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ヘンリック・メルネス そのいち


本編の第五話から第十二話あたりの、ヘンリックのお話です。


よろしくお願いいたします。

m(_ _)m


 

「逃げろぉぉぉー!!」


 大雨の影響がどれだけかイペントラ川の水損状況を確認していた時だった。

 誰かの警告が聞こえたが、逃げる間もなくあっと言う間に身体が水に押し倒された。為す術もなくそのまま飲まれていく。視界の端にロベルトが見えたが、手が届かない。そのロベルトが木の枝に引っかかり、護衛のひとりが向かったのを確認し、意識を自分に切り替えた。


 中々に危機だ。


 水の勢いは強く、逆らうことはおろか、泳ぐことも出来ない。かろうじて浮いているが、沈んだら終わりだろう。

 幸運にもどこかの壁だった板が流れてきた。ナイフを突き立て取っ手にしてしがみついた。このまま勢いが弱まるまで身を任せるほかない。周囲の流されている者で手が届く者に手を伸ばし、ナイフを掴ませて上半身を板に上げてやり水を吐かせてやる。その者が腰に杭を何本か下げていたので、ナイフと同じく板に打ち込み、一人、また一人と、流れてもがく者をたぐり寄せ、杭を掴ませていく。自ら流木に掴まっている者もおり、時々手を引いて違う流れに乗らないようにし、共に流されていった。

 時折、うつ伏せに流れる仲間が視界に入ってくる。

 連れて帰って弔ってやりたいが、瞬きの後には自分が辿る未来かもしれず、目を伏せ名を呼び、鎮魂の祈りを送ることしか出来なかった。

 何人か流れて行く者を見送り、次は自分だと震えて泣き出す者を叱咤しながら、どれだけ流されただろうか。


 ふと足が着いた。


「足が着くぞ。ゆっくり岸に向かって蹴れ」


 声をかけると、最後の気力を振り絞り、皆、足掻くように水底を蹴った。

 流木と共に流されていた三人には流木を捨てさせ、皆で手を伸ばしながら何とか共に岸に上がることが出来た。


 八人。

 イペントラ川へは三十人で来た。既に現地にいた人数を考えても、半数近くが流された。無事を祈る。


 周囲を確認すると、見渡すばかりの森。隣国との国境は森の浅いところだ。間違いなくここは隣国に入っている。


 辺境伯たる自分が丸腰で入国していることが知られると、捕虜となる可能性が高い。そうなると色々面倒だ。


 助かった八人の内、領民が二人で後は騎士だった。各々の荷物を確認すると、手持ちの鞄などは全て流され、全員が着の身着のままだった。身に付けていた武器など、ナイフが数本あるだけで金目の物は無い。唯一自分の指に辺境伯たる指輪があるが、これは売れない。


 ケガも全員かすり傷程度だが、長時間濁った水に浸かっていたことを考えると、少しの傷も油断は出来ない。体力も奪われており、幾人かは今夜あたり熱を出すかもしれない。

 そもそも、水と食料の確保がない。辺りはまだ明るいが、陽は落ちかかっている。

 ひとまず身を落ち着ける場所を探し、手分けして湧き水と食べられる物を探すことにした。幸い、騎士たちは野営に慣れている。現地人と鉢会わないように、気配を殺しながら散策し、湧き水を見つけた。運の良いことに野生のピョータンも見つけた。丸い植物で中が空洞のため、水の器としてよく使われる物だ。とりあえず手に持てるだけピョータンをもぎ、水を注いで皆のところに戻り飲ませてやる。水が青臭くなるのは仕方がない。


 そのうち、食料を探していた騎士たちが木の実を持って帰ってきた。トワイニクスに何度か足を噛まれ、忌々しげにその辺に生えていた薬草を当てていた。トワイニクスは食べるところがない。残念だ。

 皆で少しずつ木の実を口にしながら、蔓を()って紐の替わりを作る。出来るだけ作り、皆が腰にピョータンを下げられるようにする。食料入れは重ね着をしていた服の裾を結んで袋にする。簡易にも程があるが、次の水場が分からない以上、出来る限りのことはしておかなければならない。

 まもなく陽が落ちる。今日は動くことをやめ、明るくなったら水場に寄り、食べられる物を採取しながら、静かに移動することにした。火を焚くことが出来ないので、獣が出たら仕留めるしかない。緊張を解くことは出来ないが、皆で休むことにした。


 その時だった。


 そんなに遠くない川沿いから雄叫びが聞こえた。

 一人、二人か?

 陽が落ちて夜行性の獣に襲われでもしているのだろうか。火の明かりは見えない。地元民が火を持たずに夜の森に入るとは思えない。そうなれば、流されてきたメルネスの者の可能性が高い。知らぬ土地に流れ着き、暗くなって錯乱したのか。

 慎重に近づいて、「死にたくない、助けて」と叫ぶ男二人以外に人がいないことを確認してから回収すると、やはりメルネスの者だった。二人ともイペントラ川の側に住む若い男だった。

 他に人は見たか尋ねると、二人は無言で首を横に振り、三人で岸に流れ着いたが、一人はもう息がなかったと言った。聞き出した格好から、死んだ一人は騎士だ。


 生きている者を優先する。

 それが為政者として正しい判断だ。

 だが、流されている時も何も出来ず、打ち上げられた仲間を弔うこともせずに、何が(あるじ)か。

 皆で月明かりを頼りに川へ向かい、もう目を開けない仲間の騎士を見つけた。どうにか連れて帰ってやりたい。だが、屍肉の匂いは獣を呼ぶ。髪の毛を一房切り、彼の衣服の一部を切り取ってそれを大切に包む。獣に掘り起こされないように木の棒と手で出来る限り穴を深く掘り、納めた。埋めて枯れ草をかけて隠した。


 終わった時には辺りは白じんでいた。


 身体は疲労していたが、水場に寄って持てる限りのピョータンに水を入れ、メルネスに向かって歩き出した。


 川沿いに人の気配が集まっていた。

 下流に人や家の残骸が流れ着いているのを隣国に発見され、調べに来たのだ。


 斥候して来た騎士が言った。


「人の声を聞いたとの証言があったようです。生きて流れ着いた者を探しています」


 昨晩の錯乱した声を聞かれていたのだろう。当の二人は「置いてってくれ」と覚悟をした顔をしているが、そんなことをするのなら(ハナ)から回収しない。


「死んでしまった者は帰りたくても帰れない。生きている我々は、帰るぞ」


 帰る。

 言葉が話せずとも、くるくるとその表情で言いたいことを伝えてくる妻の元に。

 領主が不在で、きっと、全ての矢面に立って、気丈に背筋を伸ばしているだろう妻の元に。


 帰るのだ。


 皆は無言で頷き、歩を進めた。

 隣国の捜索隊の動きを見ながら、静かに少しずつでも移動すること七日。


 傷と疲労から熱を出した者を順番に背負い、水場が見つからない時は狩った獲物の血を舐めながら。


 雨でも風でも晴れでも曇りでも。

 一歩ずつ、歩いた。


 最後の方は、帰ったらどう妻を()かせようかと想像することでしか己を奮い立たせられなくなっていたが、皆も同じようなものだろう。無言の中、漏れる呟きは女の名か食べ物の名か。


 森の浅い所を抜け、イペントラ川を見下ろした時、領民の男たちは(むせ)び泣き、騎士たちさえ目を潤ませていた。


 川に沿いながらも、離れて移動したのが功を奏し、隣国の者とは一度も接触することなく静かに国境を越えた。


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