第八話 ふざけんな
気を取り直して、ダーヴィットに会いに離れに向かう。
気は重いが、先延ばししたところでダーヴィットの滞在が延びるだけだ。
ところが、離れにダーヴィットはいなかった。
つかせていた侍従によると、災害時は人手があっても困らないだろうと、避難所を見に向かったという。
心優しいダーヴィット。
高位貴族なのに人を慮れるダーヴィット。
でも、私にはもう必要ないし、余計なお世話でしかない。
領主夫人の昔の知り合いが領民の前に顔を出すなんて、憶測しか呼ばない。
急いで町に向かうと、領民に紛れて作業するダーヴィットの姿があった。
目眩がした。
侯爵家の子息に作業させるなんて、まるでこの領の身内のようだと言われても反論出来ない。
夫が行方不明の辺境伯夫人が若い男を招き入れ、我が物顔で振る舞わせている。
そう思われても仕方のない状況だった。
私は姿を見せずに護衛騎士に連れて帰らせ、応接間でダーヴィットと向き合った。
私の様子から、自分の行動を良く思われていないことを感じ取ったのか、おずおずと聞いてきた。
「……僕は少しでもシーヴの力になりたかったのだけれども、問題があったのかな?」
言わなきゃ、分からないのかよ。
私は溜め息をついて、板にカリカリとひとつひとつ理由を書いて、……やめた。
私とダーヴィットは昔の知り合いというだけの間柄だ。ただ、それだけなのだ。
紙を抜き取り、一言だけ書いた。『お引き取りください』と。
「いや、僕は君を迎えに来たんだ。君を蔑ろにするこんな家は出て、僕と帰ろう!!」
『なぜ?』
「なぜ、って、僕は君を愛しているし、シーヴだってそんなに僕を愛してくれているじゃないか!! ベルツ家の借財については肩代わりすることで父上の許可は得ているよ。なんの心配も要らない。僕がシーヴへの気持ちに気付くのが遅くなってしまったばかりに、辛い思いをさせてしまった……」
『私はこの家で虐げられてはいません。私はヘンリック・メルネスの妻です。あなたとここを出て行くつもりは全くありません』
ダーヴィットは呆気にとられた後、考え込むように目を伏せた。
ようやっと伝わったかな?
「そういう風に言えって、言われているんだね……」
一ミクロンも伝わってなかった!!
今度は私が呆気にとられていると、ダーヴィットはすっと立ち上がった。
「今回はこれで失礼します。……諸々きちんと根回しをしてからまた来ます。……それまで、待っていて」
私の返事を待たずにダーヴィットは応接間を出て行った。
こ。
怖っ!!
人の話を全く聞かないどころか理解しない!!
怖っ!!
疲れ果てた私は家令に詳細を伝え、ダーヴィットとは今後一切の接触を断ちたいと望んでいることを伝えた。
待つわけないじゃん。
溜め息がとまらない。
鳥肌も収まらない。
とりあえず帰ってくれると言うから、ダーヴィットのことは後回しにしよう。
辺境伯がひょいっと帰ってきてくれたら、全部解決なんだけどなぁ。
ああ、幽霊も、まだ地下牢か。
一族が揃う前に、さあ、ちょっと話を聞いてみようか。
イヤな事はとっとと終わらせて、子どもたちとご飯を食べて湯に入って寝ようっと。
そうして向かった地下牢に、幽霊はいなかった。
跡形もなく消えていた。
牢が壊された形跡はない。ということは、手引きをして逃がした者がこの屋敷にいるのだ。
館内の捜索を命じて、子どもたちの部屋に急ぐ。幽霊は子どもたちに執着していた。
双子の部屋に二人ともいなかった。
さっき走って逃げた後、部屋に戻っていないのか?
「ロベルト様が一緒に本を読もうと連れて行かれました」
すごい形相で部屋に入ってきた私に驚きながらも、乳母がそう言った。
ロベルトが?
