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第31話 迷子と没落少年

 胃袋を満たした極上の肉の余韻を反芻しながら、僕は上機嫌で食堂を出た。


 大通りは行き交う人々でごった返しており、道の両脇には見たこともない果実や串焼きを並べた屋台がずらりと並んでいる。


 僕はふと、香辛料のツンとした匂いを漂わせる屋台に目を奪われ、数歩だけそちらへ吸い寄せられた。


 「……で、宿探しなんですが、この辺りに目星は」


 振り返って声をかけた先には、見知らぬ通行人の背中があるだけだった。


 右を見ても、左を見ても、あの灰色の髪をした青年の姿はない。


 (……はぁ。やれやれ)


 僕は小さく息を吐き、首を振った。


 立派な長剣を背負った冒険者のくせに、大通りから少し目を離しただけで迷子になるなんて。


 いい歳した大人が、よほどこの街の活気に浮かれているのだろう。


 仕方ない。僕が探して合流してやらないと、ノクスは今頃ベソをかいて路地裏を彷徨っているかもしれない。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 大通りから一本外れた、薄暗い路地裏。


 ノクスを探して歩いていた僕の鼓膜を、鈍い打撃音と下品な笑い声が打った。


 「オラッ! 元貴族様のお通りだぞ、道を開けろよ!」


 「どうしたぁ? その自慢の家名でも唱えてみるか?」


 石畳に囲まれた行き止まり。そこに、三人のガラの悪い青年たちが集まっていた。


 彼らの中心で壁に背を預けていたのは、僕より少し年下に見える、灰茶色の髪をした少年だった。


 粗末で薄汚れた麻の服を着た彼は、頬を腫らし、口の端から一筋の血を流している。


 だが、その瞳だけは全く死んでいなかった。怯えるどころか、路地裏の野良猫のようにギラギラと冷たい光を放ち、青年たちを真っ向から睨みつけている。


 (……あー、なるほど。カースト上位グループによる、典型的な階層いじめか)


 僕は物陰からその光景を眺めながら、かつての教室の風景をフラッシュバックさせていた。


 あの少年の態度は良くない。ああやって反抗的な目をするから、いじめっ子の自尊心を刺激して余計に長引くのだ。僕のように、息を潜めて背景と同化する術を身につけるべきだ。


 とはいえ、同じ「日陰者」の匂いを感じる彼を、このまま見過ごすのは少し寝覚めが悪い。


 (ノクスは『地形を変える魔法』はダメだって言ってたけど……ちょっと脅かすくらいなら問題ないよね)


 僕は足音を立てずに路地裏へ足を踏み入れ、ゆっくりと右手を持ち上げた。


 威力を極限まで絞り、見栄えのするエフェクトと空気感だけを演出する。


 以前から密かに脳内で練り上げていた、とっておきの詠唱を、観客たちにしっかりと聞かせるために、少し低く響く声で紡ぎ始めた。


 〈深淵の底より這い出でし暗黒の吐息よ〉


 静かな路地裏に、僕の声が不気味に響き渡る。


 いじめっ子の青年の一人が、ピクリと肩を揺らして振り返った。


 「あ? なんだお前……」


 「どこから沸いて出たガキだ? なんかブツブツ言ってやがるぞ」


 怪訝な顔でこちらを睨む青年たち。


 灰茶色の髪の少年も、痛む顔をしかめながら不思議そうに僕を見ている。


 僕は彼らの反応を心地よく受け止めながら、『識の原典(アーキタイプ)』を通して観える世界の純粋な情報に、マナを流し込んだ。


 「燃えろ」「凍れ」といった大雑把なイメージでマナを力任せに変化させる必要はない。あの暗く過酷な森の中で、毒と獣に怯え、泥水に塗れながら死に物狂いで組み上げた『理の方程式ロジック・エクエイション』の通りに、マナに役割を代入してやればいい。


