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第30話 文明の味

 ギルドの窓口で換金を終えたノクスの革袋は、じゃらじゃらと景気のいい重たい音を立てていた。


 僕はその音を聞きながら、静かに、そして深く内心で臍を噛んでいた。


 (……あんな光るだけのゴミが、あんな大金に化けるなんて)


 森で魔獣を解体するたびに、心臓の近くから転がり出てくる厄介な石ころ。


 食べられもしないし、燃えもしない。僕は邪魔くさいからと、毎回その辺の泥の中に放り投げていたのだ。


 道中、ノクスがいそいそと血だまりの中から回収していたのは知っていたが、まさかそれがこの世界の重要な資源である『魔石』だったとは。


 「よし、ユウ。金も入ったことだし、まずは今夜の宿を確保しに行くぞ。冒険者が多いこの街じゃ、うかうかしてると清潔で安全な宿はすぐに埋まっちまうからな」


 ノクスが、すっかり板についた保護者の顔で振り返る。


 だが、僕はその場でピタリと足を止めた。


 石畳の冷たい感触。森の湿った腐敗臭とは違う、乾いた土と埃の匂い。


 そして何より、少し離れた大通りから風に乗って漂ってくる、香ばしく焼けた獣の脂と、未知の植物が焦げる匂い。


 僕の胃袋は、すでに限界をとうに超えていた。


 「……嫌です」


 「は? 嫌ってなんだ。宿を取らないと寝る場所がないぞ」


 ノクスが呆れたように眉を寄せる。


 「寝る場所なんて、最悪この街の路地裏の地面でも隆起させて、風除けの壁を作ればいいじゃないですか」


 僕は背中に背負った、布でぐるぐる巻きにされた『黒鎌(クロカマ)』の石突を、石畳にコツンと打ち付けた。


 「約束しましたよね。街に着いたら、美味しいものを腹いっぱい食べさせてくれるって。僕は今すぐ、塩とハーブ以外の香辛料がたっぷりかかった肉が食べたいんです」


 「バカ言え! 街中で勝手に地形を変える魔法なんか使ったら、一発で衛兵に捕まって牢屋行きだ!」


 ノクスが血相を変えて周囲を見渡し、声を潜める。


 「飯は宿を取ってから、その一階にある酒場で食えば……」


 「嫌です。僕の胃袋はもう、数ヶ月ぶりの新しい味覚を受け入れる準備を完全に終えてるんです。今ここでお預けを食らうくらいなら、もう一回森に帰ってあの『鉄甲熊(メタルグリズリー)』の肉を焼き直します」


 「森に帰るな! ああもう……わかった! わかったから! そんな道のど真ん中で駄々をこねるな、目立つだろ! 先に飯だ!」


 僕が一切引く気がないことを悟ったノクスは、胃のあたりを押さえながら深い溜息をつき、広場の裏手にある通りへと歩き出した。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 「……ここは冒険者御用達の食堂だ。お前の望むようなガツンとくる味なら、ここが一番手っ取り早い」


 連れてこられたのは『踊る猪亭』という、木造の大きな食堂だった。


 分厚い扉を開けた瞬間、熱気とともに暴力的なまでの匂いが鼻腔を殴りつけた。


 焦げた肉の脂、食欲を掻き立てるニンニクの香り、そして何より、鼻の奥をツンと刺激する魅惑的なスパイスの匂い。


 (……これだ。文明の匂いがする)


 席につくなり、ノクスは手慣れた様子で通りかかった店員を引き留めた。


 「『赤角牛(レッドホーン)』の厚切りステーキを二つ。ソースは黒胡椒をたっぷり効かせたやつで頼む。それと、パンとスープだ」


 「おうよ! すぐ持ってくるぜ!」


 待つこと十数分。


 ジュージューと凄まじい音と白煙を立てる分厚い鉄板が、僕の目の前にドンッと置かれた。


 赤身の残る分厚い肉の塊。


 その上で、ドロリとした濃い茶色のソースがマグマのように煮えたぎり、砕かれた黒胡椒の粒がこれでもかと散らされている。


 「ほら、熱いから気をつけて食えよ。ナイフの使い方は……」


 ノクスの言葉を待つ余裕などなかった。


 僕は備え付けのナイフで肉を大きめに切り出し、熱さも構わずにそのまま口に放り込んだ。


 「――っ!!」


 瞬間、脳髄が痺れた。


 噛み締めた途端に溢れ出す、野性味溢れる肉の脂。それを、黒胡椒のスパイシーな辛味がピリッと引き締める。


 さらに、果実や野菜の甘みを煮詰めたような複雑なソースが、口の中で完璧な調和を生み出していた。


 ただ焼いただけの肉とは違う。人間の歴史と知恵が結集した、紛れもない「料理」の味だった。


 「……うまっ」


 僕は無我夢中で肉を切り、口に運んだ。


 肉汁の染み込んだソースをパンで拭い、一滴残らず胃袋へと送り込む。


 美味しすぎる。泥水をすすり、毒を警戒しながら草を噛んでいたあの暗い森の日々が、この強烈な味覚によって一気に上書きされていく。


 (塩と胡椒、最高……! ソース、最高……!!)


 ふと、視線を感じて顔を上げた。


 向かいの席で、ノクスが自分の手元の肉には一切手をつけていなかった。


 彼はテーブルの上で両手を組み、どこか悲痛で、それでいてひどく優しい、ひどく湿っぽい目で僕をじっと見つめていた。


 「……美味いか、ユウ」


 かすれた、震えるような声だった。


 「はい。めちゃくちゃ美味しいです」


 僕が率直に答えると、ノクスは口元を歪め、目元を乱暴に拭うような仕草をした。


 「……そうか。いっぱい食え。足りなかったらおかわりも頼んでやるからな」


 (なんだろう、急に。美味しいものを食べてるだけなのに、なんで泣きそうになってるんだろ)


 良い歳した青年が食堂で涙ぐんでいる理由は全く分からなかったが、重要なキーワードだけはしっかりと僕の耳に届いていた。


 「じゃあ、同じのもう一つお願いします」


 僕が間髪入れずに追加注文をすると、ノクスは一瞬だけ目を丸くして固まったが、すぐに破顔し、店員を呼ぶために大きく手を挙げた。


 文明の味で心もお腹も完全に満たされた僕は、二枚目のステーキを平らげた後、ようやく「じゃあ、宿探しに行きましょうか」と、上機換で食堂の扉を開けるのだった。

【読者の皆様へ】

誰かがこの物語に目を留めてくださったこと、そして「面白かった」「続きが気になる」と楽しんでいただけることが、今の私にとって何よりの喜びであり、執筆の大きな力になります。

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