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悪役令嬢、追放後の酒造り。──その一滴、世界を救う。  作者: 南蛇井


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14/22

裏切りと救済

夜更けの王都。

神殿の最奥――人々が“知の聖域”と呼ぶ、地下の資料庫は静まり返っていた。


白い大理石の柱が果てしなく並び、

その間を渡るように並ぶ書棚には、何百年もの信仰と記録が眠っている。

燭台の炎が小さく揺れ、その度に金文字の背表紙が淡く光を返す。


外は雪。

窓越しに射す青白い月明かりが床の大理石に反射し、

まるで氷の川が流れているかのようだった。


空気は冷たいが、

静けさの中にただ一つ、命のような音が響いている。

――羊皮紙をめくる、かすかな音。


その音の主は、一人の修道女。

銀糸のような髪を肩に垂らし、薄い外套を羽織った若い女性――コーデリア。


彼女は机に広げた書簡の束を見つめていた。

震える手で羽ペンを取り、墨壺に浸す。

灯火がその瞳に映り、青くゆらぐ。


古びた報告書の表題には、

『辺境クルナ村・神罰の記録』と刻まれている。


コーデリアは、そっと息を吸い込んだ。

その吐息さえ、図書庫の空気に吸い込まれるように消える。


「……神よ、どうか、見ていてください。」


小さく呟き、ペン先を走らせた。

インクが紙を染めていく音が、祈りのように響く。


「原因:信仰の堕落」

→ 「原因:地下水の発酵反応」


「悪魔の酒“星酔”」

→ 「自然発酵による未知の酵母生成」


書き換えた部分を見つめ、コーデリアは手を胸に当てる。

燭台の火がわずかに強まり、彼女の横顔を照らした。


――その顔には、恐怖よりも確信が宿っている。


「神は、命の働きを否定しない。

 ならば――泡の息も、神の造りしもの。」


静かな声が、石造りの壁に反響する。

外では雪が降り続け、

その白い粒が、まるで泡のように窓を流れ落ちていった。



夜更けの神殿資料庫。

静寂を裂くのは、わずかな羽ペンの擦れる音だけだった。


高い天井の下、無数の書架が並び、古の羊皮紙が冷たい空気の中で眠っている。

一本の燭台が、白い石壁にゆらめく影を描いていた。


コーデリアは机に積まれた報告書の山を前に、細い指で羽ペンを握っていた。

指先は震えている――だが、瞳だけは真っ直ぐ、揺るぎがなかった。


報告書の表題には、重々しく刻まれている。

「辺境クルナ村・神罰の記録」


その文字を見つめ、彼女はひとつ深呼吸をした。

吐息がランプの火を揺らし、影が机の上を波のように走る。


ゆっくりとペン先を走らせる。

インクが羊皮紙を染める音が、やけに大きく響いた。


「原因:信仰の堕落」

→ 「原因:地下水の発酵反応」


「悪魔の酒“星酔”」

→ 「自然発酵による未知の酵母生成」


――わずか数行の書き換え。

だが、それは教会の教義そのものを覆す“罪の一筆”だった。


コーデリアはペンを静かに置く。

震える息を整え、胸の前で十字を切った。


燭火の光が、彼女の瞳に淡く宿る。


コーデリア(心の声):「神は、命の働きを否定しない。

 ならば――泡の息も、神の造りしもの。」


その祈りの言葉が、静寂の中に溶けていった。

まるで、泡が静かに弾ける音のように。


扉が、**ギィ……**と低く軋いた。


静まり返った資料庫の空気がわずかに揺れ、コーデリアの背筋が固まる。

振り向くよりも先に、柔らかな布の擦れる音がした。


白衣の修道女が二人、静かに入ってくる。

その足取りは祈りのように穏やかで――同時に、告発の予感を孕んでいた。


そして、その後ろに現れたのは、

銀糸の法衣をまとい、氷のような瞳を持つ男――教皇代理レクシオン。


燭台の炎が彼の銀髪を撫で、石床に長い影を落とす。

その姿は、まるで神の審判そのものだった。


レクシオン:「夜更けに筆を執るとは……勤勉だな、コーデリア。」


低く響く声。

一見、称賛の響きを帯びているようで――その奥に、刃の冷たさが潜んでいた。


コーデリア:「……少し、記録の誤りを正しておりました。」


わずかに息を整え、視線を逸らさずに答える。

だが、その指先が机の下で震えているのを、誰も見逃さなかった。


レクシオン(微笑を崩さず):「誤りか。

神の記録に“誤り”があると?」


その言葉が、静寂の中に落ちた刃のように響く。


沈黙。


修道女の一人が机に歩み寄り、書きかけの羊皮紙に手を伸ばした。

