第26話 鉄甲熊
連続投稿10話目
洞穴を出発して、すでに八日が経過していた。
ノクスの案内で最短ルートを進んでいるはずなのに、森は一向に終わる気配がない。
(……道理で、これまで街の影すら見えなかったわけだ)
僕は改めて、自分が転移した場所がいかに人間社会から隔絶された「超・深部」だったのかを思い知っていた。
そりゃあ、たまに遭遇する人間が、問答無用で襲いかかってくるような野蛮な森の民ばかりになるわけだ。
「ユウ、止まれ。……マズいぞ」
先頭を歩いていたノクスが、かつてないほど緊張した声で立ち止まり、長剣を抜いた。
その視線の先、鬱蒼とした木々をへし折って姿を現したのは、全身を鋼鉄のような銀色の鱗に覆われた、見上げるほど巨大な熊の魔獣だった。
「『鉄甲熊』……! なぜこんな浅い階層に、Aランク相当の化け物が……ッ!」
ノクスが舌打ちをして、姿勢を低くする。
熊の魔獣が、森を震わせるような咆哮を上げた。ビリビリと空気が震え、ただの咆哮だけで鼓膜が破れそうになる。
「ユウ! オレが隙を作る、お前は全力で逃げろ!」
ノクスはそう叫ぶなり、地面を爆発的に蹴り出した。
「『疾影・連爪』ッ!」
マナを圧縮した超高速の斬撃が、魔獣の胴体に三連撃となって叩き込まれる。
しかし――ガギィンッ!! という凄まじい火花が散っただけで、銀色の鱗には傷一つついていない。
(うわぁ、硬っ。ノクスの剣が全く通ってないじゃん)
魔獣が煩わしそうに巨大な腕を振り払う。
ノクスは間一髪で後ろに跳んで躱したが、余波だけで周囲の大木がへし折れた。
このままじゃノクスが押し負ける。僕も手伝わないと。
(……よし。せっかく観客もいることだし、ここは“魔導師”っぽくキメてやろう)
僕は一歩前に出て、愛用の『黒鎌』を片手でスッと横に構えた。
相手の鱗がどれだけ硬かろうと関係ない。生物の命に直接干渉すれば弾かれるが、奴の足元にある「地面」なら話は別だ。
土壌操作の方程式を応用し、足元の岩盤を極限まで硬質化させ、そこに莫大な上向きの「運動エネルギー」を模倣させて叩き込む。
ただ、それを無言でやるのは、あまりにも味気ない。
僕は片手で顔を半分覆うようなポーズをとり、声を張り上げた。
〈深淵より来たりし大地の怒りよ! 縛鎖を断ち切り、愚かなる敵を穿て!〉
ノクスが「えっ?」と振り返る。
僕は構わず、黒鎌を魔獣に向けてビシッと突き出し、即興で考えた一番カッコいい魔法名を叫んだ。
「喰らえ! 『地滅の黒杭』ッ!!」
直後。
魔獣の足元の地面が、直径十メートルにわたって強固な「大質量の槍」へと変貌し、マナの爆発的な推力を受けて超音速で真上へと隆起した。
――ズドガァァァァンッッ!!!
鋼鉄の鱗ごと、数トンはある魔獣の巨体が遥か上空へとカチ上げられ、そのまま森の天井を突き破って見えなくなった。
数秒後、ズォォン……と遠くで何かが墜落する地鳴りが響き、パラパラと木の葉だけが降ってくる。
「……ふぅ。決まった」
僕は黒鎌をくるりと回して背中に背負い、満足げに息を吐いた。
完璧だ。詠唱のテンポも、魔法名の響きも、我ながら百点満点だった。
「…………は?」
振り返ると、ノクスが長剣をだらりと下げ、ポカンと口を開けて空を見上げていた。
「ノクス、大丈夫ですか?」
僕が声をかけると、ノクスはビクゥッ! と肩を震わせ、混乱した目で僕を見た。
「ゆ、ユウ……お前、今の……一撃で、Aランクの魔獣を……? いや、それよりも……」
ノクスは頭を抱え、言葉を絞り出した。
「お前、今……ものすごく長い〈詠唱〉をしたよな? 名前まで叫んで……」
「はい。まあ、これくらいの大技なら当然ですよね」
「……違う。俺はマナの流れを捉える力には自信がある。お前、その長いセリフを叫んでいる間、一切マナを練っていなかったよな!? 最後の魔法名を言い終わった瞬間に、いきなりデタラメなマナを爆発させただろう!」
(……え? なんでそんな当たり前のこと聞くの?)
僕は心底不思議に思って、首を傾げた。
理の書き換えなんて一瞬で終わるんだから、喋ってる間に力を溜める必要なんてない。
「つまりお前は……魔法の準備でもなんでもなく、ただAランク魔獣の目の前で無防備に突っ立って、意味のない大声を張り上げていただけじゃないのか!?」
「意味がないなんて失礼な。あんなカッコいい現象を起こすのに、無言でやるなんて勿体なさすぎますよ。せっかく魔法を使うなら、詠唱と魔法名はセットで叫ぶのがロマンってもんでしょ?」
「………………は?」
ノクスが、文字通り「理解不能」という顔で固まった。
「も、勿体ない……? ロマン……?」
「当たり前じゃないですか。魔導師ならロマンは大事ですよ」
僕がケロッと言ってのけると、ノクスの表情からスッと血の気が引いた。
「……ユウ。魔導師が詠唱をするのは、そうしなければ体内のマナを複雑な術式として編み上げられないという“致命的な欠点”があるからだ! だからこそ、オレたち戦士は声を出すタイムラグを捨て、直接身体の動きだけで技を発動できるように死に物狂いで鍛練するんだぞ……!」
ノクスはフラフラとした足取りで歩き出し、近くの木に手をついて、深く、本当に深く溜息をついた。
「お前は、一切の詠唱を必要としない『即時発動』の神業を持っていながら……わざわざ戦場で隙だらけの的になるような真似を、ただの“ロマン”でやったのか……」
(……あれ? なんか呆れられてる? 戦士には魔導師の美学がわからないのかな)
「……いい。もう、何も考えないことにする。オレの常識をお前に当てはめるのが間違っていたんだ……」
ブツブツと呟きながら、ノクスは力なく長剣を鞘に収めた。
なんだかよく分からないけど、無事に敵は倒せたし、僕の魔法もカッコよく決まったのだから結果オーライだ。
「さ、行きましょうノクス! 街まであと少しですよね!」
僕が元気に歩き出すと、背後から疲れ切った声が聞こえてきた。
「……ああ、そうだな。色んな意味で、オレの胃が保つうちに早く街に着いてほしい……」
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