護衛騎士の回想 そのさん
そして五年。
そわそわした雰囲気を秘めたヘンリック様の元に、とうとうベルツ男爵令嬢シーヴ様が嫁いでこられた。
失恋し、声を失うほどの悲しみを抱え、それでも約束を守りにメルネスに一人でやって来た。
少しでも心地よく過ごしてもらうため、使用人一同はあれやこれや気を揉んだ。
なんせ、ご当主が索敵以外に気が回らない野郎なんで。
馬車から降りてくる瞬間に泥団子が飛んできても。
結婚式がなくて婚姻誓約書にサイン一つで終わっても。
メルネスに慣れてから……なんて配慮もなく普通に夫婦の寝室に野郎が訪れても。
ロベルト様から「シーヴ様」と他人行儀に呼ばれても。
エルディス様とカーリン様から「偽物」と呼ばれても。
一人勝手に拗らせている野郎がほとんど話しかけなくても。
シーヴ様は怒りもせずに淡々と辺境伯夫人として手腕を揮っていた。
ロベルト様たちに対しては、可愛がって遊んでいるような楽しげな気配はあるのだが、対野郎には完全に『仕事モード』だ。
ありゃあ、恋情なんて要素は一つも無い、上官を見る目だ。
シーヴ様の『お金をもらったのだから仕事をする』という価値観は使用人から見たら小気味良かった。何一つ蔑ろにせず、苦手なことも「ぐ」という顔はするが給料のうちだとでも思って、一生懸命とりかかっている姿には好感が持て、館の皆も関わる領民も安心した。
イイ子が嫁に来た、と。
声は一生戻らないかも知れないが、もしかして戻るかもしれない。
ここ、メルネスの地で、傷が癒えたのならば、もしかして。
穏やかな心のうちを話してくれる声は、どれだけ涼やかだろうかと。
そう思っていた時もありました、ってな。
『うるせぇなぁ!! っつってんだよ!!』
『うるさいうるさい、あーうるせぇ!!』
雨宿りに寄った閉山した鉱山で、ビルギット様とダーヴィットとロベルト様に噴火したシーヴ様。
声が戻って第一声が「うるせぇなぁ!!」って。可愛い声なのに巻き舌で「あーうるせぇ!!」って。
今思い出しても笑いが出てしまうくらいに愉快痛快だ。
あのすました顔で、中身はきっといつも「うるせぇなぁ」と思っていたのだろう。一切顔に出さずに。
ビルギット様は異母妹だとヘンリック様が言った時なんかは、「メルネス家頭おかしいな」と口だけで呟いていたしな。本当に中身最高だな。
全くの同感だし、全ての事柄が腑に落ちた。
なんでそういうこと、言っておかないのかなぁ。
言っておけば、変態容疑も不能容疑もかけられなかったのにな。
どうせ「言ってなかったか?」の一言なんだろうな、ぼっちゃんは。
シーヴ様はメルネス家の女主人としてこの上ない人材だ。
仕事は有能。
子どもたちには一定の距離感を保ちながらも絶対に目を離さない。
……一日働いた後にヘンリック様に付き合える体力まである。
すげえの一言だ。
うちの嫁は夜も朝もなんて本当に嫌がるからな……。拝み倒すけど。
ああ、会いてえな。
孫が生まれるから娘のところに行ってんだけど、中々生まれなくてずっと行ったままだ。
「フーゴ」
「はい、奥様。何か?」
シーヴ様がお戻りになっていたとは。いかんいかん、護衛として思い出し笑いしている場合ではない。気を引き締めなくては。
「はい、これ」
アーネ様を出産し、翌年エーミル様を出産したシーヴ様は、お子様たちを乳母に任せ、久々に宿泊を伴う視察に帯同されている。
エルディス様とカーリン様がお留守番にごねるかと思いきや、アーネ様とエーミル様と一緒に眠れると大喜びで館に残った。
シーヴ様が笑顔で差し出してきた物に、思考回路が一瞬止まった。
緑の物体の束。
シーヴ様が野営も一緒にと譲らなかったため、皆で天幕を設営していたところ、「まあ『ご飯にもう一品』が歩いていたわ!」と言って、ヘンリック様とロベルト様を連れて森に入ったのが半刻前。
この辺は大型の獣も出ないし、ヘンリック様がいれば大丈夫だろ、ということで、俺たちは残って野営の準備をしていたのだが。
太い茎に蠢く根、牙のようにとがったギザギザのある二枚の葉をはくはくと動かし、まるで「離せ」と言っているかのような生き物の茎を両手で握りしめているシーヴ様。それはまるで絞めた鳥の首を持っているかのようだった。
「ここのトワイニクスは小さめなのね。なるたけ大きいのを捕まえたけど足りるかしら?」
両手を掲げて『にかっ』と笑うシーヴ様。
足りる?
