第七話 不安と違和感
翌日は嘘のように晴れた。
家屋の被害も大きかったが、けが人も多く、残念ながらイペントラ川沿いの地区では、探しても探してもどこにもいない行方不明者が増え続けた。一方で時間はかかっても大切な人と落ち合える人も多くいた。
広場には行方不明者の名を示す板が設置され、自分の家族や友人が見つからないと名を書き込み、見つかれば名に線が引かれていった。
隣には伝言を書くための大きな板も設置され、滞在場所や避難先が続々と書き込まれていった。
三日経っても。
一週間経っても。
行方不明者の一番上に書かれた『ヘンリック・メルネス』に線が引かれることはなかった。
「シーヴ!!」
家令から前触れもなく予定にない来客だがどうするかと尋ねられ、誰かと尋ねたら、五年間お友達……いや、兄弟だったダーヴィット・アルテーン侯爵令息だという。
はて、何の用かと首を捻っていたら、件のダーヴィットが私を呼びながら近付いて来た。
案内もなく勝手に人の家を歩き回る無礼をする人ではなかったのに。
「シーヴ、迎えに来た」
……は?
「君はこの家で虐げられていると聞いた!」
はあ?
「借金のカタに後妻になって生さぬ仲の子どもたちの面倒を押しつけられ、子どもたちからは『偽物』と呼ばれ!! 家政だけではなく領地経営までやらされ働き詰めの日々なのに、夫となった辺境伯からは口も利かれないというのは本当か!?」
なにその正しくないけれどまるっきり間違ってもいない微妙な認識は。
「シーヴ、僕と帰ろう」
目の前にはキラキラと目を輝かせ、手を差し出すかつての想い人。
色々突っ込み所が多すぎて、どこから突っ込めば良いのか分からず唖然としてしまった。
その様子を自分の都合の良いように捉えたのか、ダーヴィットが私の手を取った。
「君が、……声を失う程に僕のことを思っていてくれていたというのに……シーヴを失ってから自分の気持ちに気が付いたんだ。僕もシーヴを愛している」
僕も。
も。
……も?
ぶわっ。
身体中の毛穴が開いて悪寒が背筋を駆け上がった。
ヤバいヤバいヤバい、めちゃくちゃ気持ち悪い。
生理的に無理なヤツだ……っ!!
も、ってなんだ!?
私が『今も』ダーヴィットのことを好きだ愛してるだのと、この人はそう言いたいの?
はああああぁぁぁっ!?
一気に頭に血が上ったのが自分でも分かった。
普段なら抑えられたかもしれないけれど、水害はあるわ辺境伯の行方は知れないわ幽霊は出るわと、私の許容量はとっくに限界を迎えていたのである。
そんな私が悪寒と嘔気と怒髪天を一度に起こすとどうなるか。
ぷつん。
はい、倒れました。
色々あって気が回らなくなっていた。
そんなの言い訳に過ぎない。
この場面を子どもたちが見て聞いていたことに気が付いていたのなら、すぐさまフォローしたのに。
不安にさせて泣かせてしまうだけではなく、あんなことになるなんて。
目を覚ましたのは割とすぐだった。
きちんと寝台に寝かされていて、側には『幽霊』に激似のミカル様が座っていた。
先々代辺境伯の弟、私からしたら夫の父方の大叔父である。
六十を越えたご老体とは思えないほどお元気で、医師を死ぬまで続けると公言なさっている。
「おや、気が付きましたかね? ああ、横になったままで。どれ、気分はどうですか?」
そう言って私の脈を取り診察を始めた。
気分は良くはない。
「つい昨日、あなたは無理をしてはいけませんと、言いませんでしたかな?」
言われました、はい。
「まあ、女主人としては正念場なのは承知していますが、その前に、あなたは妻で母である一人の女性です。夫が行方不明で、息子も助かったとはいえ死にかけた。そんなところに過去の亡霊も現れてしまい、心身が弱っているのですよ。ヘンリックが不在の今、あなたは一族の頂点で、その手を振るだけで良いのです。やらなければならないこと、やりたいこと、それらはあなた自身が動くのではなく、やらせる立場なのです。それを早く自覚なさい」
愛はあるけどガチな説教だ。ちえ。
分かっている。分かっているんだ。辺境伯が不在の今、私が最後に「うん、それで」と言う立場で、逆に言えば、そう言うだけで物事は動いていく。
だけど、動いていないと不安で。
自分の目で見ないと不安で。
私が不安になるとそれがすぐに子どもたちや使用人たち、領民たちに伝播しそうで怖い。
とても、怖いんだ。
「さあ、もう一眠りしなさい。ああ、そうだ。君のお客さんだがね、まだ話は終わっていないと言うので、離れの客室に案内したよ。あと『地下の』は、一族を今集めているから。すまないね私の孫が」
孫。そうか。幽霊は辺境伯の又従姉妹、ミカル様のお孫さんか。まあソックリだもんな。
ダーヴィットは追い返してくれなかったかぁ。
あ、自分できちんと決着を付けろって?
……はあ。溜め息しか出ないな。
ダーヴィットは何故あんな勘違いをして、「迎えに来た」なんて言ったのか。私は既に結婚しているし、私を迎えてどうするつもりなのか。まあ、私、行かないけどな。
もう私の中では終わったことなのに、今更感が半端ないわ。
寝なさいと言われたけれど、ロベルトたちの顔を見に行こう。ロベルトの甘えベタな照れを尊みたい。双子のただ可愛いだけのツンに癒やされたい。
いそいそと身体を起こす私に苦笑しながら、ミカル様がロベルトたちの所まで付き添ってくれた。
部屋ではロベルトと双子が一緒に過ごしていた。
ロベルトはミカル様から『起きてもいいが、ゆっくり過ごすように』と、まだ療養中である。部屋でゆっくりしていてもいいのに、双子のところにいるなんて珍しい。
私の姿に気が付いたロベルトが息をのんで一瞬だけ固まった。
おや、と、少し様子に違和感を持った。
エルディスとカーリンが一斉に怒り出した。
「にせもの! おとうさまがみつからないからって、このいえをのっとるきだな!?」
「うわきあいてをいえによんで、にいさまになにをするき!?」
怒っているのに顔も声も泣きそうだ。というか、泣いた跡がある。
来客……ダーヴィットが来たことがもう知れ渡っているのかよ。
乗っ取りに浮気、ねぇ。五歳児が自ら編み出す言葉ではない。ましてや、倒れた私に言う言葉ではない。
さあ、誰が、うちの可愛い子たちに吹き込んだのかな?
「お、おこったってダメなんだから」
「おこるときはほんとうのことをいわれた、ずぼしいってやつだ!!」
双子はそう言い捨てて、パタパタと逃げた。
ずぼしい。……『図星』か。
可愛いしかないわ。
残されたロベルトが気まずそうに目線を床に落とした。
こちらもどうした。
いつもなら飄々と「シーヴ様、ご心配をおかけいたしました。お加減はいかがですか?」くらい言うのに。
二人を見てくると退室したロベルトを引き止められず、違和感を感じながらも見送った。