王国の影
黒いローブの男――その存在がレオンの心に引っかかっていた。
魔物が村の近くに現れたこと自体も不審だったが、村人の証言からして、偶然とは思えない。誰かが意図的に何かを仕掛けている可能性が高い。
「まったく……隠居生活が台無しだな」
レオンは溜息をつきながら、森へと足を向けた。黒いローブの男が目撃されたという村の外れを調べるためだ。
小さな川を越え、茂みを抜けると、そこには使われていない古い小屋があった。壁は崩れかけ、屋根には穴が空いている。もともと村の猟師が使っていたらしいが、今は誰も住んでいない。
「ここか……?」
慎重に近づき、小屋の扉を押す。ギィ……と軋む音が響き、中の様子が露わになった。埃っぽい空気の中、机と椅子、そして何かの書物が置かれている。
レオンは警戒しながら近づき、本を手に取った。
「魔導書……か?」
分厚い革表紙に刻まれた古代文字。それは魔術師が使う高等魔法の書だった。こんなものがなぜこんな場所に?
ページをめくると、ある一節が目に留まる。
「召喚術――魔獣を操る秘術」
「……なるほど」
村の近くに魔物が現れたのは、やはり自然現象ではなかった。誰かがこの書に記された召喚術を使い、魔獣を呼び出したのだ。
「なら、その”誰か”を見つけないとな」
レオンは書物を閉じ、小屋を後にした。
⸻
村へ戻ると、広場で子どもたちが遊んでいた。彼らの笑顔を見ていると、この静かな日常を守らなければならないという思いが強まる。
「レオンさん!」
声をかけてきたのは、村の若い猟師リックだった。
「さっき、また黒いローブの男を見たって話が出てるんです。村の東の丘の方へ向かったらしいです」
「東の丘……」
そこは村の外れにあり、人の出入りが少ない場所だ。怪しい人物が身を潜めるにはうってつけだろう。
「リック、村の皆には警戒を呼びかけてくれ。特に夜は外出しないように」
「わかりました!」
リックが村の方へ駆けていくのを見届け、レオンは剣を腰に差し、東の丘へと向かった。
⸻
丘の上は風が強かった。
レオンは慎重に足を進める。すると、遠くに黒い影が見えた。
「いたな……」
黒いローブの男が、何かを唱えている。地面には魔法陣が描かれ、そこから黒い煙が立ち上っていた。
「召喚術か……?」
レオンが一歩踏み出した瞬間、男が気づいた。
「……何者だ?」
低い声が響く。フードの下から覗くのは、痩せこけた顔と、ギラついた目。
「ただの隠居暮らしの男さ」
レオンは肩をすくめつつ、しかし視線は外さない。
「貴様……!」
男は杖を振り上げ、魔法を放とうとする。
しかし――
レオンの動きはそれよりも早かった。
瞬時に距離を詰め、男の手から杖を叩き落とす。
「なっ……ぐあっ!」
男の腹に拳を叩き込む。吹き飛ばされ、地面に転がる男。
「貴様……何者だ……!」
「だから、ただの隠居暮らしの男だって言ってるだろ」
レオンは男を睨みつけながら問いただした。
「お前は何者だ? なぜ村に魔物を放った?」
「……俺は”使い”だ」
男は唇を歪め、嘲るように笑った。
「王国は、お前を探している……勇者レオンよ」
「……!」
レオンの目が鋭くなる。
「やはりな……」
レオンは内心、諦めに似た感情を抱いた。王国は、自分の生存を知ってしまったのか。
「王国の命令で、俺を捕らえに来たのか?」
「フッ……いや、“お前を試せ”と言われてな」
男は懐から小さな水晶を取り出し、それを砕いた。
瞬間――
魔法陣が赤く光り、巨大な魔物が姿を現した。
「グォォォォォ……!」
それは四足の獣に巨大なコウモリの翼を持つ異形の存在だった。
「試すってのは、そういうことか」
レオンは剣を抜き、低く構える。
「面倒だが……片付けるしかないな」
魔物が咆哮を上げ、牙をむいて襲いかかってくる。
レオンは深く息を吸い、静かに目を閉じた。
「“勇者”の剣……お前たちに見せるつもりはなかったんだがな」
次の瞬間――
レオンの剣が光を放ち、戦いが始まった。