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第10話 夜の訪問者はルイーゼと名を呼ぶ

ルイーゼ嬢…精霊を操る令嬢。第一王子から婚約を破棄され、第七王子と婚約することになった。第七王子との初対面を思い出せない。

カイル王子…幼い頃、母とともに辺境に移された第七王子。けがをした母を助けてもらって以来、ルイーゼ嬢に恋をしていた。

ドロッセル嬢…第一王子をそそのかし、ルイーゼ嬢が嫌がらせをしたと嘘を言って婚約を解消させた。さらにはルイーゼ嬢が自分を呪術で呪ったと濡れ衣を着せた。カイル王子の尽力でルイーゼ嬢の潔白が示された今、反撃の可能性あり。

 月の光が降り注ぐルイーゼの寝室に、水晶を思わせる美貌が銀の髪を広げて横たわっていた。サファイア色の瞳を見開いて天井を見つめる姿は、ルイーゼ嬢そのものだ。

《まだ思い出せないかい、我が君》

 瓜二つの美貌が、聞き慣れた口調でルイーゼの心に呼びかけてきた。敵の襲撃に備えて、金属の精霊がまたルイーゼの姿を真似ているのだった。

《カイル王子は、ずいぶんと印象深く覚えていたようだ》

 金属の精霊が寝台で寝返りを打つ。寝室の隅でソファに座るルイーゼと目が合う。

《会ったこともない婚約者、ではなく、幼い頃から惚れこんでいた女性のために駆けてきたわけだ。胸が熱くならないかい、我が君?》

 ルイーゼはソファの上で身じろぎした。思い出せない自分を責める気持ちも大きいが、カイル王子と二人で話したい気持ちの方が大きい。そして聞きたい。初めて会ったのはいつで、どんな言葉を交わしたのかと。


《おらおら、二人とも甘ったるい話をしてるんじゃねえ》

 寝台の陰で、水色の精霊がアクアマリン色の光をひらめかせた。

《ドロッセル嬢か第一王子の後ろに呪術師がついてるかもって昼間の話、ありうると思うからこうして寝ずに起きてるんだろ? しかも、木の精霊と火の精霊はホッファー家の護衛に置いてきちまった。緊張感が足りねえぞ、緊張感が》

《おお、水の先輩に叱られてしまった》

 ルイーゼ嬢の姿をした金属の精霊は、横たわったまま寝間着の肩をすくめた。

《しかし、戦いが予想される今だからこそ、気がかりは解消しておくべきだはないだろうかね? 同じ屋根の下にカイル王子がいるのだから》

 そうなのだ。カイル王子は今、フローレンシア公爵家に滞在し、屋敷内の夜回りをしてくれている。「庭は土の精霊さまが警備してくださるのだから安心です」とこともなげに笑顔を見せて。

