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ヘンリック・メルネス そのに

 

 雨上がりの濡れた高台をそのまま進んで行くと、川が氾濫した付近に到達した。しかし、復興作業の跡はあるが、人がいない。避難所にしていただろう場所も、畳んだ資器材しかない。

 まるで慌てて捨てていったかのようだった。


「土砂崩れだ……」


 領民の一人が呟いた。崖の一部が崩れて川に(さら)われた地に流れ込んでいた。


 川が再度氾濫したのか? いや、であれば、もっと川の水は濁って周囲は(えぐ)れているはずだ。


「ヘンリック様、土が」


 騎士の一人が指差した地面の土が細かく隆起していた。大粒の雨が短時間に叩きつけるように降り、雨が上がって間もない地面だ。空を見ると晴れているが、遠くの方に雷雲が微かに見えた。


「短時間で嵐のように降ったか。ここにいた者たちは空の予兆から急ぎ避難したのだろうな」


 では、どこへ行くか。この周辺の他に大きな集落はない。急ぎ領主館に向かう他はないだろう。


 天候さえ回復すればまたこの避難所に人は戻ってくる。騎士を一人置き、領民四人はここに残るように言ったが、人の去った避難所に不安を覚えたのか、身体は限界だろうに共に行くことを望んだ。


 ここから先はもう隠れることはない。

 畳まれた荷物を確認すると、食料と水瓶があった。


 火を(おこ)し、川に流されて以来初めて、温かなスープを食べた。森の中では居場所が特定される火は使えず、木の実と草ばかり食べていたため、腹が驚かないように具のほとんど無い塩気も薄くしたスープだったが、心から旨いと思った。

 布や服もあったが泥に濡れており、足下も泥濘(ぬかる)んでいたのでこの格好のまま進むことにした。服を替えたくらいでは泥と垢まみれの身体に変わりは無い。無いが、顔を拭い、口をすすいだだけでも大分人間に戻ったような気がする。行軍中は泥と汗だけではなく血と(はらわた)の匂いが取れないことを考えると、我慢出来ないほどではない。


 火の始末をして出発した。途中で夜を迎えるが、山に少し入ったところに山小屋がいくつかあったはずである。火も焚ける。なんの恐れもない。

 自分の不在を守っているだろう領主館に向け、無事を知らせるために騎士を二人先行させた。


 ロベルトは無事だったろうか。ケガがなければ、次期当主として歯を食いしばって立っているだろう。双子も不安ながら兄に寄り添っていることだろう。

 子どもたちの背を支えているだろう妻は、自分の帰還を喜んで泣くだろうか。泣かなかったら()かせるまでだが。


 しばらく歩を進めていると、先行させた騎士たちが、騎馬一隊を連れて戻ってきた。


「ヘンリック様!! よくぞご無事で!!」


 領軍の副官が馬から下り、マントを掛けてくれた。


 ひとつ頷いて、状況の報告を求める。この付近にいなければ、先行した騎士たちと会い、こんなに早く来れるはずがない。水害と不明者の捜索状況を尋ねると、副官が言い淀んだ。


 こういう時に良い情報は出てこない。眼を揺らす副官に重ねて問う。


「報告を。なぜこの付近にお前たちがいたのだ?」


「は! ……我々は、奥方様とお子様方の捜索のため巡回中でした」


 血が沸騰するかと思った。身体中の毛穴が開くようだった。


 副官からもたらされた情報の中には理解し難いこともあった。

 ロベルトは無事であること。

 ビルギットが帰ってきたこと。

 妻の知人の侯爵家三男が訪問したこと。

 子どもたち三人がビルギットと出て行ったこと。

 侯爵家三男と合流し、先ほどの高台の避難所に隠れていたこと。

 妻が避難所に向かったが、雨雲の発達を予測し、避難所の皆で領主館に避難を決めたこと。その際に土砂崩れでケガをした領民を馬車に乗せ、妻をはじめ子どもたちは歩いて避難をしたこと。

 ケガ人を乗せた馬車が領主館に到着して事態が発覚し、馬車を組んで迎えに行ったが、道すがらに妻たちと会えずに、付近を探すも見つからず、馬車は領主館に引き返してきたこと。

 そして領軍が捜索を開始したこと。


 ビルギットと侯爵家三男……なぜ合流して隠れた? ビルギットの新しい恋人か?

