんには人見知りしないのね。他の赤ちゃんでも、ダメなのに」
春香さんもそう言って笑っている。でもその横で、聖君だけはむっとしている。
「そうだ。春香、桃子ちゃんとは初めて会うんだろ?」
おじいさんがそう言って、私を呼んだ。私はすぐに聖君の隣に行った。
「初めまして、桃子です」
「きゃ~~。可愛い!凪ちゃんに似てる。こりゃ、聖が夢中になるわけだわ!!!」
え…。
「ねえ、聖。桃子ちゃん、本当に可愛いわね。ね?櫂もそう思わない?」
「ああ、思う、思う。聖がベタ惚れなのもうなづけるよ」
「ちょ、なんなんだよ、2人とも」
聖君は顔を赤くしてそう言うと、
「あ、こっちが春香さん。で、こっちが旦那さんの櫂さん。櫂さんはすぐそこで、サーフィンショップをやってるんだ」
と紹介してくれた。
「初めまして、桃子ちゃん。桃子ちゃんもよかったら、サーフィンしないかい?」
「え?む、無理です。海では泳ぐのもできないし」
私は慌てて顔を横に振った。
「そうだ。春香さん。桃子ちゃんにケーキの焼き方教えてあげて。桃子ちゃん、そういうの好きなんだ」
聖君はいきなりそんなことを言った。
「いいわよ。桃子ちゃん、スコーン焼くのも上手なんだって?くるみさんから聞いてるよ」
「い、いえ。そんな…。でも、お料理もケーキ作りも好きだから」
「そっか~。れいんどろっぷすの後継者になるんだもんね。くるみさんも喜ぶわけだよねえ」
そんなことを春香さんが言った。
「空!だから、凪に手を出すなって」
聖君ったら、またそんなことを言っちゃって…。と思って春香さんの腕の中を見たら、あら、本当だ。空君、凪のほうに手を伸ばし、やたらと興味を示している。
それにしても、空君もなんて可愛いんだ。ママ似かなあ。赤ちゃんなのに絶対に鼻、高いだろうなっていうのがわかる。凪とは違う。
赤ちゃんだと言うのになぜか、日に焼けてるし。もしかして、良く外に連れ出しているのかなあ。それとも、聖君のように地黒なのかしら。
それから私と聖君は、2階の部屋に行った。凪はおじいさんが離してくれそうもなく、聖君はおじいさんに凪を任せることにしたらしい。
2階の部屋はこれまた、大きかった。何畳あるかな。8畳くらいかな。それとも10畳あるかな。凪がごろんごろんと寝返りをうってもうっても、どこにもぶつからなさそうだ。
「でかい家だよねえ」
「うん。ペンションみたいでしょ?」
聖君がにっこりと笑ってそう言った。
「洋室の部屋もでかいよ。ベッドが3つ入っても、広々としてるんじゃないかな。ただ、本当にこの部屋もだけど、物が置いてないんだよね」
「ふだんは何に使ってる部屋?」
「何も使っていない部屋。友達だったり、親戚だったりが泊まっているらしいよ」
本当にペンションみたいなんだなあ。
「風呂もデカいよ。余裕で凪とも入れるけど、3人で入る?」
「うん!そうする」
わあ。嬉しいかも!
