第11話 令嬢と王子の業、黄金のハンマー
半年ほど留守にしていました。帰ってきました青山しおです。
令嬢とは何か。
地位と、得られる限りの力と、品位だ。
泥まみれで庭に転がっているドロッセル嬢を見ながら、ルイーゼはあらためてそう思う。
「気味の悪い魔術女! この汚い土くれをどけろ!」
ドロッセル嬢が悪態をつく。その体を太縄のごとく拘束しているのは、土に変化した土の精霊であった。
《言ってくれるね。どっちが汚いんだか》
普通の人間には聞こえない声で、土の精霊が毒づいた。
「王妃になって何が悪い! ハンフリー様だってあんたのこと嫌いだよ!」
王妃を目指して何が悪い、というのが正確だろう。ハンフリー王子に嫌われている点については、まったく否定しない。
《土の精霊さま。この人に聞こえるように名乗って差し上げてください》
《はいよ》
泥の一部が小蛇のようにうねり、ドロッセル嬢の頬をつつく。
「どくわけないでしょ、ド何とかいうお嬢さん」
「ひっ」
間近で聞こえた低い女性の声に、ドロッセル嬢は顔を引きつらせた。
「わたしはねえ、土の精霊。主が身を寄せた場所に無断で入る奴は絶対に逃がさないんだよ」
泥の拘束が枝分かれして、ドレスの上からドロッセル嬢の体を締めつけた。言葉にならない罵声が上がった。
「あ、あんたが悪いんだ! あんたが偉そうにお高く止まってるから!」
「おかしいな。あなたとルイーゼは直に口を利いたことがないそうだが。皆の前でルイーゼ嬢からの初対面の挨拶を無視したと聞いている」
カイルが感情のこもらぬ声で言った。
「ルイーゼさんはあなたに嫌がらせをしたそうですけれど、その話はどうなったんですの? ご自分のついた嘘くらい覚えていらっしゃいな」
レベッカは容赦がない。普段が優しく可愛らしいだけに落差が激しい。カイルの若い従者が「震えるぜ……」とつぶやくのが聞こえた。
「何の目的でいらっしゃったのですかな、ドロッセル嬢」
泰然とした声音でホッファーが聞く。しかしその目は油断なくドロッセルの全身を窺っている。
「時が来るから! 時が来るから! あはは、あははは!」
意味の分からぬことを言い、ドロッセル嬢は嘲るように笑う。それなのに視線は周りの人間ではなく、自身の腹に向いている。
「あははは、時が来る、時が来る、時が来る!」
時間稼ぎをしているのかと思うほど、同じ言葉を繰り返す。ドロッセル嬢が口を大きく開くたびに、かすかな魔術の気配がする。
――先生。
ホッファーと視線が合う。ホッファーは無言で、自身のへそのあたりに手を当ててみせた。
《水の精霊さま! あの口の中へ!》
《分かってるさ、ぞっとしないがね!》
心の声で通じ合う。
アクアマリン色の光が弧を描いて、ドロッセル嬢の口腔へ飛びこんだ。
「っごおお!」
土に汚れたドレスの裾が乱れ、靴の脱げた足が敷石を打つ。
――でも、殺す気はない。
「早く! 長引けば命を奪ってしまう!」
ルイーゼが言い終える前に、アクアマリン色の光が水しぶきとともにドロッセル嬢の口から噴き出した。
「げえっ、げっ」
少女一人の胃によくこれほど、と思うほど大量の水は、一つの固形物を伴っていた。黄ばんだ、鶏の卵に似た物だ。
「時が来る、時が来る! はははは!」
よだれを飛ばしてドロッセル嬢は叫び続ける。腹に収めていた「何か」を、熱の籠もった笑顔で見つめながら。
ルイーゼは、傍らに立つ自分と寸分違わぬ姿を見た。金属の精霊だ。
「金属の精霊さま。黄金の輝きを」
「おう」
金属の精霊の両手が強い光を発し、卵のような物を拾い上げる。黄ばんだ外殻が透け、網状に広がる血管と、うごめくトカゲのような生き物が見えた。
「おお、これは。黒魔術師の子種……」
ホッファーが言うと、レベッカが嫌そうな顔をした。衛兵やカイルの従者たちが「は?」「子種なのに卵?」などと言いながら視線を交わし合う。
