100年の鎖【2】
リズリー・オッシュ。彼は少女の直属の上司であり、兄代わりとも言える存在だった。若輩者ながら軍上層部に身を置き、師団長も任されている実力者でもある。
柔らかな物腰と、暖かな雰囲気を持つ事から軍人と見られない事が多々あった。
本人はそれを気にしているのかいないのか、聖職者として潜入するのもありですねと笑えない冗談を溢していた。
「お恥ずかしい所を見られてしまいました……。こんな状態では、世話役として失格ですね」
そう言って頭を下げたまま項垂れる少女に、リズリーは大丈夫だと声を掛ける。
「彼には手を焼いてしまうのは我々とて同じです。私も何度逃げられ、苦汁を飲んだ事か。貴方が気にする事ではありませんよ。それと、クリエス」
「はい?」
名を呼ばれ顔を上げると、額に鋭い痛みが走る。叩かれたのだと自覚し、額を撫でる頃にはリズリーの顔が至近距離にあった。
「リズリー、様」
「今は二人きりです。そのような堅苦しい言い方は止めて下さい」
「で、でも! もう私も軍に属している身ですし、上下関係は重んじなければ――!」
「おや、兄の言う事は聞けませんか?」
にこり、と自分に向けられた綺麗な笑顔にクリエスの口は動きを止める。笑っている筈なのに、その瞳は強い怒りが宿っているように見えた。
素直に謝らなければ自分の身が危ういと察知したクリエスは、思いきり首を横に振ると砕けた口調に戻す。
「聞くわ。ちゃんと聞くから、その目止めて!」
「ふふ、宜しい」
リズリーは満足したのか、クリエスの頭を優しく撫でてていく。その表情に先程の黒さは全く見えない。見間違いだったのではないかと記憶を疑いたくなる程に、リズリーは穏やかに笑っていた。
柔らかな金の髪を梳くように撫でるリズリーを横目に、クリエスはある事思い出す。それは去り際のウィリアムとの会話。
「……そうだ。ねぇ、リズ兄様。ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「ん? 何ですか」
「何故、ウィリアムはこの塔に幽閉されているの?」
リズリーの細められていた目が僅かに動く。それを見逃す筈もなく、クリエスはリズリーに詰め寄った。
「何か、理由があるんでしょう? 大罪を犯した能力者ってだけで、こんな町外れに野放し状態なんておかしいもの。大抵の能力者は、死刑に処されているのに」
世話役になった時からずっとクリエスが抱いていた疑問。確かに幽閉されてはいるが、ある程度の自由は利くし軍の高官がやたら面会に訪れるのだ。罪人の扱いとしては何処かおかしい。
クリエスの問いにリズリーは深い溜め息を吐く。澄んだ藍色の瞳を細め、クリエスの頭から手を離し腕を組むと、彼の纏うケープが風に揺れた。
「……丁重に扱うのは、彼が我等の貴重な鍵だからですよ」
「鍵?」
紡いだ言葉を反復するクリエスに頷きを返し、リズリーは天井を仰いだ。
「ええ。唯一無二の貴重な生きた資料。彼が居なければ帝国の、今の繁栄は成り立たない……」
ドクン、と心臓が跳ねたように感じ、クリエスは胸元を抑えた。聞き慣れない単語やリズリーの様子にいい知れない不安を感じる。やはり何か、あるのだ。軍中枢だけでなく、国全体を取り巻く何かが。
「リズ兄様、それは……」
「これ以上話す事はありませんよ、ルクストン少尉」
「ッ、」
軍の階級で呼ばれ、クリエスは言葉を飲み込んだ。それは、これ以上踏み込めば只では済まない、という警告。到底納得出来るものではないが、自分の権限では発言する事すら許されない。此処は素直に従うべきだろう。
「すみませんね、クリエス」
「ううん、軍に機密事項が多い事ぐらい分かってるつもりだから。こっちこそ、安易に質問してごめんなさい」
会話が途切れ、二人の間に何とも言えない沈黙が流れる。先程の質問が質問だけに、どうやって会話を再開させれば良いのか悩んでしまう。
クリエスが口を開けば、再びウィリアムの話題が出る可能性が高い。それを避ける為にも今は黙って居る方が得策だ。
気まずそうに視線を周囲に向け続けるクリエスを一瞥し、リズリーは小さく笑みを溢す。
「そうです、クリエス。貴女に長期の任務が下されるようですね。準備はしているのですか?」
「へっ?」
クリエスの動きがピタリと止まる。その表情は驚きに満ちていた。寝耳に水だと言わんばかりの反応を見せるクリエスに、リズリーは目をしばたたかせる。
「……おや? 初耳ですか?」
「初耳も初耳! 今、初めて聞いた。何それ、一体どういう事!? あたし、何も聞いてない!」
狼狽するクリエスに対し、リズリーは顎に手を当て疑問を口にする。
「おかしいですね。通達するように頼んでおいた筈なのですが……。ラッセンからは何も?」
「何も! いつもの如く嫌味言われただけよ。貴族様の癖に、辺境までの長期任務とか大変だなーって、……あぁっ!!」
