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第三話 ベルツの剣帯

 

 こけこっこー。


 字面(じづら)通りの鳴き声が起床の合図。

 重だるい身体を起こすと、掛布がずり落ちた。今日も色んな(あと)がついた自分の身体を見下ろして息をのんで隣を見るが、辺境伯の姿はもうない。温もりすらない。

 夜は早めに部屋に下がるが、辺境伯は朝が早い。いや、実はまだ朝じゃないんじゃないかと思っている。起きて見送ったことないから分からんが。

 彼は雄鶏(おんどり)たちが鳴くよりも早く起き出し、稽古を始めるのだ。


 贅沢だけど、朝から湯に入る。

 ほぼ毎日のことだから、既に侍女たちによって支度はされており、手伝いは断って一人で入らせてもらっている。湯の支度だけでも大変だし、時折……嘘、いつも、とても恥ずかしいことになるからである。


 カタ。


 朝稽古で汗だくになった辺境伯が普通に入って来た。

 もう一回言うよ。私が入っているのに、普通に入って来るんだよ。

 スッパで。

 色々ご立派な身体を流したら、普通に湯船に入って来て、普通に私の背後に収まり、普通にくっついてくるんだよ。

 色々今更だけど、これを侍女さんたちに見られるのはさすがに恥ずかしいわ。


 結婚当初はこんなことなかったのに、突然始まった習慣に戸惑ったけれど、人間は慣れる生き物だということを現在進行形で思い知っているところだ。


「奥様がお子様たちと一緒に湯に入っていると知った時の旦那様のお顔ったら……」


 辺境伯はなんで入ってくるのかな? 扉に『使用中』の札でもかけた方がいいかな? と悩んでいたら、古参の侍女長がそう呟いた。

 いや、「……」の先を教えて欲しいのだよ。私が子どもたちと一緒に入るようになったからって、なんで父親も(なら)うの? なら、皆で入っている時に来れば良いじゃん。むしろ父親が子どもたちを洗ってやってもいいのに。そう思うのはナシなのか? むう、貴族の家長め。


 そんなこんなで、辺境伯夫人と継母という職を得てから怒濤のように半年が過ぎていった。

 血は繋がらずとも和気藹々(わきあいあい)な家族が出来上が……るはずもないわ。半年ぽっちで。


 ロベルトの八歳の誕生日。

 辺境伯家の紋章と(いにしえ)の言葉で(いくさ)に向かう人の無事を祈るまじないの言葉を刺繍した剣帯を贈った。


 その場の全員(私と双子以外)が凍り付いたように固まった。


 ベルツ領では普通のことで、私の生家に伝わる刺繍なのだが、何かやっちまったのだろうか。


 ベルツ領は鉱山が発見されるまではただの荒くれどもの集まりで、私のひいひいひい爺様が頭領の傭兵集団だったのだ。

 金払いが良ければどんな戦にも男たちは(おもむ)いて、結果、本人の代わりに少しの金と剣だけが戻ることが多かった。

 ……傭兵はいつの時代も最も危険な前線へ配置され、危なくなったら切り捨てられる安い命として扱われてきたのは、悲しいけれど事実である。

 いつの頃からか、帰りを待つ女たちは、送り出す男の剣帯に古の言葉を刺繍で刺すようになった。

 古の言葉には不思議な力が宿り、まじないとなった。


 この言葉は当時、領を通りがかった賢者様が授けてくれたものだと言われている。

 (いわ)れを聞いた人の八割方は胡散臭そうな顔をするが、まあ、贈り物は気持ちが大事ということで、突っ込みは聞かない。


 普通にハンカチにちょこっと刺繍するのとでは手間が天地の差だ。

 だって、剣帯は革で作られている。

 革に直接の刺繍は難しい。出来なくはないけれど、多分年単位の仕事になるからやらない。

 まずは布に刺繍して、それから革に縫い付けるのである。布も丈夫な厚手の布なので、指が死にそうになる。針は何本も折れる。心も何度か折れる。

 革に縫い付けるのも一苦労だ。針を刺すところにまずは穴を穿うがち針を通しやすくする。革に直接針は通らないから、この穴がないと無理。


 ロベルトの剣術の稽古が始まっていると聞いて、それならばとすぐに作り始めたが、出来上がったのはロベルトの誕生日ギリギリだった。

 子ども用だからそんなに剣帯も刺繍も大きくないけれど、辺境伯夫人としての仕事をしながら隙間時間を利用して作ったから、いつもよりも時間がかかってしまった。


 間に合って良かった~、と思っていたのに、ナニこの空気???


「シーヴ様、あの、これは……僕に、だけ……?」


 ロベルトの誕生日なんだから当たり前じゃん。

 なんで主役と同じ物を他の人に贈るのさ。


「……ありがとう、ございます?」


 なんで疑問形なの?


「ぼくも!! ぼくのもつくって!!」


 エルディスが手を上げて主張する。


「わたしのも!!」


 カーリンまで手を上げだした。

 まあ、辺境伯家は女性でも剣を持つからね。

 私に懐かないくせに、そういうところはちゃっかりしている五歳児たちの誕生日は来月だ。

 私はちゃんと用意中ですとも。二人は欲しがるのが目に見えていたからね!

 でもそんなことは馬鹿正直には言わないよ。


 作るためには、時間が必要だと知らせると、双子は作ってもらえないかと思ってショックを受けた後、二人でごにょごにょと相談を始め、そして小さな小さな声で「つくっているときはしずかにする」と言った。


 勝った。

 完・全・勝・利!!


 これで午後の時間を少し刺繍にあてられるわ。

 とはいえ、二本となると単純に倍の時間がかかる。ちょっと急がねばなるまい。

 今後の予定を頭の中で組み立てるのに忙しくて、私はこの場の雰囲気が凍ったままであることも、ロベルトが溜め息をついていたことにも気が付かず、私の軍門に下ったのが悔しいやら作ってもらえる嬉しさやらで、複雑な顔をしている双子をのんきに可愛く思って見ていたのである。







 その夜、無言の辺境伯に抱き潰された。


 次の日から辺境伯夫人の仕事は家令と侍従長と侍女長に振り分けられ、双子の相手以外一日の大半がフリーになった。


 一体辺境伯の何のスイッチを入れてしまったのか分からずに混乱している私に、家令は大人用の太い新品剣帯を渡してきて、「旦那様の誕生日は先月でございました……」と責めるように言った。


 知ってるよ! 一緒に祝ったじゃん!?

 私からの革手袋の贈り物も、辺境伯は無表情で受け取ってたけれど超愛用してくれているよね!? あれだって、なめすのも縫うのも大変で手間なんだよ!!


「……奥様」


 家令の後ろから侍従長と侍女長も私を『じと』っと見ている。


「剣帯は剣を持つ者にとってとても大切なものです。当家とこの領の平和のためと思って、どうか先に」


 意味が分からないながらも、三人合わせて勤続百年の圧に負けた。


 こうして、私は最優先で大人用の太い方の刺繍をチクチクする日々を送ることになった。

 いや、辺境伯は超立派な剣帯下げてるじゃんよ。しかも何個も持ってるし。……別に新しいのいらないよね?


 ふと、窓から中庭を見下ろせば、ロベルトが素振りをしていた。……贈った剣帯は着けてくれていない。くぅー、手強い子。


 ああ、指が死にそう。色々解せぬ。







 そんな引きこもりの日々の最中(さなか)、辺境に嵐がやって来た。


 いっぺんに。


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