解放【1】
ロディカ=ランスウェル帝国は西大陸の中心を治めている、巨大な軍事国家だ。北をノリアース海。東にキルト海を挟み、大陸南部には他国の侵入を防ぐように存在する密林地帯がある。
首都ユグランは大陸北西中央部に位置し、住人の殆どが人間だ。能力者に対する差別意識が非常に強い街でもある。
それは帝国の頂点に君臨する皇族の影響に他ならない。皇族の祖は、かつて能力者を殲滅したと言われる英雄イリノイズ。
彼は両親を能力者に殺害された過去があったという。能力者を嫌う元凶はこの恨みが後世に根付いている所為かもしれない。
それに加え数十年程前、皇族の1人、現在皇帝に当たるヴァルツ三世は偉大な功績を人間社会にもたらした。人間でも、素質があれば能力を扱えるようになったのである。
それはまだ治癒術などの細々した日常生活に必要なものばかり。能力者と比べれば力量は、余りにも低い。比較する価値すら無いと言われている。
だが、これを軍事に転用させる動きがあるという。それが事実ならば、再び世界は戦火に見舞われるかもしれない。
一体、この国は何処に向かっているのだろうか……?
軍人だけではなく、科学技術を重宝する帝国では科学に携わる者も優遇されている。
クリエスの生家がある、タストリーニャ地区には多くの科学者が居を構えていた。帝国有数の貴族であるルクストン公爵家は、そんな科学者達を纏める役目も担っている。
タストリーニャ地区、最奥にある広大な屋敷――ルクストン邸から出て行こうとしている小さな人影があった。
物音を立てず、誰にも気付かれないように出掛けようとしていたのだが、思わぬ伏兵に見付かってしまう。
「あれぇ、クリエス様。お出掛けですか?」
「っ、リア……」
玄関の扉を開こうとしていたクリエスは、使用人に呼び止められ足を止める。リアと呼ばれた少女は手にしていた雑巾を背中に隠すと、クリエスの元に駆け寄った。
「今日は非番だと伺ってましたけど、一体どちらへ?」
「え、えぇと、ね。ちょっと、野暮用で」
「野暮用?」
リアは、目をしばたたかせると首を傾げた。しかし、その表情は直ぐに不機嫌なものへと変わる。
「まさか、またあの凶悪な大罪人に呼び出されたんですか!?」
「凶悪って、大袈裟な……」
「凶悪ですよ! だって、能力者じゃないですか!!」
この街に住む大半の人間は、軟禁されているウィリアムに対して良い感情を抱いていない。人間が支配する最大にして最強の帝国。皇族の祖が肉親を殺されたように、先祖を、家族を殺された国民が大多数だ。
被害に合っていなくとも、幼き頃より叩き込まれた能力者に対する蔑視は消えない。それにより、何かあれば能力者の所為だと皆喚き立てる。
クリエスも、ウィリアムと出会う前は能力者なんて汚い野蛮人だと思っていたぐらいだ。世界を汚すとんでもない種族だと、そう毛嫌いして。
見方は変わったが、それを口にする事はない。何故なら、この国で能力者を擁護する事自体、罪に問われる可能性があるからだ。それ程に能力者に対する差別意識は強かった。
「あのね、リア。彼は関係ないわ。今日は任務に関する事で、軍法会議所に用があって」
「お嬢様のお仕事は、あの大罪人の世話が主だと聞いております。軍の資料がある、会議所に何の用があるのですか」
「うっ、それは……」
鋭い、と舌を巻きそうになるのを堪え、クリエスは何とか突破口を開こうと笑顔を張り付ける。
「リッ、リズ兄様にちょっと用事があるのよ」
「リアの知る限り、オッシュ様は休日に仕事を押し付ける方ではなかったように思いますが」
「そりゃあ、あたしが自主的に動いてるんだもの。リズ兄様は関係ないわ」
「関係ないのに、何故訪ねる必要があるのです?」
ああ、墓穴を掘ったかもしれない。クリエスは身体中から溢れる大量の汗を隠すように、一歩身を引いた。
クリエスの友人でもあり、長い間過ごしてきたリアがその些細な仕草を見逃す筈もなく、クリエスから自白させようと距離を詰めようとする。
だが、それを実行する事は出来なかった。
「――おや、クリエスにリアではないですか」
突然降ってきた声に二人の動きはピタリと止まる。声のする方へ視線を向けてみると、そこには軍服を身に纏った長身の優男――リズリーが屋敷の隣にそびえ立つ、自分の背より遥かに高い椎の木の上に立っていた。にこりと笑顔を見せるリズリーに、クリエスとリアは個々の反応を見せる。
「相変わらず、神出鬼没だわ……」
「お嬢様、何関心してらっしゃるんですか! オッシュ様!! ききき、危険ですからね!? 今すぐ、今すぐに降りて下さい!」
リアの悲鳴じみた声に、リズリーはのんびりとした体で軽く手を振った。
「大丈夫ですよ。これくらいの高さなら、落ちても死にはしません。まぁ、骨は何本か折れ内臓も損傷するかもしれませんが」
「それを危険だと、申し上げているのです!」
「リアは心配症ですねぇ」
リアは本気で心配しているのだが、リズリーは全く意に介していない。その証拠にヒラヒラと足を動かし、木々を揺らしている。
下手すれば、枝が落ちてしまいそうだ。
二人の会話を傍観していたクリエスは、小さく息を吐く。
(……兄様は、相変わらず人をからかうのが好きよね。軍人がそう簡単に、醜態を晒すわけないじゃない。それに……)
忌々しいというか、今となっては恥ずかしい記憶がクリエスの脳裏に過る。リズリーが知らせも無しに訪問してくる時は必ず、何か嫌な事が起こるのだ。
「っ、お嬢様……!!」
何を言っても無駄だと悟ったリアは、クリエスに助けを求めてくる。クリエスはリアを制し、リズリーへ目を向けた。
「リズ兄様。何か、用があるならさっさと教えて。このままだと、リアが心労で倒れてしまうわ」
「おや。それはいけないね」
そう言ってリズリーは満足そうに笑うと、その場から跳躍した。
リアが悲鳴を上げる間もなく、リズリーは無事に屋敷の庭に着地した。両足に負荷はかかっただろうが、大きな怪我は一つもしていない。
けろりとした表情で、腕を組んでいる。
唖然とするリアを横目に、リズリーはクリエスに笑い掛けた。
「クリエス、よく見抜きましたね。昔はよく騙されてくれたのに」
「もう子供じゃないもの。それに、アイツがーー」
「アイツ?」
「っ、何でもない!!」
反射的に顔を背けたクリエスに、リズリーは微かに目を開く。その目は何かを探るような鋭いものだったが、クリエスはそれに気付く事なく言葉を続ける。
「それより! 兄様! 用があったんでしょう?」
「……ああ、そうでした」
リズリーは懐からあるものを取り出し、クリエスに手渡した。幾重にも封をされ、分厚い紙の束である。
「これは、書状よね……? っ、えぇ!?」
封の印を見ると、軍のものではない。この国の最高権力者と思われる印がきつく刻まれているではないか。
クリエスは顔を上げると、リズリーへ救いの目を向けた。
「リズ兄様……!」
「うーん、残念ながら事実なんですよね。何でも、勅命だそうですよ」
「勅命ぃぃ!?」
クリエスは目の前が真っ暗になった。
一介の軍人に、皇帝陛下が一体、何の命を下すというのだろうか。
封を切ろうとする手がプルプルと震えてくる。
記されていた文字、それはーー




