第1話 婚約破棄を宣言されましたが学園の仲間も水の精霊も私の味方です
悪役令嬢ってこうですか? 有能ゆえに無能に憎まれるけど味方はいる感じですか?
そして魔法っていいよね。
婚約破棄される令嬢など、遠い国の話だと思っていた。法律とメンツを重んじるこの王国で、婚約を破棄するなんてリスクが高すぎる。
法律で定められた賠償金を払わねばならないし、婚約破棄された側の一族から「よくもメンツを潰したな」と数十年単位で恨まれる羽目になるからだ。
だが、この男は――第一王子は、今まさにそれをやらかしている。おそらくは、隣に立つ少女にそそのかされて。
「公爵令嬢ルイーゼ、もう一度言う! 今ここで、あなたとの婚約を破棄する!」
王国に公爵家は複数ありましてよ。王城のパーティで大々的に宣言するのなら、どの招待客にも分かるよう家名をつけて「フローレンシア公爵令嬢」とおっしゃいな。
浮かんだ台詞を、心の中に押しとどめる。
この第一王子は臆病者だ。王国成立の功労者、フローレンシアの家名に向けて「婚約を破棄」と強い言葉を使うのが怖いのだ。実質やっていることは同じなのだが。
つまり、臆病なだけでなく愚かなわけだ。
白い羽根飾りがついた扇で、私はゆるやかに胸元をあおぐ。扇で顔を隠したりしませんよ、という意思表示だ。薔薇色の唇も、サファイア色の瞳も隠さない。恥ずべき振る舞いなど、私は何一つしていないのだから。
まっすぐに見つめ返すと、第一王子は顔を真っ赤にして「ぬうはあっ」と荒い息を吐き出した。威嚇のつもりらしいが、外交の場でやらないでほしいと心から願う。本人ではなく、この王国の未来のために。
「公爵令嬢ルイーゼ! 貴様はこのドロッセル・ノクニス嬢に、学園で数々の嫌がらせをしたそうだな!」
私は心の中で笑った。
したそうだな、とは何事だ。伝聞で婚約破棄を決めたのか。
そしてたとえ伝聞でも、愛する女性をかばうのならば「嫌がらせをした!」と断言してみせたらどうか。
「そのようなことはしておりません。そもそも私は、このパーティで初めてドロッセル嬢と同席いたしました」
本当のことだ。近くで見守っていた学園の生徒や教師が、大きく何度もうなずいてくれた。貴族の子弟が通う学園に、ドロッセル嬢は三ヶ月前に入ってきた。学園内の掲示板に新入学者として名前が載っていたので覚えている。
だが、私が受講している上級者向けの授業でドロッセル嬢を見かけたことはない。語学や魔術学、法学や歴史学、文学や理学など、いずれの授業でも。
ドレスの胸元で銀髪が揺れ、アクアマリン色の光を放つ。水の精霊の合図だ。私の心の中に《こらしめてやるか? やれるぞ?》と呼びかけてくる。私は、心の中で念じて合図を返す。(おやめくださいませ。それには及びません)と。
「ですから、ご挨拶がまだでしたわね」
私は、ドレスのスカートの刺繍がない部分を手に取り、優雅にお辞儀をした。
(装飾部分になるべく触れぬよう、衣装を大事に扱うのも貴族のたしなみ。これくらいは手元を見なくてもできる)
「初めまして、ノクニス公爵家令嬢ドロッセル様。栄えある学園で学友となれたこと、まことに光栄に存じます」
周囲で控えめな拍手が起きた。先ほど私の主張にうなずいてくれた教師や生徒たちだ。
ありがとう、支持してくれて。さすがはメンツを重んじる国のエリートたち。
ドロッセル嬢は、挨拶を返してこない。第一王子に寄り添ったままうつむいている。ふんわりした薄茶色の巻き毛の間から、敵意に満ちた目が見えた。可哀そうに、脳に生まれた思念は瞳に現れてしまうのをご存じないのだ。
公的な場で挨拶を返さないという行為が、どれほど恥ずかしい振る舞いなのかも。
「貴様よくも、わが愛する女性に恥をかかせたな!」
第一王子がドロッセル嬢の肩を抱く。
挨拶を返せばいいだけなのだが、そもそも私が嫌がらせをしたという話はどこへ行ったのだろう。私に否定されたままだが反論しなくていいのか。
だが、人の心配をしている場合ではなかった。
「第一王子の権限において命ずる!」
高らかに声を上げる第一王子。その胸元に、ドロッセル嬢が頬を寄せている。
「ルイーゼ嬢を、我が弟たる第七王子の婚約者とする!」
そんな権限、国王にしかありませんよ。王室典範をお読みになりましたか?
「第七王子……! 遠くの!」
遠巻きに見ていた老婦人が、端的な驚きの声を上げた。
そう、第七王子が住む辺境は遠い。険しい山に囲まれ、谷川には水の妖魔がさまよい、森では土と木の妖精が踊る恐ろしい土地。
ただ、魔術学徒にとっては魅力的この上ない土地だ。
私は初めて扇で口元を隠した。
喜びを悟られぬよう、瞳も隠した。
ありがとうございます、第一王子。魔術研究が捗ります!
扇を降ろすと、にやつくドロッセル嬢の顔が見えた。相変わらず第一王子の胸元に頬を寄せている。愛する人の胸で陶然とする乙女――のつもりなのかもしれない。競争相手を蹴落として安心する小悪党、に見えるけれど。
視線を移すと、魔術学の教師が目を細め、あごひげをなでていた。授業で魔術について話しているうちに、熱が入ってきた時の仕草だ。
先生、私が妖魔と妖精の地に嫁ぐことを喜んでますね?
水の精霊が呼びかけてくる。《あの先生、研究の成果を書いて辺境から送ってこいって言いそうだぞ。いい性格してるぜ》と。
私は心の中で答える。(それくらいの性格でないと、魔術学の教師なんて務まりませんよ)と。
ともあれ、勇気と知恵の足りぬ第一王子に嫁ぐよりは、楽しい生活が送れそうではある。王都の学友たち、そして両親と離れるのはとても寂しいけれど。
そして第一王子には、婚約破棄による賠償金を払う義務がある。その財源は国民の血税なのだと思うと、胸が痛んだ。
書いてみました! 読みやすさ、元気さ、ほのぼのを大切に書いていきます。よろしくお願いしまーす。