何に、使うつもりだ?
待て、シーヴ様はなんと言って森に行かれたか。
……食べる気か!? トワイニクスを!?
「……え、まさか、貴族のヘンリックとロベルトが食べたことないのはまあ分かるけど、皆は食べるでしょう?」
そう言って随行の騎士たちを見渡したシーヴ様は「え、食べないの?」と驚いた後、「絶対うめぇのに!!」と叫んだ。
ヘンリック様とロベルト様は真顔で無言だ。
首を落とすように二枚の葉を落として、丁寧にギザギザを削いで焼き、葉肉ステーキに。
腹を割くように茎を割き、酸を抜くために水にさらして二回塩ゆでした後、茎と干し肉の煮込みに。
根は酒に漬けると滋味が出るという。
メルネス領内でトワイニクスを食べる習慣はない。近隣でも聞かない。
行軍する騎士はいざとなれば何でも食べるが、コイツは食べようと思ったこともない。
トワイニクスは肉も内臓もなく、皮も取れない。食用を考えたことがないのだ。……他にいくらでも食べる物があるしな。
「父上……ベルツ領への支援をもっと手厚く出来ませんか」
ロベルト様がそう言うと、ヘンリック様は無言で頷いた。
だよな。
他に食べる物がないから、食べざるを得なかったんだろうな。
「貧乏だから食ってんだろって思ってんでしょ!? それもそうだけど、美味しいんだからね!! 森のその辺にいるし、子どもでも捕まえられるし、捨てるところないし! 絶対皆の舌を唸らせてみせるから!!」
シーヴ様の何かに火がついた模様。
そんなシーヴ様を目を細めて見ているヘンリック様。
ああ……イイ嫁さんもらったな、ぼっちゃん。
そんな顔で見る人が嫁なんて、奇跡のような幸運だ。
無自覚な幼女趣味の初恋なのに、実って良かったな……。
あたりに嗅いだことのない匂いが立ちこめてきた。
匂いだけなら俺アウトなヤツだ。
まあ、食べてみようか。
領主夫人の手料理なんて騎士にとって光栄の極みだしな。
結論だけ言おう。
トワイニクスは、絶妙に微妙だった……。
ヘンリック様は行軍経験のある騎士だし、普段通りに無表情でもぐもぐ食べていた。
ロベルト様は……ガンバ。「出されたものに文句言わない」、「お残しは許しません」がシーヴ様の教育方針だからな。顔が真っ青だが、ママっ子だから意地でも食べるだろう。
シーヴ様はこれからもメルネスにたくさんの新しい風を吹かせてくれるに違いない。
時々、我々の常識を軽々と飛び越えて行く言動に笑いが止まらないが、清々しいお人だ。
天晴レ。
この一言に尽きる。
泣き声しか聞こえない領主館はもう過去のものだ。
今は泣き声と時々罵声と何よりも笑い声が響き渡っている。
この身体がある限り、メルネス家に仕えられることを誇りに思う。
……たとえ戦の最後の最後になっても、アレを食べずに済むように、メルネスの補給部隊が更に強化されたのは余談であり、シーヴ様に言うまでもないことだ。うん。
読んでくださり、ありがとうございました。
次回は別の人の視点です。
不定期更新です。
トワイニクスは完全に想像上の生き物ですが、葉はえぐいアロエ、茎は渋い蕗、根は泥臭い高麗人参の味をイメージしています。
シーヴは他に食べる物があっても、わりと好んで食べていました。
シーヴの母は他領から嫁いで来たので、絶対に食べません。絶対に。
鉱夫たちは酒があれば何でもいいので、たぶん認識せずに「まっずいなぁ!」と言いながら食べていたと思います。
領民は、本当に他に無ければ食べるくらいで、好んで食べるシーヴの手前「クソ不味い」とは表立って言えず……。
シーヴと一部の人たちの珍味設定でした。




