第一話 ある日、ワクチンが擬人化しまして
20××年、世界中でパンデミックが起きていた。当然、私もうがい、消毒、マスク、フェイスシールド、手袋と頑張って対策していた。ちゃんと人と二メートルの距離もとり、黙食も完璧!
もちろん、ワクチンだって打った。副反応が酷いという噂を聞いたので、帰り道はアイスパックなども買う。その準備も完璧なはず。SNSにも「ワクチン接種済み」とプロフィールに書き、何だかとてもいい気分♪
もっともブラック企業のうちの会社がちゃんとワクチンを用意していた事は疑問だが。休みもなく、残業三昧で、事務職の私がなぜか社長の息子の子守りにも駆り出されているような所だったが、ワクチンの副反応に限ってはやすやすと有給がとれた。ブラック企業だったが、案外優しいのかもしれない……。
「ああ、熱上がってきた! 副反応きた!」
家に帰って体温計を使うと、予想通り副反応が始まっていた。
SNSに今の体調を実況中継しつつ、意外と楽しんでいた。思えば一人暮らしのアラサー女の私にろくな趣味もないし、こんな状況でも休めるのって素晴らしい。
しかし、そう呑気に構えていたのも油断し過ぎた。想像以上に熱が上がり、ワクチンを打った右腕が痛い。指先すらピリピリしてきたような。
「朋美、副反応きついよ。こんなもんなの?」
私は友人に電話をかけていた。名前は浅木朋美という。メンタル・ヒーリング・セラピストという仕事をしていた。自営業だったが、その仕事内容は私はよく知らない。私と違ってクールで現実主義者。共通点は独身アラサー、貧乏という事ぐらいだったが、不思議と友達付き合いしていた。
「え、歩美、ワクチン打ったんだ。そう……」
朋美の反応は煮え切らない。否定も肯定もされなかったが、だんだんと副反応が苦しくなり、電話すらできない。
気づくと、倒れるようにベッドの上に転がっていた。視界がぐるぐるする。汗が止まらない。倦怠感がすごい。気持ち悪い。なのに吐けない。頭痛や腹痛もしてきた。意識がだんだんと遠くなる。これはやばいかもしれない。
「ねえ、呼んだ?」
そのせいなのか。幻を見てしまった。ベッドサイドにイケメンがいた。
白衣を着込み、黒髪のイケメンだった。凛々しい眉毛と切れ長の目はメガネとも最高に似合う。鼻は彫刻みたいに高く、口元は絵画のように美しい。背も高く、凛とした百合の花のような雰囲気。ああ、眼福。幻とはいえ、こんなイケメンが側にいるなんて。
イケメンはおかしな事を言う。幻を見ている私の頭の方がおかしい訳だが、目が離せない。こんなイケメンがおかしな事を言うはずが無いのに。
「俺、ワクチンが擬人化した存在なんだ」
あまりにもおかしい。おかしいが。
「ええ、イケメンなので許すわ」
そんな事を口走っていた。そう、私はイケメンに目がない。大好物だ。これがチー牛だったら速攻で通報するが、イケメンだったら許す。家に不法侵入されているのも許す。そもそも私の幻なんだし、好きに解釈してもいいんじゃない?
「俺はお前たちを疫病から救う救世主だ。メシアと呼んでもいい」
「メシア様!」
どうやらイケメンは俺様キャラらしい。堂々と話す素振りは、余計にイケメンに見えてしまう。こんな副反応にうなされているのに、私の目はハートになり、声色も黄色に染まっていた事だろう。
「いや、メシア様は大袈裟だ。ワク様と呼んでくれたまえ」
「ええ、ワク様! 素敵……」
ワク様は私の右腕を取り、注射した跡のバンドエイドの上に口づけしてきた!
これには私は顔が真っ赤。副反応のせいで赤くなっていたが、さらに茹でタコのようになっていた事だろう。
「わ、ワク様!! 何を……?」
「大丈夫さ。俺が疫病から救ってやる。お前も必ず俺が守るから」
ワク様に熱く見つめられ、私の脳は溶けていきそう。
もう何も考えたく無い。幻という自覚もある。夢かもしれない。夢なら永遠に覚めて欲しくない。
私はうっとりと目を細め、この素晴らしい幻に酔い始めていた。