指先でそっと撫でると――新しいインクの香りが、微かに立ちのぼる。


まだ、乾いていなかった。


燭火の揺らめきが、レクシオンの瞳に反射する。

その光の中で、冷たい笑みがわずかに深まった。


レクシオンは報告書を手に取り、

白い指先で**「トン、トン」**と軽く叩いた。

その小さな音が、広い資料庫の静寂を鋭く裂く。


蝋燭の炎が揺らぎ、コーデリアの頬に影を落とした。


レクシオン:「“神罰ではない”……そう記すのか。」


低く抑えられた声。

だが、言葉の一つ一つが冷たい刃のようだった。


コーデリア:「真実です。

あの村の酒は、命を奪ってはいません。

むしろ、人を笑わせ、癒やしています。」


その声は震えていない。

小さくとも確かな信念が、彼女の胸の奥に灯っていた。


レクシオンは静かに目を細める。

その瞳はまるで、冷えた聖水の底を覗き込むように無感情だった。


レクシオン:「それが悪魔の誘惑だ。

幸福を与えるふりをして、魂を腐らせる。」


資料庫に、風のない寒さが降りた。

古い書の束が一枚、ふとめくれる。


だがコーデリアは、視線を逸らさなかった。

その瞳には、かつて神に憧れた少女の純粋さではなく――

“真実を見てしまった者”の光が宿っていた。


コーデリア:「では問います。

笑うこと、祈ること、愛すること――

それも“堕落”ですか?」


その言葉に、空気が止まった。

どこかで蝋がパチリと弾ける音がした。


レクシオンの瞳が、ほんの一瞬だけ揺れる。

しかしすぐ、冷たく硬い信仰の仮面が戻る。


レクシオン:「お前の信仰は泡のように脆い。」


その言葉を、コーデリアは微笑で受けた。

唇に宿るのは諦めではなく、確かな確信。


コーデリア:「泡はすぐ弾ける。

でも――その瞬間に、光るの。」


静寂。


燭火がまた揺れ、二人の影を重ねては離す。

その狭間で、ひと粒の“泡の光”のような信念が生まれていた。

レクシオンの指が、静かに空を切った。

その合図ひとつで、背後の修道女たちが一斉に動く。


ガタン――!

机が倒れ、羊皮紙が雪のように宙を舞った。

インクの染みが床に散り、灯火が揺らめく。


コーデリアは両腕を掴まれる。

だが、抵抗する力よりも早く、言葉が口をついた。


コーデリア:「神は人を縛らない!

 もし泡が罪なら、命も罪になります!」


その叫びが、冷たい石壁に反響する。

資料庫の天井が低く唸り、古文書がぱらぱらと落ちた。


だが――返ってくる声はない。

祈りの館に、ただ沈黙だけが降りる。


レクシオンは背を向け、静かに言葉を落とした。

その声は、祈りの終わりを告げる鐘のように冷たかった。


レクシオン:「連行せよ。

 彼女の名は今日より“異端”とする。」


修道女たちが腕を強く引く。

コーデリアの足が滑り、倒れかけた蝋燭の炎が揺れる。


その光が、一瞬だけ彼女の顔を照らした。

頬を濡らすものは――涙ではなかった。


瞳の奥に宿るのは、消えぬ光。

泡のように儚くとも、確かに燃える命の輝きだった。


コーデリア(心の声):「……神は、見ている。

 泡の中にも、私たちの祈りを。」


彼女の外套が翻り、扉の向こうに闇が広がる。

その中で、わずかなインクの匂いだけが――信念の残り香のように漂っていた。


神殿の回廊に、靴音が響いた。

白い石の床に、雪混じりの風が流れ込む。


黒い修道服の裾を翻し、コーデリアは駆ける。

背後では鐘が鳴っていた――。

それは祈りの音ではなく、異端を告げる鐘。


ゴォォォン……

ゴォォォン……


響くたび、胸の奥で信仰が軋む。

だが、彼女は立ち止まらない。


夜の雪が降りしきる中、鐘楼の影を縫うように走り抜け、

裏門の鉄扉を押し開ける。

冷たい風が顔に当たり、息が白く散った。


その瞬間――。

彼女の外套の内側から、小瓶がひとつ落ちる。

**カラン……**と音を立て、地に割れた。


割れた瓶の中から、淡い光の泡が一粒、ふわりと立ちのぼる。

雪の夜に、まるで命の残響のように漂い、やがて消えた。


コーデリアはそれを見上げ、そっと呟く。


コーデリア:「……神は、きっと見ている。

 泡のひと粒にも、祈りは宿るって。」


鐘の音が遠ざかる。

代わりに、風の音と泡の余韻が夜を包む。


ナレーション:

「その夜、信仰の城に初めての亀裂が入った。

 それは裏切りではなく――救済の始まりだった。」


雪が泡の光を飲み込み、

闇の中で、静かな再生の息吹が確かに芽吹いていた。




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