「昔見たこともある、講義で生徒たちに話したこともある。しかし、貴族の令嬢に宿るとは」
「うるさい! 自分で言ってやるよ!」
ドロッセル嬢が叫ぶ。
「旅の黒魔術師のを飲んでやった! 魔術師を殺せる魔獣を身に宿せると言ったから!」
「そう思ったから強気になって、ルイーゼさんをいじめたのね」
レベッカの言う通りであった。「そう思ったから」に過ぎない。
――取り返しのつかぬことを。
ルイーゼはドロッセル嬢を哀れんだ。
――私を陥れ、そして殺そうと思って、この人は旅の魔術師に体を差し出したのか。
黒魔術師の子種を飲むことで身に宿せる魔獣。その程度で魔術師を殺せるのなら、今頃魔術師の数は激減している。生まれるのはせいぜい、凶暴だが小さな肉色のトカゲかカエルだとホッファーの講義で教わった。
――真実は、知らせない方が良い。
「割れ、殻を割れ! わたしの子! あははははは!」
一瞬だけ、ルイーゼは目を閉じた。聞くに堪えない。
「ルイーゼ」
カイルが、体温を感じるほどそばに立った。いたわしげに見つめる瞳に、記憶が甦る。
――あの子だ。お母さんの傷が洗われるのを、心配そうに見ていたあの男の子。
愛しい者を気遣う表情は、精悍な少年となった今も同じだった。だが、感慨にふけるいとまも、思い出を語り合ういとまも今はない。
耳元に口を寄せて、カイルは語りかけてくる。
「ルイーゼ。私があの卵を倒す。倒し方を教えてほしい」
「なぜ……」
「『わたしの子』という言葉を聞いた時、あなたがつらそうに見えた」
「それは……母と子に、見えてしまって。魔術師なのに情けない」
「約束した。私だけはそういう基準であなたを測らない」
先ほど交わしたばかりの約束だ。カイルがひそひそ話を始めたのは、戦法というのみならず、ルイーゼとの睦言を内緒にするためだったらしい。
「分かりました。……土の精霊さま。目隠しを」
「あいよ」
泥が帯状に伸びてドロッセル嬢の髪を一房持ち上げ、目元にぴたりと貼りついた。叫ぼうとした口も、形の整った耳も同様にふさがれた。
「あの卵を極力苦しめないように。あなたと二人で幼い魔獣を殺した業を背負えるように」
カイルが何か言いかけたが、かまわず火の精霊を呼ぶ。
「火の精霊さま。炎の円陣をお願いします」
「承知した」
敷石の上に、炎で円が描かれた。
「金属の精霊さま。卵を」
「あいよ」
ルイーゼの姿のまま、金属の精霊は円陣の中心に卵を落とす。予想通りだが、その程度では割れない。
「金属の精霊さま。立て続けにすみませんが、次の変化をお願いいたします」
「うむ。何になろうか」
「柄の長いハンマーに。カイル王子と二人で振るえるように」
「なるほどね。よろしく頼むよ、カイル王子」
もう一人のルイーゼの立ち姿が、細く長く伸びる。やがて一本の黄金のハンマーとなって、カイル王子の手へ倒れこんだ。柄は長く、大人の身の丈ほどもある。
「ハンマーだけで倒せるかもしれませんが、殻が割れたら炎で焼きます。念には念を入れて」
「大丈夫ですか、ルイーゼ」
カイル王子はまだ心配そうにしている。
「本来なら、私が一人で倒すべきなのです。私が憎まれ、私が狙われたのですから」
ルイーゼはカイル王子に微笑んだ。逃がさない、と決意する。
「私と一緒に、背負っていただけますか。敵を倒して進む業を」
「喜んで」
カイルの差し出すハンマーの柄を一緒につかむ。一人で卵を叩き潰す方がスムーズだろうに、滑稽だ。滑稽で陰惨で、かけがえのない営みだ。これから二人で進む道の始まり。
ハンマーが振り下ろされ、黄ばんだ殻が粉々になる。中身がどんな姿形か確かめる前に炎の円陣がすぼまって、ドロッセル嬢の成した魔獣は焼き尽くされた。
今日(8/29)は焼き肉の日ですね。夕食はチーズハンバーグと味噌抜き豚汁とほうれん草のおひたし、夜食はミニとうふでした。肉を食べて魔獣を焼く話を書くのは楽しゅうございました。




