第2話 見知らぬ少年
逃げるように校門を抜け、いつもの公園に辿り着いた頃には、西日が長く伸びていた。
ブランコに腰を下ろし、チェーンの錆びた鉄の匂いと冷たさを掌に感じながら、僕は大きく息を吐く。
「……あー、疲れた。本当、何やってるんだろ」
独り言は、湿った砂場に吸い込まれて消えた。
通学鞄から一冊のライトノベルを取り出す。表紙には、ドラゴンを駆る魔導師の姿。僕にとって唯一、周りの顔色をうかがわずに済む安全地帯だ。
この世界なら、相手との距離感や、言葉の裏の感情を計算して胃を痛める必要もない。
(詠唱、か。格好いいよなぁ。「理に従い、灰は灰に」……なんてさ。実際そんなこと言ったら、次の日から僕のあだ名は「灰」確定だろうけど)
自嘲気味に笑いながら本を開こうとした、その時だった。
「へぇ、そんなに好きなんだ。魔法とか、そういう非現実的なもの」
「……えっ?」
心臓が跳ねた。
顔を上げると、目の前に見知らぬ少年が立っていた。
白いメッシュの入った黒髪に、夕暮れ時なのにやけに暗く沈んだ瞳。足音なんて全く聞こえなかった。
「あ、すみません。……気づかなくて」
咄嗟に当たり障りのない愛想笑いを浮かべる。
年齢は僕と同じくらいか? いや、少し下か。どんな態度が正解だ?
脳内で瞬時に相手の情報を探ろうとするが、なぜか全く読めない。
不気味なほど「人間らしさ」が欠けているのだ。
「いいよ、無理に愛想笑いしなくて。君、さっき学校にいる時、脳内で凄い勢いで反省会してたでしょ? 佐々木君への返事の仕方がどうとか」
「……っ!」
一瞬で、指先から血の気が引いた。
今日学校で、誰にも言わずに飲み込んだ僕だけの独白。それを、なぜこいつが知っている?
「君、周りの『空気』を読みすぎなんだよ。他人の感情や場の雰囲気を、全部計算してやり過ごそうとしてる。……疲れない? そんな風に世界を観てて」
「……あはは、何のことですか? ちょっと人違いじゃないかな。僕、そろそろ帰らないと……」
ヤバい。これは関わっちゃいけないタイプの人間だ。中二病をこじらせたのか、それとも新手の詐欺か宗教か。
(とにかく逃げよう)
僕は愛想笑いを顔に貼り付けたまま、そそくさと立ち上がろうとした。
しかし。
ドンッ、と胸を突かれ、僕は再びブランコに尻餅をついた。
「帰さないよ。君のその無駄に高い『観察力』、もっと面白いことに使えそうだから」
「は……? ちょ、ちょっと何す――」
抗議の声を上げるより早く、少年の冷たい手が僕の額にピタリと触れた。
「君は物事を細かく見すぎてる。だから、一度その『当たり前』のフィルターを外してあげる。世界を、もっと高い場所から俯瞰してごらん」
「っ――!?」
額に触れられた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
痛い。いや、痛いんじゃない。頭の中に、無理やり「何か」がこじ開けられるような強烈な不快感。
『君のその異常な認識の癖……そうだね、事象の根源を観る《識の原典》とでも名付けようか』
『その視点が、あっちの世界でどう役立つか。……楽しみに観させてもらうよ、黒沢 憂』
少年の笑い声を最後に、公園の景色が、音を立てて崩れ去った。
砂場の匂いも、遠くの車の音も、夕暮れの赤い光も、一瞬ですべて消し飛ぶ。
代わりに鼻腔を暴力的に突いたのは、むせ返るような土と緑の匂い。そして、肺が凍りつくような冷たい空気だった。
「あ――っ、がっ……!」
地面に叩きつけられ、全身の空気が抜ける。
目を開けると、そこは見たこともない鬱蒼とした森の中だった。
パニックになりかける頭を抱え込む。物理的な怪我はないはずなのに、脳が異常な熱を持っていた。
視界に映る木々や土が、今までとは全く違う見え方をしている。
ただの「木」じゃない。樹皮の繊維の重なり、水分の吸い上げられる流れ、土に含まれる養分の偏り。
普段なら「ただの風景」として処理するはずの情報が、先ほど少年が『識の原典』と呼んだその呪いのような視点のせいで、極限まで拡大された解像度となって脳に直接流れ込んでくる。
「なんだ、これ……っ。頭が、割れそう……!」
凄まじい情報量に脳の処理が追いつかず、僕は腐葉土の上にうずくまりながら、激しい吐き気に襲われていた。
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