幽霊が現れたわけではないのなら安心、だよね? ……なら、なんでこんなに胸騒ぎがするの?
私はすぐさまロベルトの部屋に走って向かった。
誰も、いなかった。
『僕たちは母と行きます』
その一言だけ書かれたメモだけが机にあり、誰もいなかった。
ふ
ざ
け
ん
なああああああっ!!
最終的にそうなったとしてもだ。
それはきちんと当事者同士の話し合いをして、メルネス家としての今後も話し合ってから決めることだ。
それをすっとばして、とんずらなんて、させるかよ。
しかもあんな『いつもと様子が違います』感を出した子どもたちがいなくなって、放っておけるかっての!!
ここで私はメルネス家の暫定トップとして、権力を使いまくった。
災害対応も辺境伯の捜索も平時の領地経営も待ってはくれない。私だけじゃ無理すぎる。
その結果、三時間後には子どもたちの居場所が判明した。
メルネス家スゲーな。
子どもたちは平民にまぎれて避難所の一角に潜んでいた。町の避難所ではなく、イペントラ川に近い高台の避難所だ。
そこにロベルトとエルディスとカーリンと幽霊と……ダーヴィット一行が一緒だという。
なんで!?
なんで幽霊とダーヴィットが混じっちゃったの!?
どういうこと!?
もう陽が落ちかけている時間。雨も少し降ってきたけれども、護衛たちと向かうことにした。
町の避難所に身を寄せていた人たちは、浸水した家の片付けが終わった者たちから家に戻り始めている。しかし、イペントラ川沿いの被害は深刻で、日中は土砂や泥の掻き出しをして、夜には身体を休める避難所に戻る者も多くいたため、町ではなく近場にも避難所が開設されていた。
その天幕のひとつに近付くと、ダーヴィットの護衛が私に気が付いた。顔馴染みの護衛だ。
騒ぐわけでも威嚇するでもなく、目礼をして一歩下がった。
なんの抵抗もしないとは、どういう意味だろ?
天幕の中は無音だった。強くなってきた雨がパラパラと天幕にあたる音がしている。
人の気配はある。寝てる?
そっと横幕をめくると、ロベルトと目が合った。
一瞬ロベルトだって分からなかった。
泣きはらした目が埋没していたからだ。
その横には同じく一瞬誰か判別できないほど泣きはらした双子が眠っていた。
これは、泣いて暴れたな。
その横にぐったりした幽霊とダーヴィットがいた。
ははあ。泣き叫んで暴れる子どもたちの扱いに困りに困っての護衛の表情か。どうにかしてくれと。
「……シーヴ! どうしてここに?」
草臥れたダーヴィットが若干喜びを滲ませて聞いてくるが、それはこっちの台詞だしあなたに会いに来たわけじゃないし。
なんでそこにいるの?
「……言っておくけど、誘拐ではありません。私の子どもたちが自分の意志で母親について行く決断をしただけですわ」
なぜか幽霊も草臥れていた。
子どもたちの大泣き洗礼を受けたな? 母親と自称するんだから真っ正面から受け止めなよ。
情報を制限して偏った考え方にさせた上で判断させるのは、洗脳とどう違うのか説明して欲しいし、子どもたちが自分からついて行ったのならば、なぜ人相が変わるほど泣くわけ?
問い質そうとしたところで、私の護衛が「至急です」と話しかけてきた。
「奥様、風も出てきました。先日の嵐ほどにはならないでしょうが、地盤も緩んでいますので、他の天幕もたたませて皆で領主館に向かう手筈でよろしいでしょうか。途上にこの人数を収容出来る集落がありませんので」
ベテラン護衛がそう判断したのであれば私は従うまでだ。
「……すまない、シーヴ。あとできちんと説明させて欲しい」
申し訳なさそうに言うダーヴィットに頷く。
是非そうして欲しい。