今朝交わしたある会話を思い出し、クリエスは眉間に皺を刻む。
「……ねぇ、兄様。もしかして、それって東大陸に渡るっていう内容じゃないよね?」
同期であり、喧嘩仲間でもあるラッセンの話を否定するようにリズリーに声を掛ける。だが、返ってきたのば眩しい程の笑顔と、残酷な内容の言葉だった。
「ええ、そうですよ。壮大な森林地帯を抜けて、東の端にある“時の白塔”に向かう隊商の護衛――だった筈です」
にこにこと笑うリズリーに、クリエスは一瞬だけ殺意を抱いた。
東大陸といえば、未だに能力者が住まうと言われる村が点在している危険地帯だ。人間が支配階級に君臨しているとはいえ、安易に足を踏み入れていい場所ではない。
そんな場所に何故隊商が?という疑問は抱きつつも、受けなければいけないのかという重圧感で、喉がカラカラに渇いていく。
断るのは簡単だろう。だが、クリエスはまだ士官学校を出たばかりの新人だ。家柄が良いとはいえ、断れば上司からの嫌な圧力が掛けられる事は間違いない。
縋るようにリズリーを見つめ、クリエスは言葉を紡いだ。
「け、決定事項ですか……?」
「ええ、決定事項です」
思わず敬語で問い掛けたが、結果は何も変わらず心は重たいまま。クリエスが絶望するかのように深く息を吐き出し肩を落とすと、優しい温もりが頭上に掛かる。
顔を上げると、其処にはクリエスの頭を撫で朗らかに笑うリズリーの姿があった。
「詳細は後日話しますよ。大丈夫です、危険な任務ですからきちんと人員を確保します。貴女一人だけ送ったりはしませんから」
「ほんとに!?」
「ええ」
「よ、良かったぁ……」
ホッと息を吐き、クリエスは床に座り込んだ。一人で任務を熟さなければならないと思っていただけに、クリエスの安堵感は相当なものだった。任務を受ける事自体は憂鬱だが、一人で背負うよりは仲間がいた方が何かと楽だ。
座り込んだまま立ち上がらないクリエスを見て、リズリーは目を細める。
「ふふ、相変わらず単独任務は苦手のようですね」
「どうせ、あたしはまだまだ軍人に成り切れてませんよ!」
「はいはい、拗ねない拗ねない」
頬を膨らませむくれるクリエスに笑みを溢し、リズリーは彼女に手を伸ばす。その手を受け取り、クリエスは礼を口にするのだった。
◇◇◇
夜の帳が下りる頃、ウィリアムは塔の最上階へと来ていた。
吹き抜けになっている最上階は風がよく通る。髪を風になびかせながら、下に広がる街並に目を細めた。
光が灯る城下町。先日、皇帝の生誕祭があったらしい。その名残からか、連日のように街は賑わいを見せていた。
其処に彼等は何も知らない。この街の発展に多大な犠牲があった事を。そして、それが今でも続いている事を。
頭を軽く振り柱に寄り掛かると、ジャラリと音が鳴る。目線を落とせば月明かりに輝く金属が目に入った。
「此処に来て、もう100年になるか……。随分と長く飼い馴らされたモンだな」
動く度に揺れる手足を縛る鎖。最初の頃は不便だったが今では慣れたもので、鎖があっても無くても能力は扱える。
小さく息を吐き、震える空気に耳を澄ませた。一定の感覚で聞こえる空気の振動に、微かな雑音が入る。それに笑みを溢すと、ウィリアムは吸い込まれそうに深い、最上階内部の暗闇を見つめる。
「何の用だ? 今日は仕事で忙しいっつってなかったか?」
「……何だ、気付いていたのかい」
誰もいない筈の暗闇から1人の人間が姿を見せる。能力者のように軽い身の熟し方から、通常の人間ではないようだ。
「お前の気配ぐらい、簡単に読める。何だ、また鍵が足りないってか?」
「いや違う。今日は君に朗報を持ってきたんだ」
「朗報?」
姿を隠すように暗闇に身を潜めたままの人間の言葉に、ウィリアムは怪訝そうに眉を潜める。
次の言葉を待つかのように暗闇を見つめていると、ゆっくりと人間が動いた。
「君を一旦、解放するよ。何処へでも、好きな場所に行くといい」
予想外の知らせにウィリアムは驚いたが、声を上げる程ではなかった。人間である彼が発する言葉には、きちんと意味がある。それを考えると安易に喜べない。
「……単なる釈放とは思えないな。何か意図があんだろ?」
「さあね」
彼の口元が綺麗な弧を描く。それが答えだった。
「そうかよ……。ま、残念ながら期待はすんなよ。俺は俺のやりたいようにやる。アンタらの言いなりにはならねぇ」
ウィリアムの言葉に彼は笑みを溢す。それは酷く明るい声色だった。
「構わないよ。最終的に目的を達成出来るのなら、ね。詳しい内容は明日、アイツにでも聞いて」
「相変わらず、説明は他人任せなのな……」
彼に呆れたような息を吐いて、ウィリアムはキラキラと光り輝く城下町へと再び目を向ける。
「……さあて、どう動こうか」
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