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第13話 拾い上げた命

 生臭い血と、深く掘り返された湿った土の匂いが森の空気に充満している。


「……ひどい有様だな」


 僕は足元に転がる、原形をとどめていない肉塊を見下ろして顔をしかめた。


 つい数十分前まで、この辺りで大規模な魔物の群れによる暴走スタンピードがあったらしい。なぎ倒された樹齢数百年はあろうかという巨木と、えぐれ返った腐葉土の痕跡が、その理不尽な破壊の規模を物語っている。


 僕は索敵のために意図的に薄く開いている『識の原典(アーキタイプ)』の視界を頼りに、泥だらけの惨状の中から「使えそうなもの」を物色していた。


 少し離れた大岩の陰に、魔物に踏み潰されたであろう現地人(人間)の死体を見つける。僕は小さく手を合わせて黙祷してから、彼が腰に下げていた頑丈そうな革の小袋と、刃こぼれしていない短剣をありがたく回収した。


(……ごめんなさい。でも、僕が生き残るためには、使えるものは全部使わないといけないんです。無駄にはしませんから)


 彼らが野蛮な無法者であれ何であれ、死んでしまえばただの物言わぬ「物体」だ。僕のような貧弱な人間がこの狂った森で生き残るには、こうやって強者たちの争いの跡からおこぼれを拾い集めるしかない。


 さらに僕は、巨大な狼の魔物の死骸から、比較的綺麗な毛皮と、罠の素材になりそうな丈夫な腱(アキレス腱)を石のナイフで手早く切り出していく。


「……ん? まだ音がする」


 物資を漁りながらさらに奥へと進んでいくと、ズドォォン!という腹の底に響くような重低音が空気を震わせた。


 僕は拾った荷物を抱え直し、音のする斜面の方へと木陰からそっと覗き込んだ。


 そこでは、装甲車のように分厚い岩の鱗を持った巨大な魔物と、灰色の髪をした一人の人間の青年が、真っ向から激しく斬り合っていた。


(……人間だ。また、この森に迷い込んだのか)


 僕の胸中に浮かんだのは、生存者を見つけた喜びよりも、強烈な「警戒心」だった。


 以前出会った人間たちは、敵意ゼロの僕を見るなり、言葉も通じないまま問答無用で殺しにかかってきた。この異世界の人間は、見境なく他者を襲う好戦的で野蛮な存在ばかりだというのが、僕の中での確定事項になっている。


 あの灰髪の青年は、異常なほど剣の腕が立つ。巨大な魔物の突進を最小限の動きでいなし、的確に装甲の隙を突く無駄のない洗練された動き。この森の強力な魔物たちとも正面から渡り合えるほどの、極限まで研ぎ澄まされた技術を持っているのは一目で分かった。


(うわぁ、すごい身体能力。やっぱりこの世界の人間って、戦闘民族バーバリアンしかいないのか……)


 だが、どれだけ腕が立とうと、相手は理不尽な質量の塊だ。やがて青年は魔物の巨大な尾によるなぎ払いを腹部にまともに食らい、斜面の泥の上へと無様に吹き飛ばされた。


 大量の血を吐き、青年がぴくりとも動かなくなる。


 魔物が、その頭蓋を噛み砕こうとゆっくりと巨大な顎を開けた。


(……ああもうっ、見殺しになんてできるわけないだろ!)


 いくら野蛮で危険な異世界の住人とはいえ、まだ息のある人間が目の前で食い殺されるのを、物資を漁るついでに黙って見過ごすほど、僕の精神は魔物に堕ちてはいなかった。


 最悪、助けた後に恩を仇で返して襲ってきたら、その時はまた足を泥沼にでも沈めて逃げればいい。


 僕は『識の原典(アーキタイプ)』の焦点を一気に絞り、青年の背後にある急斜面の構造を観測した。


 腐葉土の層、岩盤の傾斜角、そして土壌に含まれた水分の偏り。


 大気中の粒子を視線と意志で束ね、その斜面の「土と岩盤の結合面」へと一気に流し込む。物理的な摩擦係数を強制的にゼロへと書き換える、環境操作のことわり


「――崩れ落ちろ、大地の雪崩なだれ! 『グランド・コラプス』!」


 自分を鼓舞するために適当にでっち上げた日本語の魔法名と共に、斜面を構成していた土砂の結合が完全に破綻した。


 轟音。


 青年を食い殺そうとしていた魔物は突如として足場を失い、数千トンもの土砂のうねりに飲み込まれて、斜面の下へと無様に押し流されていく。


 僕は粒子の流れを微調整し、倒れている灰髪の青年の周囲の土だけが「クッション」のように彼を包み込み、ゆっくりと安全な場所まで滑り降りるように誘導した。


 土煙が晴れた後、僕は斜面を降りて青年の元へと駆け寄った。


 魔物は土砂崩れに巻き込まれて完全に生き埋めになり、当分は出てこれないだろう。僕は青年の顔を覗き込む。


「……生きてますか? おーい」


 完全に気を失っていた。


 『識の原典(アーキタイプ)』を通して青年の身体の構造を観ると、肋骨が数本折れ、内臓にもダメージがあるのが分かる。


 この傷を、僕の魔法で即座に治すことはできない。生命という強固な意志を持つ不可侵の領域に強引に干渉すれば、世界の理に弾かれ、僕の脳がパンクしてしまうからだ。


 もし魔法で治癒を行うなら、相手の意識(魂)が理の干渉を受け入れる状態であり、かつ世界の理を大きく逸脱しない範囲(自然治癒の促進など)に留めるなど、極めて複雑な手順が必要になる。だが、今の僕にはその精密な理を構築する技術はない。


 つまり、僕の洞穴ホームに連れ帰って、物理的に添え木をして看病するしかない。


(……それにしても、立派な鋼の剣だな。危ない危ない)


 僕はまず、青年が気を失いながらも手に固く握りしめている長剣の指を一本ずつ剥がし、むしり取った。


 恩を仇で返すのが、僕の知る限りこの世界のスタンダードだ。目を覚ました瞬間に僕をバケモノ扱いして、この凶器で斬り捨てられてはたまらない。自衛のための武器没収は基本中の基本である。


 ズシリと重い鋼の感触に、青年の尋常ではない筋力が窺い知れた。


「よし、じゃあ運ぶか。……よい、しょっ……と」


 僕は長剣と拾った物資を肩にかけ、青年の脇に手を入れて持ち上げようとした。


 ――ビクともしない。


(……重っ!? なにこれ、見かけによらずすっごい重い!)


 灰髪の青年は長身で、まるで俳優のように引き締まった均整のとれたスタイルをしている。ゴツゴツとした岩のような巨漢ではない。しかし、その内側には極限まで鍛え上げられた密度の高い筋肉がみっちりと詰まっており、おまけに革と金属の混ざった装備の重さもある。


 一方の僕は、長引くサバイバル生活で万年栄養不足気味の、青白いガリガリの高校生だ。抱え上げて運ぶなんて、物理的に不可能だった。


「……仕方ない。ごめんね、ちょっと荒療治になるけど。どうせ気絶してて痛くないだろうし」


 僕は周囲を見渡し、自生している強靭なつるの束へと視線を向けた。


 どうにかしてこの重たい『手のかかる遭難者』を、僕の泥の城まで持ち帰るための算段を立てながら、小さくため息をついた。


【読者の皆様へ】

誰かがこの物語に目を留めてくださったこと、そして「面白かった」「続きが気になる」と楽しんでいただけることが、今の私にとって何よりの喜びであり、執筆の大きな力になります。

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