第101話 初めての熱
病院が開く時間になり、私と聖君は凪を病院に連れて行った。
聖君は、もう動揺していなかった。それに、いつもなら病院が嫌いで、真っ青になっているのが、今日は落ち着いている。
「凪、苦しくない?」
時々聖君は凪に聞いた。
「だ、大丈夫だよね?」
「桃子ちゃん、大丈夫だよ」
私のほうが動揺していた。熱がどんどんあがったらどうしよう。下がらなかったらどうしよう。このまま、入院なんてことになったら、どうしよう。
病院は混んでいた。そんな中、ようやく凪の名前が呼ばれた。
凪は聖君が抱っこしていた。そして、3人で診察室に入った。
先生は、女の先生でとても優しい表情をしていた。話し口調も柔らかで、
「大丈夫ですよ、お母さん。そんなに心配しないでも」
と私に言ってくれた。
ああ、私、きっと顔に思い切り出ていたんだろうなあ。
診察も終わり、会計も済まし、私たちは家に帰った。
「どうだった?」
お店に入ると、お母さんもお父さんも、心配そうに聞いてきた。
「うん。ただの風邪だったよ」
聖君がそう言うと、2人ともほっとした顔をした。ああ、お父さんもお母さんも、落ち着いて見えたけど、やっぱりすごく心配していたんだ。
「桃子ちゃん、凪、2階に寝かせよう」
「うん」
聖君は凪を抱っこして、2階の和室の布団に寝かせた。そして、
「俺、今日はずっと凪の看病するからさ」
と私のほうを見てそう言った。
「お店の手伝いは?」
「やすと桜さんが夕方から入るから。俺が合宿に行く予定だったから、本当は桜さんだけだったんだけど、やすもシフト入れてるんだ。それに、杏樹もやすがいるから、早くに帰ってきて手伝うと思うし」
「…うん」
「桃子ちゃん?」
まだ私の顔色が悪いのを、聖君は気が付いたようだ。
「私の免疫が弱かったのかな。まだ、半年にもなっていないのに、凪、風邪ひくなんて」
「桃子ちゃんのせいじゃないよ?」
「じゃあ、大学になんて連れて行かなければよかった」
「…そうだなあ。連れ回すのはあまり、よくなかったかなあ」
「そ、そうだよね」
「でも、それは俺が連れて行くって言ったんだから、桃子ちゃんのせいじゃないよ」
聖君は優しくそう言うと、凪のほうを見た。
「凪、今日はずっとそばにいるからね?」
凪は聖君を見た。それから、ぐずりだした。
熱があって苦しいのかな。聖君は凪を抱っこして、
「大丈夫?凪」
と優しく声をかけている。
凪、ごめんね。
聖君は私のせいじゃないって言うけど、やっぱり、母親として失格だって、ついつい自分を責めてしまう。
今日は、聖君と一緒に、ずっと凪のそばにいるからね。
時々、お父さんやお母さんも、和室に顔を出して、
「凪ちゃん、どう?」
と様子を見に来た。
私と聖君は、凪がずっとぐずっているので、交代で抱っこをしたり、すぐに汗でびっしょりになる凪の肌着を着替えさせたりしていた。
そのうちにようやく、凪はうとうとと寝てしまい、布団にそっと聖君は凪を寝かせた。
時計を見ると、もう3時近かった。
「桃子ちゃん、俺、凪のこと見てるから、下でお昼ご飯食べて来ていいよ?」
「でも…」
「桃子ちゃんが戻ってきたら、俺が食べに行くからさ」
「うん…」
私は聖君にそう言われ、下に行った。そしてお店に顔を出すと、
「桃子ちゃん、お昼ご飯まだよね?今作るから、カウンターで食べて」
とお母さんに言われた。お店は、ようやくお客さんも減り、落ち着いたという感じだった。
「桃子ちゃん、どう?凪ちゃんの様子」
「今、寝ています」
「そうか。じゃ、聖も呼んで来よう。その間俺が凪ちゃんはみているから」
お父さんがそう言って、家のほうにあがっていった。
もしかして、お店が混んでいて、お父さんも手伝っていたのかな。
「凪ちゃん、熱出しちゃったんだって?」
絵梨さんが聞いてきた。
「はい…」
「大丈夫なの?」
「……はい」
「聖君、確か、今日からサークルの合宿じゃなかった?」
「そうなんですけど…、凪が、熱があるのに合宿なんて行けないって言って…」
「ふうん」
