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第7話 熱く冷たい抱擁

簡単に人物紹介。

ルイーゼ嬢…精霊を操る公爵令嬢。第一王子から婚約を破棄された上、辺境の第七王子との婚約を命じられる。さらに、第一王子お気に入りのドロッセル嬢に呪いをかけたとして王城に軟禁された。

カイル王子…第七王子。ルイーゼを以前から慕っている様子。ルイーゼの危機を知り、馬で駆けてきた。

 私を囲んでいた衛兵たちが退いた。

 外の光を背負って歩いてくるカイル王子のために、道を空けたのだ。

「ルイーゼ嬢。お待たせして申し訳ございません」

「謝罪の言葉など、とんでもないことです。デンファ州から駆けてこられたのですか?」

 カイル王子の治める辺境は、デンファ州と名付けられている。古い言葉で「異民族に近い場所」を意味する、遠い土地だ。

「まさか、馬車も使わずに?」

 近くで見れば、カイル王子の肩には小さな木の葉が何枚か引っかかっていた。私はハンカチーフを取り出して、自分よりも高い位置にある鎧の肩を拭いた。

 突然繰り広げられる親しげなやり取りに、第一王子も含めて誰も口を挟まない。初対面とは思えない雰囲気に、私自身も驚いている。なぜか、カイル王子とは遠い昔に会っている気がした。


「木の葉まみれでお恥ずかしい様をお見せしました。ルイーゼ嬢、少しさがっていてください」

 カイル王子が微笑む。私を囲んでいた衛兵がさらに散開して遠ざかる。カイル王子が腰に帯びた剣を抜くと思ったのだろう。

「一応、王都に着いてから軽くぬぐったのですが。丸一日馬で駆けると、さすがに木の葉が鎧の細かい部分に引っかかるものですね」

 そう言いながらカイル王子は、持っていた誓約書を壮年の従者に預けた。もう一人の金髪の従者は、カイル王子と同年代に見える。

「丸一日も駆けたのですか、カイル王子?」

 普通の人間の体力で、そんなことができるのか。ましてや、カイル王子のような少年が。

「いや、ご心配なく。途中の宿場に馬を待機させて、換え馬にしましたから。まさか、人間を乗せた状態で同じ馬を丸一日走らせたりしませんよ。途中でバテてしまうし、かわいそうです」

「動物愛護の観点は大事ですが、そこではありません」

「はっはっは」

 快活に笑うカイル王子の傍らで、金髪の従者が布包みを開いている。何重にもくるんであるようだが、割れ物なのだろうか。

「よっし。傷一つないっすよ」

 くだけた口調で金髪の従者が言う。

「おお、ご苦労だった」

 それは人の頭ほどの大きさのガラス瓶だった。中できらきらと輝くのは、ただの水ではない。


《ほう! 活きのいい聖水だぜ!》

 独特な表現で、水の精霊が心に呼びかけてきた。霊験あらたか、とか、強い霊力を秘めた、とか言う方が一般的ではある。

「第一王子、ハンフリー殿下!」

 カイル王子が呼ぶ。この場で一番の権力者の名を、臆せず堂々と。

「この瓶の中身は、領地が誇る聖水です! 大切なドロッセル嬢が呪詛をかけられたと聞き、夜通し駆けて運んで参りました!」


 おおお、と人々がどよめいた。

「先々代国王の、あの?」

「愛妾が呪った時の!」

 人々が言い交わしているのは、かつて王都で起きた呪詛事件のことだ。

 およそ四十年前、捨てた愛妾に呪われて病床に臥した先々代国王は、この聖水を寝所に運ばせて散布した。国王は回復し、呪った愛妾は、手を組んだ邪道の魔術師とともに悲惨な最期を遂げたという。

「愛妾の死霊を退散させた霊験は、皆様お聞き及びでしょう。同時代に見聞きした方もおられましょう!」

 あくまで第一王子に顔を向けつつ、周囲の王族と貴族にも語りかける形でカイル王子は続ける。

「まことにルイーゼ嬢が呪詛をかけたのならば、この聖水に耐えられぬはずです!」


 ――ああそうか、恥ずかしいのは覚悟せねば。

 どうやらカイル王子は、私にあの瓶一杯の聖水をかけるつもりのようだ。呪詛をかけたという疑いを晴らすために。あるいは嫌疑を明らかにするために。

 ――私は無実ですもの。公衆の面前でずぶ濡れになるくらい。

 幸い今日は透けにくい素材のドレスを着ている。胸元が濡れれば肌に布が貼りつくかもしれないが、扇で隠せる。眉は整えているが、私はもともと化粧をしていない。化粧崩れの心配は皆無だ。

 問題は、冷たい水がかかっても顔を歪めずにいられるかどうかだ。

 ――いえ、耐えましょう。頭から聖水をかけられても水晶の化身は乱れなかったと、後世に語り伝えられてみせましょう!


 表情を崩さず、目を開いてカイル王子を見る。金髪の従者がガラス瓶の封印を開ける。

「行きますよ、王子!」

 従者の声と盛大な水音が重なった。

 清々しい霊気をともなって水が飛び散り、私の頬を点々と濡らす。

 ずぶ濡れになったのは、カイル王子だった。 前髪から雫が落ちる。雫の奥から、黒い瞳がこちらを見る。

 水もしたたる良い男――というよく分からない表現が極東の国にはあると国際政治学で習ったが、今の私には深く納得できる。清い水が一人の男性をこんなにも美しく修飾するのだ。


「どうもすいませんね、うちの王子が。床を拭くもの、ありませんか?」

 金髪の従者が申し訳なさそうに周囲を見回す。

「まったくやることが極端なんだから」

 壮年の従者がぼやきながら自分のハンカチーフを取り出し、濡れた床を吹きはじめた。王族や貴族の間からメイドがあたふたと走りでて、一緒になって床を拭く。


「ルイーゼ嬢が呪詛を行っているのならば、聖水をかぶった私に触れられないはずです。そうですね、ハンフリー殿下」

 カイル王子は第一王子の返事を待たず、私に両手を差し伸べた。

「おいでなさい、ルイーゼ嬢。私があなたをお守りします」

 私の潔白を信じて疑わないその黒い瞳に、惹きつけられる。一緒にずぶ濡れになってしまってもいい。

 手にした扇を胸の谷間に差しこんだ。はしたないと言われても構わない、両手でこの人を包んであげたい。

 会ったこともない婚約者のために馬で駆け、王族や貴族の前でずぶ濡れになってみせる、気概あるカイル王子を。 

 ぶ厚い、濡れた手のひらに触れる。鎧の手甲に覆われた手の甲にも触れる。王子の体を伝う聖水が、私の指を、腕を濡らす。

「抱擁のお許しを」

 カイル王子のささやきに、私はうなずいた。この手に触れるのが鎧では嫌だ。黒髪の毛先と耳が触れあうあたりを手で覆う。カイル王子の手が腰に回るのが、感触で分かる。

 聖水に濡れた冷たいはずの抱擁は、ひどく熱かった。 


ここで第一章のハッピーな締めくくり。ですが、続きますよ! 

ブックマーク・評価・いいね、ありがとうございます。嬉しいです。

作者のモチベーションがどんどん上がってきます。時間をうまく使って、たくさん更新できるよう工夫していきます。

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