表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒の救世主  作者: 双月アルト
始まりの森
21/38

第21話 ユウ

連続投稿5話目

 ノクスがこの洞穴に転がり込んできてから、一ヶ月ほどが経過した。


 当初は動くのもやっとだった彼の怪我は、驚異的な速度で回復していた。今では洞穴の掃除をしたり、僕が狩ってきた獲物の解体を積極的に手伝ったりしてくれる。

 そして、その合間に行われる「言語の授業」も、僕にとっては驚きの連続だった。


 (……なるほど。この音の並びは、動作の『対象』を指定するルールなんだな)


 僕は地面に座り、ノクスが地面に木の枝で書いている「文字」を凝視していた。

 本来なら、全く異なる世界の言語を一から覚えるなんて、数年単位の時間がかかるはずだ。だけど、僕には『識の原典(アーキタイプ)』がある。


 僕は自分の中にあった「日本語」という強固なフィルターを一時的に取り外し、ノクスが発する音や書く文字を、純粋な「情報の波形」として受け止めるように意識を集中させた。

 固定観念を捨て、解像度を上げる。


 すると、ノクスの発声時の喉の震え、特定の単語を言う時の視線の動き、そして文字の形状の規則性が、まるでパズルのピースが埋まるように、僕の脳内で一つの「システム」として組み上がっていく。


 「……アヴァ、エ、セト(水を、外に、捨てる)」


 「ーーーッ!!」


 僕がボソリと呟くと、ノクスが弾かれたように声を上げた。

 まただ。彼はこちらが一つ正解を出すたびに、宝くじに当たったような顔をして驚き、そして感動のあまり涙ぐんだりする。


 (……この人のリアクション、相変わらず大袈裟だなぁ。そんなに難しいことじゃないのに)


 僕にとっては、識の原典でデータのパターンを照合しているだけだ。

 経験値が溜まってきたおかげで、最近では彼が喋る「音の羅列」が、僕の意識の中で勝手に意味へと変換され始めている。まだ完全な翻訳とはいかないけれど、彼が何を伝えようとしているのか、その「輪郭」ははっきりと見えるようになってきた。


 ノクスは満足げに頷くと、今度は地面にさらに複雑な文字を書き込んだ。

 この世界の文字は、直線と曲線が組み合わさった、幾何学的な形をしている。


 「……ノクス。これは?」


 僕はあえて覚えたての単語を使い、地面の文字を指差した。


 「ーーー(これは、お前の名前だ)」


 ノクスの言葉が、識の原典の解析を経て、僕の脳内でぼんやりとした意味を結ぶ。

 お前の、名前。


 (……僕の、名前?)


 ノクスは、僕が「自分の名前すら忘れている」と思い込んでいるらしい。

 だから、僕が名乗らないのをいいことに、彼は地面に一つの文字……いや、名前らしき綴りを丁寧に書いた。


 「ーーー。ーーー、ーーー(ユウ。お前は、ユウだ)」


 「……えっ?」


 僕は思わず声を漏らした。

 今、こいつはなんて言った?

 聞き間違いかと思った。だけど、地面に書かれた文字を『識の原典』で読み解くと、それは紛れもなく僕がかつて呼ばれていた名――「ユウ」に極めて近い発音を示す記号だった。


 (……偶然? いや、それとも……)


 困惑する僕をよそに、ノクスは慈愛に満ちた表情で、僕の頭を撫でようとして……寸前で思い出したように手を止め、代わりに優しく微笑んだ。


 「ーーー、ーーー(ユウ。いい名前だろ?)」


 彼がその名前をどうやって導き出したのかは分からない。

 ただ、識の原典を通して伝わってくる彼の感情は、どこまでも澄んでいて、下劣な打算や敵意は微塵も感じられなかった。


 (……本当に、何なんだろう。この人は)


 僕は地面に書かれた「ユウ」という文字を見つめ、少しだけ複雑な気分になった。

 言語の学習が進むにつれ、彼という人間の「善意」が、識の原典というフィルターを通してダイレクトに伝わってくる。

 それが、僕が必死に築いてきた「他人への警戒心」という防壁を、少しずつ、けれど確実に蝕んでいくのを感じていた。


【読者の皆様へ】

誰かがこの物語に目を留めてくださったこと、そして「面白かった」「続きが気になる」と楽しんでいただけることが、今の私にとって何よりの喜びであり、執筆の大きな力になります。

もしよろしければ、ページ下部にある星マーク(☆☆☆☆☆)から評価をつけていただいたり、ブックマークで応援していただけると本当に嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