 ……今はそんなことどうでもいい。


「妻と子どもらの捜索を最優先に。何か他に情報は?」


「はい、この先の住人が、日暮れ後、雨が本降りになる前に奥方様たちが寄られて、雨足が非常に強くなる恐れがあると声がけをいただいたと。それが得ている最後の足取りです」


「雨はいつ頃から強くなった?」


「日暮れ後から約一刻ほど、この一帯の局地的な大雨でした」


「ついている護衛の責任者は誰だ?」


「フーゴです」


 フーゴか。ならば、出来うる限りの行動を取っている。


女子(おんなこ)どものいる一行で、土が抉れるほどの雨足とくれば、どこかで雨宿りをしている可能性が高い。この辺に集落はないが少し山に入れば山小屋がいくつかあったはずだ」


「一行は三十人ほどだといいます。この付近の山小屋は狭く、護衛騎士の数からして分散は危険、選択肢に入らないでしょう。道を二往復しましたが、雨で流れて足跡も見つけられませんでした。道から外れてどこかで雨を避けたと考えていますが、雨が上がっても動き出さないのが気にかかります。念のため、各山小屋へは別隊が捜索に当たっています」


 三十人か。訓練された騎士ならば大雨を外套でやり過ごせても、ほとんどが領民であれば、どうにか雨宿り出来る場所を探すだろう。そしてそこが安全であれば、フーゴならば雨が上がっても動かず、騎士を使いに出して救助を待つだろう。


 その使いがないということは、使いすら出せない何らかの事情で、動けなくなっているということだ。


「ヘンリック様。住人の一人が」


 夜中にさしかかろうとしている中、話があると、小さな松明を手に近くの住人が来ていた。


「違うかもしれんのですが……」


 自信無さそうに言い淀んだが、今はどんな小さな情報でも欲しい。


「思い出したことがあるならば話してくれ。確認はこちらで行う。責は問わない」


「あの、ご一行にお声掛けいただいた後、本当にひどい雨になりまして。生憎、うちのあばら屋では皆様をお引き留めすることは出来ませんでしたが……、ワシらもいつでも避難出来るように準備していた時、地揺れがしたのです」


「地揺れ?」


「はい、土砂崩れのような。でも周囲を見渡してもどこも崩れておらず。それと、本当に違うかもしれませんが、この辺で大人数が雨宿りするとしたら、少し登った閉鉱山の(ほら)くらいかと。入ってすぐに作業用の広間があります」


 そうだ。この近くには鉱山があった。この閉山した鉱山の資料をベルツに提供したことがある。


「言いに来てくれて感謝する」


 副官を見ると、懐から地図を取り出して確認していた。


「盲点でした。確かに入り口が一つ、歩ける距離にあります」


「夜中にすまないが、礼はする。その入り口に案内してくれるか?」


 住民は「へい、もちろんです」と先頭に立って歩き出した。


 鉱山、地揺れ、嫌な組み合わせだ。

 そして、こういった嫌な予感は外れてはくれないものだ。


「入り口はこの辺のはず……なんですがね……」


 案内された場所は土砂崩れというか岩崩れというか、元々は上の方にあっただろう大岩が転がり落ちてきたようだった。その周囲には流れてきた土砂が堆積していた。岩肌や周囲の土の色から、流れてきたばかりなのが窺えた。雨で地盤が緩んだのだろう。地揺れの正体はこれか。


「洞の入り口はここで間違いないのか? だとしたらこれは……」


 全く入り口が見えない。完全に岩と土砂に塞がれてしまっていた。

 副官が住人に聞くが、違うと言って欲しいという願望が滲んでいた。


「他の入り口はあるか? 中での繋がりはどうか?」


 住人に問うが、「奥については良く知らんのです。ワシが知る入り口はここだけです」と力なく答えた。


 ここで妻たちが雨宿りしていると確定したわけではない。

 だが直感が、妻と子どもたちはここにいると告げていた。

 いるとしたら、ケガは? 明かりは? 空気は? 水は?

 気は焦るが、強制的に落ち着かせる。


 自分はヘンリック・メルネス。

 この辺境の地の責任者。

 自分の動揺は皆に伝播する。


 目を閉じて息を吸い、長く吐く。それを数回繰り返して目を開けた。

 今は夜中。活動には適していないが、もしも中に空気が流れていなければ息が詰り、保っても数時間だろう。時間との勝負となる。


 土砂を取り除いたら、もっと状況がはっきりする。本当にここが入り口なのかも判明するだろう。まずは土砂だ。


「火を焚け。騎士たちをここに集めろ。シャベルはあるか? なければ木の棒でも板でもいい。まずは岩を覆う土砂をよけろ」


 方針を決めると、騎士たちは役割を果たし始めた。住人が家にシャベルや資器材があると提供を申し出てくれたので甘える。


 空が白じんできた頃、岩肌が見えた。岩はとても人の手で動かすことが出来る大きさではなかった。テコで木をかましても、木が負ける。人がひとり通れる隙間が出来さえすればいいというのに、微塵も動かず、皆、途方に暮れてしまった。


 どうにか方法はないかと、岩に触れた時。


 カ……ン。カ……ン。


 手を通して微かな震動と共に音が聞こえた。


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