絵梨さんは、まるで他人事のようにそう相槌を打って、ホールのテーブルの片づけに行ってしまった。
「はあ」
私はカウンターで暗く、溜息をついた。
「桃子ちゃん、そんなに暗くならないで」
あ、お母さんに見られてた。
「はい。お腹空いたでしょ?」
お母さんはそう言って、私のお昼ご飯をカウンターのテーブルに置いてくれた。
「いいえ。あんまり…」
正直に言えば、あんまりどころか、まったく食欲はなかった。
「でも、ちゃんと食べないと駄目よ?お母さんまで具合悪くなったら、凪ちゃんの看病できなくなっちゃうんだから」
「はい」
お母さんは、私の顔を覗き込んできた。
「気持ち、わかるけどね?私も聖が初めて熱を出したとき、どうしようって、かなり動揺しちゃったし」
「え?そうなんですか?」
「うん。でも、お母さん…、あ、聖のおばあちゃんがね、赤ちゃんは熱を出しやすいし、大丈夫よって、そう言ってくれたの」
「…やっぱり、みんな子供が熱を出すと、慌てたり、焦ったりするんですね」
「そりゃそうよ。初めての子だし、どうしていいかわかんないし」
「……聖君、なんだか、しっかりしてました。最初は焦ってたみたいだけど」
「ああ、そうね。きっと桃子ちゃんが動揺していたから、自分はしっかりしないとって思ったのかもね」
「…」
そうか…。
「でもね、だんだんとお母さんのほうが強くなっていくから」
「え?」
「桃子ちゃんも、強くなるから、大丈夫よ」
「……はい」
お母さんに励まされ、少しだけ元気が出た。それから、夜もずうっと寝ずに看病するかもしれないんだし、しっかり食べておこうと気持ちを切り替え、私はご飯を食べだした。
そこに聖君がやってきた。
「母さん、悪い。俺の昼飯も作ってくれる?」
「わかったわ。カウンターに座ってて」
聖君は、私の隣に座った。
「凪は?」
「寝てる。父さんがみててくれてるから」
「そう…」
「ちゃんと食べておかないとね?親がぶっ倒れてたら、凪のこと看病できないもんね?」
「うん」
聖君は、お母さんが運んできたお昼ご飯をがつがつと食べだした。
「聖君、凪ちゃん、大丈夫?」
絵梨さんが心配そうに聞いてきた。私に聞いてきた時よりも、かなり声が心配そうだ。
「あ、うん。今、寝てる」
「早く元気になるといいね」
「うん、ありがとう」
「合宿、行けなくて残念だね?行きたかったんでしょう?」
「…うん。でも、凪のことのほうが、ずうっと大事だから」
聖君がそう言うと、絵梨さんは苦笑いをして、キッチンのほうに行った。
う~~ん。私の前と聖君の前とだと、全然態度が違うんだな。まあ、今に始まったことじゃないけど。
でも、そんなこと今はどうでもいい。
「凪、おっぱい飲んでくれないけど、大丈夫かな」
私はまた、心配になり、聖君にそう聞いた。
「あとで、白湯かお茶、あげてみよう。きっと喉は乾いていると思うよ」
「……うん」
「桃子ちゃん!」
「え?」
なんでいきなり、聖君大きな声を出したの?びっくりして聖君を見ると、私の顔をじいっと見ていた。
「俺も、すげえ心配だったけどさ、でも、心配してもしょうがないんだし、今はとにかく凪が元気になることを祈って、看病するだけだよ」
「そ、そうだよね?」
「大丈夫。俺も、父さんも母さんもついてるよ」
「うん」
聖君はにこりと笑ってくれた。
もし、私が一人でいる時に、凪が熱を出していたら、どうしていたかな。ただただ、オタオタするばかりだったかもしれないな。
聖君と、それに聖君のご両親がいてくれて、本当に良かった。
私と聖君は、お昼ご飯を済ませ、2階に上がった。
「父さん、ありがとう」
そう言いながら、聖君は和室に入った。
「今、凪ちゃんの体温測ったら、37度まで下がったよ」
「え?ほんと?」
「夜、また上がるかもしれないけどね…」
凪を見た。まだ寝ている。でも、心なしかさっきよりも、苦しくなさそうな気がする。
「じゃ、俺、仕事が残っているからリビングに行くけど、何かあったらすぐに呼んで」
「うん」
聖君のお父さんは、ぽんぽんと聖君の肩をたたくと和室を出て行った。
「…」
聖君は黙って、凪の横にあぐらをかいて座った。そして、