《我が君。廊下に出て、水の先輩に探してもらってはどうだい?》

《金属の精霊よう、おれはごめんだぜ。ルイーゼ嬢みずからが気づかなくっちゃ意味がねえんだから》

《そうだろうかね、水の先輩》

 水の精霊と金属の精霊は、ルイーゼそっちのけで話を続けた。

《恋する男としちゃあよ、恋しい女に自分で思い出してほしいだろうぜ》

《いやに感情移入するじゃないか、カイル王子に》

《まあな。おれは見てたし、覚えてるからな。初めて会った日の二人を》

「なんですって?」

 小声ではあったが、ルイーゼは口に出さずにはいられなかった。

「知っているのですか。水の精霊さま」

《こらこら、心の声で話すのを忘れてるぜ》

 注意されて、ルイーゼは口をつぐむ。

《さっきも言っただろ。自分で思い出してやりな》

《……分かりました。精霊使いの名に懸けて、わが心に命じます。『思い出せ』と》

《我が君、頼もしいなぁ》


 コン、コンと厚い木の扉がノックされた。アクアマリン色の光が、床とのわずかな隙間をかすめる。

《カイル王子だ、ルイーゼ嬢。どうやら本物だぜ》

 水の精霊が言った。変身の魔術を使う敵ではないかと警戒して、確認してくれたのだ。

《おお、夜這いとは肝が太い。月光を浴びての逢瀬も乙だ》

 金属の精霊が、ルイーゼ嬢の顔で不敵に笑った。やはり新手の悪夢のようだとルイーゼは思う。

《お前なあ、敵襲が予想されるって時に夜這いはないだろう》

《また水の先輩に怒られてしまった》

「カイル王子?」

 ルイーゼがささやくと、扉の向こうで息をのむ音がかすかに聞こえた。

「深夜に訪ねたご無礼をお許しください。一歩たりともお部屋には入りません」

「どう、なさったのですか」

 こんな時でなければ、ドアを開けて触れ合いたい。昼間に王城でそうしたように、抱擁してほしい。欲求を知られまいと、ルイーゼは言葉少なになる。

「あなたが忘れていても仕方がない。だから、気に病まないでいただきたいのです。それを伝えそびれていました」

「忘れていても仕方がない……とは」

「あなたは昔、見知らぬ相手を助けたことがあります。そばで見ていたのが私です。あなたは人を助けるのに一生懸命だったから、私を忘れていても仕方がない。ご自身を薄情だと思わないでほしいのです」

「それを、わざわざ伝えに来てくださったのですか」

「しつこい男ですみません」

 はは、と自嘲じみた笑い声が小さく聞こえた。

「ルイーゼ嬢は、思い出せないことに衝撃を受けておられたようだから。もしやご自身を責めておられるのではないかと……」

「おっしゃる通り、です。薄情だと……あと、記憶力が落ちたのかと」

 また小さな笑い声を、カイル王子は漏らした。今度は自嘲の影はなく、明るい声音だ。

「それはないでしょう。優れた魔術学徒でいらっしゃるのだから」

 ルイーゼはドアを開けた。《おい》と水の精霊が言ったが、ノブから手を離そうとは思わなかった。

「ル、ルイーゼ嬢」

 なぜかカイル王子は自分の右手で自分の左肩を押さえていた。

「いや失礼。驚いて飛び上がりそうだったので」

《どんな止め方だ》

 水の精霊が、カイル王子には聞こえない心の声で突っこんだ。

「お顔が、見たかったのです」

 ルイーゼは自分の心の軌跡をたどるようにゆっくりと話す。

「私は、幼い日から魔術学徒として、フローレンシア公爵令嬢として生きてきました。優れた人間であろうとしてきました。ずっと」

 カイル王子が自分を見ている。この人は聞いてくれる。確信をもってルイーゼは告白を続ける。

「第一王子の婚約者となった十歳の時、私は、第一王子を尊敬しようと決めました。大変な立場に置かれているこの人を尊敬しようと。『好き』という気持ちは、ついぞ持たないままでした。優秀な后になろうとしていたのです。十歳から十七歳の今まで」

「頑張ってこられたのですね」

 カイル王子が、至極穏当な返しをした。

「でも。あなただけは、私を優秀かどうかで、判断しないでほしい……」

 恥ずかしくなってきて、ルイーゼは両手で顔を覆う。

《好きってことだぜ、そりゃ。こんな時でも言葉がかたいんだぜ、うちのルイーゼ嬢は》

《妬いてるのかい、水の先輩》

《馬鹿を言え》

《私は嫉妬するね。カイル王子、ルイーゼ嬢に夢中なあまり私に気づいていないぞ。こっちは寝間着姿だというのに》

「ルイーゼ嬢」

 顔を隠した自分の両手に、温かな手が触れる。

「ルイーゼ、とお呼びしても?」

 どんな言葉で応えればいいのだろう。恥ずかしさで口すら動かせない。

「ルイーゼと呼んでも構わないのなら、この手を振り払わないでください」

 カイル王子の手が、顔を隠したルイーゼの手を包む。指を這わせながら手首をつかみ、優しくおろしていく。

 目の前に、カイル王子の顔があった。部屋に差しこむ月光に浮かび上がるその表情は、真剣だった。

「ルイーゼ。あなたには、安全な場所にいてほしい。どうか夜が明けて私が呼ぶまで、この部屋で待っていてほしい。たとえ、強い水の精霊さまを連れていても」

 何かを思い出しかけた――とルイーゼが感じたその時、野太い声が響き渡った。

「ルイーゼお嬢様!! 旦那様、奥様! 敵を捕らえました!」

 庭を警戒していた、土の精霊の声であった。

 続いて、フローレンシア家の衛兵隊長の声が聞こえた。

「ルイーゼ様、ドロッセル嬢です! ドロッセル嬢が供を一人だけ連れて乗りこんできました!」

 ルイーゼは思わず廊下に出ていた。驚きの表情を見せたカイル王子は、しかしすぐに平静な表情になった。

「対決しますか、ルイーゼ」

「ええ。お願いを聞けなくてごめんなさい」

「お供しますよ」

 庭へと廊下を駆ける恋人同士の背後で、《私がルイーゼ嬢に化けた意味は!》と金属の精霊が嘆いた。

 



甘い時間でしたね。

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