 今回はあくまで「ハッタリの演出」だ。


 僕はマナに命じ、光の屈折率と空気の振動、そして局所的な温度の低下という環境情報だけをピンポイントで模倣・代替させた。


 〈その歩みを止め――〉


 言葉と共に、路地裏の空気が明確に変質した。


 足元の石畳から、霜が這うような冷気がじわじわと広がり始める。


 青年たちの吐く息が、季節外れの白さに染まった。


 「な、なんだ……急に寒く……」


 「おい、あいつの姿、なんか歪んでねぇか……?」


 光の屈折をいじったことで、僕の輪郭が揺らめく影のようにブレて見えるはずだ。


 彼らの顔から余裕が消え、得体の知れない現象に対する本能的な警戒が浮かび上がる。


 空気の振動を抑え込んだことで、周囲の生活音は遠のき、まるでこの路地裏だけが世界から切り離されたような静寂が落ちた。


 〈――ひれ伏せ〉


 最後に、マナを弾いてパチンと小さな破裂音を鳴らし、足元に少しだけ黒いモヤのようなエフェクトを発生させる。


 たったそれだけだ。


 だが、限界まで高められた異常な空気感の中で放たれたその些細な現象は、彼らの許容量を完全に超えたらしかった。


 「ひっ……!?」


 「ば、化け物……っ!!」


 青年たちは顔面を土気色にし、互いを突き飛ばすようにして立ち上がると、弾かれたように路地の奥へと逃げ去っていった。


 (ふふっ、大成功。僕の迫真の演出とハッタリ魔法、効果絶大じゃないか)


 僕は内心で小さくガッツポーズを決めながら、壁に寄りかかっている少年へと歩み寄った。


 「大丈夫ですか? 災難でしたね」


 「っ……」


 少年は壁に張り付いたまま、息を呑んで固まっていた。


 その瞳には、先ほどの青年たちへの反抗心とは違う、純粋な驚愕が宿っている。


 「今の……お前がやったのか?」


 かすれた声で、少年が問う。


 「あぁ、あれですか。ただの威嚇ですよ。深淵の力を少しだけ『顕現』させただけですから」


 「深淵の……? いや、ただの威嚇って、空気が一気に凍りついたみたいだったぞ……」


 少年は痛む頬を押さえながらも、興味深そうに立ち上がった。


 どうやら、僕の考えたオリジナル魔法の「カッコよさ」を肌で理解できる、見込みのある感性をしているらしい。


 「俺の家、すぐそこなんだ。ちょっとボロいけど、助けてもらった礼くらいさせてくれよ。あんたのことも、もう少し知りたいし」


 どこか強かな光を宿した目で誘われ、僕は「はぁ、お構いなく」と生返事をしながら彼について行くことになった。


 迷子の戦士のことは、後で適当に探せばいいだろう。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 「悪いな、こんな狭いとこで。あいつらに金も取られちまったから、水しか出せねぇけど」


 案内されたのは、街の外れにある今にも崩れそうな木造の小屋だった。


 少年が欠けた木製のコップに注いでくれた水を一口含む。


 ……ぬるい。しかも、少し土臭い。


 「さっきの奴ら、昔は俺の家にペコペコ頭下げてた商会のバカ息子たちなんだよ」


 少年は自嘲気味に笑いながら、自分のコップの水を呷った。


 「俺の家、二年前までは貴族だったんだけどさ。親父がハメられて爵位を取り上げられちまって。そうやって俺が貴族じゃなくなった途端、あいつら手のひら返してあんな風に絡んでくるようになったんだ」


 (なるほど。親の会社の取引先の息子か。昔は接待されてたのに、倒産した途端にマウントを取ってくる。見事なまでの手のひら返しテンプレだな)


 僕は少年の身の上話を「よくあるドラマのあらすじ」として脳内で処理しながら、手元のコップをジッと見つめた。


 同情はするが、それはそれとして、このぬるい水は僕の快適さを著しく損なっている。


 僕は少年の話を聞き流しながら、コップの中の水の「温度と不純物の理」という情報を、静かにマナで書き換えた。術式としてはごく単純な、冷却と濾過のプロセスだ。


 「権威も、戦う力もないってのは、不便なもんだよな……って、え?」


 少年がふと、言葉を止めた。


 彼の視線が、僕の手元のコップに注がれている。


 表面にびっしりと冷たい水滴が結露していくコップを傾け、キンキンに冷えた極上の天然水へと変貌したそれを、僕は静かに飲み干した。


 「……美味い」


 「お前……今、何かしたか?」


 少年は目を丸くして、僕の顔とコップを交互に見た。


 「何か、とは?」


 「いや、水……急に結露したし。お前、魔法使ったのか?」


 彼は信じられないものを見るように、眉をひそめた。


 「詠唱もなしで? それに、魔力光すら一切漏らさずに……?」


 「あぁ。ただちょっと水を冷やして、飲みやすく浄水しただけですよ。このくらい……」


 「ただ冷やして浄水しただけ!? ばっ、お前、水の浄化と冷却なんて、それなりの術式組んで魔力を練らねぇと発動しねぇはずだぞ!?」


 少年は椅子からガタッと立ち上がり、僕を食い入るように見つめてきた。


 なぜただの冷たい水でそこまで興奮しているのか全く分からなかったが、彼の目は、路地裏で僕の魔法を見た時よりもさらに強い熱を帯びていた。

【読者の皆様へ】

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