表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/38

第8話 ツギハギ衣の狩人

 森に落ちてから、何度目の月を見たのか、もう数えるのはやめた。


「……ふぅっ、……っ」


 僕は湿った腐葉土の上に身を潜め、息を殺していた。


 今の僕の姿を地球の人間が見たら、間違いなく悲鳴を上げて逃げ出すだろう。


 元の制服はとうの昔に擦り切れ、今は罠で仕留めた角ウサギや、死肉を漁りに来た小型の狼などの毛皮を、つると乾いた腸で無造作に繋ぎ合わせた「ツギハギの衣服」を被っている。


 血抜きもなめしも不完全なせいで、常に生臭い獣の匂いが染み付いているが、この強烈な悪臭のおかげで他の捕食者から「得体の知れない獣」として警戒され、無用な遭遇を避けられている。


 太陽の光を浴びない生活と、常に『識の原典アーキタイプ』を薄く開き続けている莫大な精神的負荷のせいで、僕の肌は病的に青白く変色し、頬は痩せこけていた。


(……来た。足音、一つ。重量は角ウサギより上……硬い蹄の音)


 生きるという目的以外の一切を削ぎ落とした僕の聴覚が、枯れ葉を踏む音を捉える。


 僕は割れそうな頭痛を堪えながら、意図的に絞っている『識の原典(アーキタイプ)』の認識フィルターを、ほんの数ミリだけ開いた。


「……ぐ、っ……」


 眼球の裏側をヤスリで削られるような内的な痛みが走り、視界が情報過多のノイズに染まる。


 そのノイズの向こう側、薄暗い獣道を歩いてくるのは、分厚い泥の鎧を纏ったイノシシのような魔物だった。丸太のような胴体に、岩のように硬そうな頭部。


 正面からぶつかれば、ただの高校生である僕の骨など一瞬で粉砕されるだろう。


(……だが、構造ルールには必ず穴がある)

 僕は視界に映るイノシシの「筋肉の密度」と、あらかじめ仕掛けておいた罠の「引張強度」の情報をすり合わせる。


 僕の武器は、先端を無理やり鋭く砕いただけの不格好な石槍一本。


 まともな筋肉もない僕の腕力では、あの泥の鎧を貫通することなど絶対に不可能だ。


 だから、僕の狩りは常に「点」を突く作業でしかない。


 バチンッ!!


 イノシシが落ち葉の下に隠した蔓の輪を踏み抜いた瞬間、弾力を限界まで溜め込んでいたしなり木が跳ね上がった。


「ブギィィッ!?」


 凄まじい反発力が、巨体を一瞬だけ宙に浮かせ、太い木の幹へと激突させる。


 だが、あの質量だ。

 蔓はギリギリと悲鳴を上げ、数秒もすれば引きちぎられてしまうだろう。


(……今だっ!)


 僕は藪の中から泥まみれの身体を弾き出した。


 暴れるイノシシに向かって、石槍を構えて真っ直ぐに踏み込む。

 狙うのは、分厚い泥の鎧も筋肉も存在しない、ただ一つの「構造の隙間」だ。


識の原典(アーキタイプ)』を通した視界が、激しく暴れる獣の首元――第一頸椎と第二頸椎の間にある、わずか数ミリの骨の隙間を、明確な情報として捉えていた。


(……ここだっ!)


 僕は躊躇なく、全身の体重を乗せて石槍の先端をその「点」へと突き入れた。


 ゴリッ、という、骨の隙間に石の刃が割り込む嫌な感触。


 そのまま神経の束を物理的に断ち切る。


「ガ、ブ……ッ」


 声にならない痙攣を一度だけ起こし、泥のイノシシは白目を剥いてドサリと地面に崩れ落ちた。


 完全に息の根が止まった。


「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……っ」


 僕はその場にへたり込み、石槍を手放した。


 激しい頭痛と吐き気に襲われ、その場で胃液だけを吐き出す。

 全身の筋肉が震え、たった一撃の突きのために消費した極度の集中力が、精神をゴリゴリと削り取っていた。


(……殺せた。でも、これが限界だ……)


 ドクドクと脈打つこめかみを押さえながら、倒れた獲物を見つめる。


 魔法のように炎を出して焼き払うことも、念動力で吹き飛ばすこともできない。

 僕にできるのは、ただ無数の情報が散乱する視界で「致命的な急所(構造の隙間)」を見つけ出し、罠で動きを止めた相手に、物理的に武器をねじ込むことだけだ。


 もし、罠が通じないような巨大な魔物に出くわしたら。

 もし、群れで囲まれて、急所を突く暇すら与えられなかったら。


(……僕は、確実に死ぬ。何の手立てもない)


 石槍では、一対多の状況や、硬い鱗を持つバケモノには絶対に通用しない。


 生き残るためには、もっと確実で、もっと致命的な「手段」が必要だった。

 物理的な腕力に依存しない、世界の構造そのものを断ち切るような何かが。


 僕は震える手で腰に下げた手製の石刃を抜き、獲物の解体を始めた。


 血と泥と内臓の臭いが鼻を突く。


 いつか来るであろう「どうしようもない死の危機」の予感に怯えながら、僕はただ黙々と、泥臭い命のやり取りを繰り返していた。


【読者の皆様へ】

誰かがこの物語に目を留めてくださったこと、そして「面白かった」「続きが気になる」と楽しんでいただけることが、今の私にとって何よりの喜びであり、執筆の大きな力になります。

もしよろしければ、ページ下部にある星マーク(☆☆☆☆☆)から評価をつけていただいたり、ブックマークで応援していただけると本当に嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