「凪もいるから、風呂でエッチはできないからね?桃子ちゃん」
「あ、当たり前でしょ!何言ってるの」
そう言うと、聖君はいきなり私を後ろから抱きしめ、
「でも、夜はエッチもできるかも。ね?」
とそう耳元でささやいた。
「し、しないから」
「あれ?伊豆でもいちゃつくって言ってたのは桃子ちゃんだよね?」
「そうだっけ?」
「そう言って、甘えて来たくせに。昨日の夜のことだよ。もう忘れたの?」
覚えてるけど…。
「今日は多分、おとなしくみんなすぐに寝ると思うからさ」
「え?」
「明日父さんと母さんが来たら、お祭り騒ぎになって、夜中まできっとみんなでわいわいやってるかもしれないけどね」
「そうなの?」
「パーティ好きな親戚なんだって、教えたよね?」
「あ、そういえば」
「そうだ。結婚式のことも、みんなと打ち合わせしないとね?」
「うん」
ギュ。聖君は私を思い切り抱きしめ、
「伊豆でも、楽しんじゃおうね」
と可愛い声でそう言って来た。
「うん!私、ものすごくこの家気に入っちゃったよ、聖君。お店も素敵!」
「店の名前、知ってる?」
「あ!知らない」
「教えてなかったよね。平仮名で『まりんぶるー』」
「へえ、平仮名で?」
「あとで店の前にある看板見て。可愛いよ、平仮名で書くと」
「誰が考えたの?れいんどろっぷすも平仮名だよね」
「ばあちゃん。マリンブルーをカタカナや英語でも考えたらしいけど、やっぱ平仮名が可愛いって」
「うん、可愛い!」
そうなんだ。おばあさんが考えているんだ。なんだか本当に素敵なおばあさんだよなあ。
それから、櫂さんは自分のお店に戻り、他のみんなはお店でお昼を食べた。凪と空君は、お店の一番日の当たるところにプレイマットを置き、そこで寝転がって遊んでいた。
凪と空君の横には、クロが2匹。どうやらまりんぶるーのクロもまた、空君のお守り役らしく、クロとクロは静かに2人を見守っていてくれている。
クロはまりんぶるーのクロに久々にご対面して、初めは興奮していた。でも、とても仲がよさそうで、尻尾を振って喜んでいた。
だが、お守り役をするとなったら2匹とも大人しくなっちゃって、さすがだなあと本当に感心しちゃう。
2人の世話は2匹がしてくれるので、私たちはしっかりとお昼を食べることに集中できた。それにしても、おばあさんの料理も最高。どれも本当に美味しい。
「あ~~~!美味かった~~~!満腹~~」
聖君はそう言って、お水をゴクッと飲むと、
「午後、俺泳ぎに行ってもいい?」
と私に聞いてきた。
「うん。私と凪はお留守番してる」
「え?桃子ちゃん、泳がないの?海、超綺麗だよ」
「でも…」
私が躊躇していると、
「明日の朝凪ちゃん連れて3人で行ったら?凪ちゃんも、昼間の日差しより朝のほうがいいと思うわよ、聖。そうしたら私も空も一緒に行くから」
と春香さんが言ってくれた。
「そうか~~。じゃあ、どうしようかな」
「まだ1時だし、水族館でも行って来たら?」
「あ、新しくできたんだよね?」
「イルカもいっぱい見れるし、面白いところよ。聖、絶対に気にいるわよ」
「うん、じゃあ、そうする」
春香さんの提案に乗り、聖君と私、凪の3人で水族館に行くことにした。だが、なぜか凪を聖君が抱っこして空君から引き離そうとすると、空君がぐずってしまい、
「空も一緒に行く?」
と聖君が聞くと、凪も嬉しそうに笑ったので、みんなで行くことになった。
「なんでじいちゃんも行くの?店の手伝いしてりゃいいじゃん」
「店は、パートの人が出てくるからいいの。俺、凪ちゃんと一緒に行きたいもん」
おじいさんも、可愛いよなあ。
車はおじいさんが運転してくれた。8人乗りのバンだ。余裕でみんなで乗れてしまう。いいな、やっぱり。8人乗りのバン。
そしてあっという間に、水族館に到着した。
「すげえ!海のすぐそばじゃん」
「海で泳いでいるイルカと遊べるんだ」
おじいさんが、車から降りて歩きながらそう教えてくれた。
「へえ。そうなんだ」
「自閉症の子を夏休みに受け入れて、イルカと過ごすなんていうこともやってるよ」
「ここで?」
「うん。実際に海でイルカと一緒に泳いだり…。今日も泳いでいるかもなあ。聖、興味あるんじゃないのか?」
