第15話 孤独な生存者
(Sideノクス)
「……っ、ぐ……」
全身を軋むような鈍痛が駆け抜け、オレは重い瞼をゆっくりと開けた。
視界がぼやけている。最後に記憶しているのは、狂乱した硬鱗獣グラニスラドの巨大な顎と、背後の斜面が崩落する地鳴りだけだ。
(……生きている、のか? オレは……)
身をよじろうとして、左脇腹に走った激痛に顔をしかめる。だが、その痛みは「死に直結する絶望的な痛み」ではなかった。
視線を落とすと、オレの分厚い革鎧や装備はすべて剥がされており、折れた肋骨の周囲には、木の枝と獣の腸を使った真っ直ぐで強固な『添え木』が施されていた。
さらに、傷口からはこの森に自生する数種類の薬草をすり潰した、泥状の軟膏の香りが漂っている。
傷口の泥は綺麗に洗い流され、化膿を防ぐための的確な野戦治療が施されていた。
「……手当て、されたのか。誰に……?」
身体を少し起こし、周囲の異常さに気がついた。
ここは森のどこかにある洞穴の中らしい。だが、狂ったように冷たい深部の空気が、ここでは一切感じられない。
奥で小さな焚き火が燃えているのに、煙は自然と天井の隙間へ吸い込まれるように消え、空気は暖かく乾燥している。
(……なんだ、この空間は。高位の魔導師が何人もかり出されて構築するような野営地か? それとも、古代の遺跡か何かか……?)
そして、その焚き火の向こう側。
揺らめく炎に照らされて、こちらをじっと見つめている『人影』があった。
「……っ!」
オレはとっさに身構えようとしたが、腰にも背中にも武器がないことに気づく。
周囲を見渡しても、オレの長剣は見当たらない。
手当ての際に装備ごと剥ぎ取られ、手の届かない場所へ隠されたのだろう。見ず知らずの人間を助ける以上、当然の警戒だ。
だが、炎の向こうに座るその姿をよく見た瞬間、オレの警戒心は戸惑いへと変わった。
そこに座っていたのは、血と泥で汚れ、いくつもの獣の毛皮を不格好に継ぎ接ぎした衣服を纏った『少年』だった。
年齢は十三、四といったところか。小柄で少し丸みを帯びた童顔のせいで、さらに幼くも見える。太陽の光を長年浴びていないであろう肌は病的に青白く、膝を抱える手足は枯れ枝のように細かった。
彼はその暗く沈んだ黒い瞳で、怯えと警戒心をむき出しにしてオレを睨みつけていた。
(……人間の、子供? なぜ、こんな深部に……)
オレの頭の中で、いくつかの情報がゆっくりと繋がっていく。
的確に薬草を調合し、骨を固定するサバイバルの知識。森の魔物から剥ぎ取ったであろうツギハギの服。そして、人間の姿を見ても助けを求めるどころか、親の敵を見るように警戒しているその態度。
「……君が、オレを助けてくれたのか?」
オレは極力敵意がないことを示すため、両手をゆっくりと開いて見せ、低い声で静かに語りかけた。
少年はビクッと肩を震わせると、オレには全く聞き取れない、異国の呪文のような発音で早口に言葉を返してきた。
「ーーーッ、ーーー、ーーー?」
(……言葉が、通じない?)
オレは内心で息を呑んだ。
見たこともない顔立ちに、聞いたこともない言語。
この深部の森で遭難した異国の隊商の生き残りか? それとも、もっと幼い頃から何らかの理由でここに留まり、たった一人で生き抜いてきたのか。
(……これほど異常に快適な魔法構築の空間を、こんな幼く非力な子供に作れるわけがない。おそらく、過去の高位魔導師が遺した遺跡か何かを偶然見つけて、ここに隠れ住んでいるんだろう……)
疑問は尽きない。だが、一つだけ確かな事実があった。
この言葉も通じない、オレをひどく警戒している得体の知れない少年は、自分より遥かに大柄で素性の知れないオレを見捨てず、死地から引きずり出して手当てをしてくれたのだ。
自分の身の安全を第一に考えるなら、オレの物資だけを奪って見殺しにするのがこの森の鉄則だろうに。
「……すまない、驚かせたな。申し訳ない」
オレは折れた肋骨の痛みに耐えながら、座ったまま深く頭を下げた。
「オレはノクス。ただの冒険者だ。……君に危害を加えるつもりは一切ない。助かった、恩に着る」
言葉は通じなくても、感謝の念と敵意のなさは態度で伝わるはずだ。
頭を上げると、少年は少しだけ目を丸くして、戸惑ったように首を傾げていた。こちらの意図を探るように、黒い瞳が瞬きをしている。
過酷な泥と血の世界で、彼がどれほどの孤独を味わってきたのかは想像もつかない。
だが、オレの命が彼に拾われた以上、この恩は必ず返す。それが、死線をくぐり抜けてきた冒険者としての矜持だった。
オレは少年の警戒を少しでも解くために、これ以上は不用意に動かず、ただ静かに、敵意のない苦笑を浮かべてみせた。
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