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第38話 角部屋

 絶品のシチューと白パンで完全に胃袋を満たした僕は、食後の心地よい余韻に浸っていた。


 「マーサさん。宛がってくれた角部屋というのは、階段を上がって右の奥でいいのか?」


「ああ、そうだよ。突き当たりの一番日当たりのいい部屋だ。それと、一階の奥に宿泊客用の大きな湯浴み場があるから、好きに使っておくれ。魔石で沸かしてるから、いつでも温かいよ」


 ノクスがカウンター越しに尋ねると、マーサさんはジョッキを磨きながら笑顔で教えてくれた。


 (大きな湯浴み場! この世界にも大浴場の概念があるのか。素晴らしい)


 僕はすっかり機嫌を良くし、重い足取りで階段を上るノクスの背中を急かすように追って、二階へと向かった。


 教えられた通り、廊下の突き当たりにある重厚な木の扉に鍵を差し込み、カチャリと回す。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 扉の先に広がっていたのは、想像以上に立派で清潔な空間だった。


 壁には温かな光を放つ魔石灯が据え付けられ、部屋の中央には真っ白なシーツが掛けられた木製のベッドが二つ並んでいる。

 床には埃一つなく、窓からは涼しい夜風と共に、街の微かな喧騒が心地よく流れ込んできていた。


 「……ようやく、まともに背中を伸ばして寝られる」


 ノクスは部屋に入るなり、背負っていた大きな荷袋と長剣を床にドスッと下ろし、そのまま深い息を吐いた。


 僕は真っ先に手前側のベッドへ歩み寄り、両手でマットレスの感触を確かめた。


 (柔らかい……! ゴツゴツした岩肌でも、湿った土の上でもない。乾燥した清潔な布と、沈み込むようなクッションの感触だ)


 サバイバル生活を終え、ついに文化的な寝床を手に入れたのだ。僕はたまらなくなり、マントをつけたまま勢いよくベッドの上へダイブした。


 「うわっ、すごい! ノクス、これふかふかですよ! 跳ねます!」


「おいバカ、やめろ! お前その土埃まみれの格好でシーツを汚す気か!」


 ノクスが慌てて僕の襟首を掴み、ベッドから引き剥がした。


 確かに冷静になればその通りなのだが、この数ヶ月間ずっと硬い地面で寝起きしていた僕にとって、この弾力と布の匂いは感動的すぎた。


 「すみません、つい嬉しくて。じゃあ、さっそく湯浴み場で汚れを落としてきますね。これなら風呂上がりの睡眠は最高のものになりそうだ」


 僕はホクホク顔でマントを脱ぎ、部屋に備え付けられていた手ぬぐいを手に取ろうとした。


 「あー、待てユウ。お前、風呂から上がった後、まさかまたその服を着るつもりじゃないだろうな」


 ノクスが、深い疲労の滲む顔で僕の服装を指差した。


 マントの下に着ているのは、僕が森で適当な魔獣の毛皮を切り貼りして作った手作りの防寒着だ。機能性は高いが、見た目も匂いもあまりよろしくないことは自覚している。


 「どうするって、また着ますよ。明日仕立て屋に行くまでは、他に替えの服もありませんし」


「……お前なら平気でそう言うと思ったよ」


 ノクスは呆れたように小さくため息をつくと、自分の荷袋を漁り始め、綺麗に畳まれた麻のシャツとズボンを取り出して僕に放り投げてきた。


「貸してやる。オレの予備の服だ」


「えっ、いいんですか?」


「サイズは合わないだろうが、素肌にその血生臭い毛皮を着るよりはマシだろ。……その脱いだ服は、湯浴み場へ行くついでにマーサさんに渡してこい。チップを多めに払えば、明日までに洗って乾かしておいてくれるはずだ」


 (なるほど。着替えのコストが浮いた上に、汚れた服の洗濯代もノクスが持ってくれるということか)


 どうやら彼は、僕が汚い服で隣を歩くのをどうしても避けたかったらしい。

 実利的な面で見ても、風呂上がりに清潔な麻のシャツを着られるのは非常にありがたい提案だった。


 「ありがとうございます、ノクス。遠慮なく借りておきます」


 僕は素直に礼を言い、ノクスの予備の服と、自分のツギハギ服を小脇に抱えた。


 ふかふかのベッドに、清潔な着替え。

 そしてこれから向かうのは、温かいお風呂だ。

 異世界に来てから一番の幸福感に包まれながら、僕は足取りも軽く部屋を後にした。



【読者の皆様へ】

誰かがこの物語に目を留めてくださったこと、そして「面白かった」「続きが気になる」と楽しんでいただけることが、今の私にとって何よりの喜びであり、執筆の大きな力になります。

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