「うん。見てみたいな」
「頼んでみるよ。ここの館長さん、友達だから」
「え?そうなの?」
「まりんぶるーの常連客だしね」
「あ、そういうこと」
凪は私が抱っこした。私の横を空君を抱っこしている春香さんが歩いていて、凪と空君はまだ二人であ~う~と話をしている。
なんだか、すっごく仲がいいというか、気が合っているようだ。血が呼んでいるとか?あ、でも、血がつながっているわけじゃないのかな。だって、春香さんと聖君って、血のつながりはないんだもんねえ。
そして私たちは、館内に入って行った。おじいさんは受け付けの人に何やら話をしていて、
「すぐに館長を呼びますので、こちらでお待ちください」
と受付に来たスタッフさんに言われ、私たちはしばらく入り口付近で待っていた。
「綺麗な水族館だね。大きいし」
聖君はきょろきょろと見回しながらそう言った。
「ここはね、ちょっと普通の水族館とは違ってるんだよ」
「え?」
「子供たちに直にいろんな魚に触れさせ、いろいろと教えてる。海のことや、深海のこと、クジラやイルカの生態や…。けっこうその説明も面白いし。聖にとっては、かなり魅力的な場所なんじゃないかなあ」
おじいさんはそう言うと、じっと聖君を見た。
「へえ。そんな水族館ができたんだ」
「ここに来た時、俺は絶対に聖に見せたいって思ったよ」
「………」
聖君はおじいさんの言葉に、黙っていた。黙ってただ、天井を眺めている。
「子供たちに、海のことをいろいろと教えてるのか…」
「うん」
「イルカとも一緒に泳げるのか」
「うん」
「……すげ、興味あるかも」
「ははは。やっぱりね」
おじいさんは、聖君の背中をぽんとたたいた。
「まあ、こっちにいる間、何度も足を運ぶといいさ」
そうおじいさんが言った時、
「お待たせしました」
と館長さんがやってきた。
「今日は孫とひ孫を連れてきましたよ」
「ひ孫さん?え?榎本さん、ひ孫さんがいるんですか?」
「そうなんです。今年生まれまして」
「え?お孫さんですよね?空君は」
「この子ですよ、凪って言います。女の子です」
「え~~!こりゃ驚いたな」
館長さんはそう言って、のけぞった。でもすぐにはははと笑い、
「可愛いひ孫さんだ。じゃあ、こっちのハンサム君が孫の聖君ですか?」
と聞いてきた。
「あ、はい。聖です」
聖君はちょっと驚いた様子でそう答えた。
「おじいさんから話は聞いてるよ。海がすごく好きで、今も海洋学を勉強しているんだって?」
「はい」
おじいさん、聖君の話をしているんだ。へえ…。
「実はね、私も、そして息子も、海洋学を勉強している。特に息子はいろいろとね。きっと君と話が合うと思うよ。あとで、息子の研究所に行くといい」
「研究所?」
「このすぐ近くにある。いつもはそこで働いている。だが今日は、イルカと子供たちが遊ぶのを、サポートするためにこっちに来てると思うよ」
「あ、それ。俺も見てもいいですか?見学してみたくって」
「ああ、いいよ。それが目的でおじいさんは君を連れて来たんだろうし」
館長さんがそう言うと、聖君はおじいさんを見た。おじいさんは、にこりと微笑んだ。
館長さんは、いくつかな。きっと聖君のおじいさんと同じくらいかな。白髪だけど、日に焼けていて体も大きい。
そんな館長さんの横で、聖君は目をキラキラとさせている。きっと、思い切り聖君の興味のあるものに出会ったんだよね。それがひしひしと伝わってくる。
聖君はこの水族館で、聖君の未来と出会った。これから見る世界すべてが、聖君にとってものすごい魅力的なものだった。
私はその時、聖君と凪と伊豆に住むようになることを確信していた。
そして私は、なぜかこの時、ものすごく結婚していたことにほっとしていた。だって、もし結婚していなかったら、すぐに聖君について伊豆に来れたかもわからないし、海に聖君を取られていたかもしれないんだもん。
だけど、結婚して家族を持っていたから、聖君と一緒に伊豆にも来れる。
そんなことを思いながら、キラキラ目を輝かせている聖君を私は見ていた。
私はこれから、どんどん新しい聖君に出会って行くんだ。そんな予感もして、私もドキドキしていた。