「俺、凪のためだったら、病院も全然大丈夫みたいだ。不思議だよね」
とそう言って、私のほうを見た。
「え?」
「でも当たり前か。子供のためだったら、苦手意識も吹っ飛ぶよね」
「うん」
「それに、これからだって、凪は風邪ひいたり、病気になったりするかもしれないんだから。もう俺、病院苦手だなんて言ってられないね」
「…聖君がいて、心強い」
「ん?」
「私も、お母さんなんだもん。しっかりしないとね」
「…それはきっと、だんだんとしっかりしていくと思うよ?大丈夫」
聖君はにこっと笑ってくれた。
その日は、夕飯も順番に食べた。杏樹ちゃんも心配して、一回和室に顔を出しに来た。
「杏樹、お店の方はどう?混んでる?」
聖君が聞くと、
「大丈夫。桜さんとやすくんだけでも、平気みたい。だけど、私も手伝いさせてもらっているけど」
と言って、ペロッと舌を出した。
「凪ちゃん、熱は?」
「今は下がってる。でも、これからまた上がるかもしれないから」
「お母さんが、順番にお風呂も入ったら?って言ってたよ」
「うん。そうだね。サンキュ」
聖君がそう言うと、杏樹ちゃんはまた、お店に行ったようだ。
「桃子ちゃん、先にお風呂入って来ていいよ?」
「うん。じゃ、パッとシャワーだけ浴びてきちゃうね」
私はそれから、急いでシャワーを浴びに行った。
夜中、熱あがるのかな。
ううん。もうあれこれ心配するのはやめよう。
私と交代して聖君も、シャワーを浴びに行った。でも、あっという間に出てきた。やっぱり、聖君ものんびりとシャワーを浴びていられなかったんだな。
そして夜中、やっぱり凪はまた38度まで熱があがり、ずっとぐずっていて、私と聖君は交代で、凪を抱っこしていることになった。
時々、睡魔が襲ってきた。
「桃子ちゃん、ちょっと寝ててもいいよ?」
聖君を見ると、まったく眠気はないようだ。
「だ、大丈夫」
「いいよ。寝てて。明け方俺、眠くなるかもしれないから、そうしたら、桃子ちゃんと交代して眠らせてもらう」
「うん、わかった」
私は布団に寝転がった。そしてしばらく、凪と聖君を見ていた。でも、いつの間にか眠っていたようだ。
目が覚めると、うっすらと外が明るくなっていた。
わ!眠りすぎた?慌てて横を見ると、聖君があぐらをかき、凪を抱っこしたまま、うとうととしていた。
「聖君、交代する」
小さな声でそう言うと、聖君は目を開けて、
「うん、ごめん。俺もうとうとしちゃった」
とそう言って、そっと私に凪を手渡した。
「凪、寝てるね」
「うん」
「ごめんね?私、ずっと寝ちゃってて」
「大丈夫」
聖君は小声でそう言うと、布団に寝転がった。
「凪、布団に寝かせると、ぐずっちゃうんだ。だから、座って抱っこしていたんだけど」
「うん、わかった。私もこのまま、凪のこと抱っこしてる」
「辛くなったら、交代するから起こしてね?」
「うん」
聖君は、しばらく私と凪を見ていたが、すうっと寝息を立てて眠った。
時計を見ると、もう5時になろうとしていた。ああ、私、3時間くらい寝ちゃってたんだ。その間ずうっと、聖君は凪を抱っこしていたんだろうな。申し訳ない。
よし、今度は私が、しっかりと凪を抱っこしていよう。
私はすやすやと寝ている凪の寝顔を見たり、スースーと寝息を立てて寝ている聖君の寝顔を見て、ああ、2人とも愛しいなあ…なんて思いながら、ずっと座ったまま、凪を抱っこしていた。
チュン…。雀のさえずりが聞こえてきた。
すっかり外は明るくなった。カーテンの隙間から、朝日が差し込む。
凪は、まだぐっすりと寝ている。
昨日の夜よりも、なんだか、凪の体から熱さが抜けた気がする。
そうっと布団に寝かせた。凪はもう泣くこともなく、そのまま寝ていてくれた。
それから、そうっと凪の脇に体温計をはさんだ。
ピピ…。体温計がなり、凪と聖君が起きないように、すぐに体温計を取り出して、体温計を見た。
あ…。36度6分!熱、下がってる。
よかった~~~。
すやすやと寝ている凪を見て、ほっとして、その横に寝転がって、私は知らぬ間に眠ってしまったようだ。