第6話 泥水の理(ことわり)
鳥の鳴き声すらしない、ひんやりとした静寂の中で目を覚ました。
「……うっ、げほっ……!」
乾ききった喉が張り付き、咳き込むと血の味がした。
昨夜の小さな焚き火はすでに白い灰となり、わずかな熱の残滓を漂わせているだけだ。
(……朝、か。生きてる……僕、生きて朝を迎えられたんだ)
泥だらけの制服を起こし、ギシギシと悲鳴を上げる関節を伸ばす。
寒さと恐怖で浅い眠りを繰り返したせいで、疲労は全く抜けていない。
頭蓋骨の奥には、昨日『識の原典』を酷使した代償である、鉛のような鈍い痛みが居座っている。
そして何より、致命的な問題があった。
(……喉が、渇いた。水がないと、次は本当に終わる)
周囲を見渡しても、見上げるような針葉樹と腐葉土の海が広がるばかりだ。
川のせせらぎなど聞こえない。
僕は重い身体を引きずり、再びあの呪いのような視点に頼る覚悟を決めた。
(……少しだけだ。脳が焼き切れない程度に、薄く開くんだ)
深く息を吐き、意図的にかけていた認識の強固なフィルターを少しだけ剥がす。
「……ぐ、っ……!」
途端に、視界がチカチカと明滅し、過剰な情報のノイズが脳髄を叩き始める。
吐き気を堪えながら、僕は周囲の景色から「水分の偏り」だけを抽出するように焦点を絞った。
見えすぎる視界の中、巨大な樹木たちが地中から吸い上げている微細な水分の流れが、淡い情報の線として浮かび上がる。
その流れの根本、土脈の構造がわずかに湿気を帯びて傾斜している方向があった。
(あっちだ。土の中の水分が、低い方へ集まってる……)
僕は限界を迎える前に急いでフィルターを閉じ、ジンジンと痛む頭を抱えながら、その方向へと歩き出した。
数十分ほど茂みを掻き分けた先、巨岩の影に、僅かに水が湧き出ている窪みを見つけた。
「……あ、水……!」
駆け寄り、両手ですくおうとして――ピタリと動きを止める。
窪みに溜まった水は、落ち葉と泥で濁りきっていた。
(……駄目だ。こんな生水をそのまま飲んだら、確実にお腹を壊す。この状況で下痢や発熱を起こせば、それは『死』と同じだ)
現代日本の衛生概念が、本能的な渇きに待ったをかける。
しかし、煮沸するための鍋なんてない。どうすればいい?
僕は再び、激しい頭痛に顔をしかめながら『識の原典』を開いた。
泥水の中に潜む構造を観る。
泥の粒子、腐敗した葉の繊維、そして……微小な微生物や寄生虫らしき蠢く情報群。
(やっぱりだ。これを物理的に取り除かないと……濾過だ。濾過装置を作るんだ)
テレビのサバイバル番組の知識と、目の前の情報をすり合わせる。
僕は着ていた制服のシャツの裾を力任せに引き裂いた。
そして、昨夜の焚き火の跡まで戻り、燃え残った「炭」を拾い集める。
破いた布地に、拾った小石、粗い砂、砕いた炭、さらに細かい砂の順で層を作って包み込んだ。
(炭の微細な孔が、不純物や微生物を吸着する構造……それをこの布の中で再現する)
即席の濾過器を泥水の上に掲げ、少しずつ水を注ぎ込む。
『識の原典』の視界を通し、泥水の不純物が層を通過するごとに物理的に引っかかり、取り除かれていく過程をじっと観察する。
炭の層を抜ける頃には、蠢く微生物の情報も完全に吸着され、遮断されていた。
ポタ、ポタ……。
布の底から滴り落ちたのは、泥を含まない、透明な水滴だった。
僕はそれを、震える両手で直接受け止める。
「……あ……」
冷たくて、少し土と炭の匂いがする水。
たった一口の水分が、干からびた内臓に染み渡り、命を繋ぎ止める確かな実感となって全身を駆け巡った。
(……美味しい、なんてレベルじゃない。生き返る……)
涙腺が熱くなった。
ただ水を一口飲むためだけに、どれだけの頭痛に耐え、泥を這いずり回ったことか。
これが、この理不尽な世界で生きるということ。
魔法なんて便利なものはない。
世界が情報の集まりとして観えてしまう扱い慣れない視点と、血の滲む物理的な試行錯誤だけで、一日一日をもぎ取っていくしかないのだ。
僕は冷たい水で濡れた口元を拭い、薄暗い森の奥を睨みつけた。
(……やってやる。絶対に、こんなところで野垂れ死んでたまるか……っ)
生き延びてやる。
最も安全で、誰にも脅かされない平穏な生活を手に入れるために。
果てしない生存戦略の、これが本当の始まりだった。
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