第一話「雷雨と歓待」1-1
大学生活は特筆することがないほどに順風満帆。適度に出席して適度にサボればそれでいい。
「寝てたわーノート貸して!」
「次の授業ダルいし抜けてカラオケいこーぜ!」
「金がないんなら、あいつからたかればいーじゃん」
悪友達と遊ぶ日々。それは、別に苦でもなんでもない。むしろ、こんな日常を望んでいた。大学生活が終わればどうせ社会の歯車。享楽に更けていられる間は、好き勝手したいもの。だからこそ、好きに生きていた。
それは日常生活に留まらず、ゲームにおいてもそうで。シナリオとして用意された道を辿るのがつまらなくなり、裏技とバグ技に手を付け、いつの間にかチートツールに手を出して。レベルと所持金は最初から上限、序盤から最強の装備、それだけではつまらないから、と序盤のフィールドに終盤のモンスターやラスボスを出したり、地形やキャラクターのグラフィックをおかしくしたり。意図的にバグコマンドを打ち、フリーズしようともやめられなかった。
オンラインゲームでもチートに手を出してアカウントを停止されたが、ネット環境が絡まないゲームならば誰一人として止める者はいない。
「うわ、もう何言ってんかわかんねぇ……まーいっか」
攻略手順が頭に入っているほどに遊びつくしたゲームは、全てが狂わされているものの輝きを失わない。チートで何もかもをおかしくすれば追加で何周したって飽きが来ることはない。崩壊した土地よりも凄惨な姿をしたゲームの世界を慣れた手つきでセーブして、いつも通りの日常を終える。そんな日々が続くものだと思っていた。
*
ざぁざぁ、降りしきる雨と鳴り響く雷鳴。大学の教室内、窓際から灰色の空を見上げる。軽快な挨拶と共に横の席についた友人の一人と適当に言葉を交わす。
「なーアリス、最近どーなん? カノジョとは上手くいっとん?」
「あのなぁ、その呼び方いい加減やめろって……はぁ、アイツとはぼちぼちだよ。バイトとかサークル忙しいらしーし」
「卓真よりアリスのが覚えやすいし呼びやすいからええやん。アリスはカノジョ束縛せんタイプなんやな」
「名前の文字数同じだろうが! 束縛はしねぇよ、めんどくせーもん」
「んはは、言えてら」
なんてことない会話で友人と笑いあう。適当なとこで授業抜けん?と言われたが、外を見ればバケツをひっくり返したかのような大雨。マシになるまで待とうぜ、と友人を制す。
「あー、今度出るゲーム一緒にやらん? チーム組んでやるやつなんやけど」
「ネトゲか? チート出来ねぇんならオレはやらねー」
「はぁー!? 楽しみ方間違っとるわぁ……」
「いや、最強になって敵ボコすのが一番ストレス発散になんだよ」
思わず友人は顔を顰める。何か言いたげだったが、講師が入ってきたことで言葉は中断された。滞りなく出席を確認し、授業が始まる。要点を適当にノートにまとめていると、小声で友人から問われた。
「チートって金かかるん?」
「モノによる」
先程聞きたかったのはソレなのか、と思わず苦笑いを返した。
ごろごろ、と雷鳴が遠くで鳴り響く。帰りには止んでるといいな、と思いつつ時間は流れていく。
*
結局最後まで講義を受けて、陽が落ちる時間帯。降りしきっていた雨は止んでいるが、いつまた降り出してもおかしくない。
「なー、飲みに行かん?」
「ん、いいぜ。……ん、ちょいまち」
友人からの飲みの誘いを受けた瞬間、ポケットの中のスマートフォンが通知を鳴らす。取り出して画面を見やれば、短いメッセージと『有栖崎正真』──兄の名前。
『渡したい物があるから卓真の家に寄ってくけどいい?』
「げ」
思わず顔を顰める。楽しい事に水を差されたような心地。兄とは別に仲が悪い訳でもないが、わざわざ会いたい相手でもない。ついでに、メッセージを寄越された事でここしばらく掃除をしていないことを思い出してしまった。多少でも綺麗にしておかねば、やって来た兄に小言を言われかねない。
「わりぃ、今日用事あったわ。また今度行こうぜ」
「行く言うたやん! 次ん時一杯は奢れや!」
「へいへい」
約束や忘れんな! と言う友人と別れ、帰路につく。どんよりと暗い景色を眺めて電車に揺られ、いつもの駅に着く頃には再び雨が降り出していた。
「うわ最悪」
持っていた傘を差して走る。結構近くで鳴り響く雷鳴と、走ろうが歩こうがびしょ濡れになるであろう大雨。案の定、雨はあっという間に全身を濡らす。走って数分ほどマンションのエントランスに駆けこんで、エレベーターを見やる。階層表示が消えているあたり、どうやら停電しているらしい。仕方ないと階段を上り、自宅の前でほっと安堵。兄はまだ来ていないようだった。
さっさと身体を拭いて適当に掃除してしまおう、と鍵を回して扉を開け、玄関に靴を脱ぎ捨てて部屋へと歩む。明かりをつけようとスイッチを押したが、案の定停電中らしく明かりがつくことは無く。
「……あ?」
部屋を仕切るドアのすりガラス越しに、何かがぼんやりと光っているのが見える。もしかして、朝テレビを消し忘れたのか?それとも、兄が既に帰って来たのか、と思考する。
「……兄貴、もう来てんのか?」
思わず扉越しに問うが、返事はない。それはそうだ、玄関に自分以外の靴は無いし、よくよく考えれば兄に合鍵を渡していない。ならばテレビの消し忘れか、とドアを開けて部屋へと足を踏み入れる。
「はぁ……」
部屋の中ではテレビがついていた。朝消し忘れたのか、と頭を抱える。テレビの画面には例の、チートとバグで狂わせたゲームの画面が映し出されていた。ゲームつけっぱなしで大学に行ってたとか兄に知られたら面倒だな、とゲームの電源ボタンを押した。
「ん?」
押したのだが、画面は変わらない。モザイクまみれのフィールドで佇む主人公がこちらを見ているだけの画面が消える事はない。リセットボタンを押しても画面は変わらない。
「壊れたか?」
首を傾げながらコントローラーを握る。いつもの様に操作をしようとするが、動かない。そこで、一つの疑問に辿り着く。どうして停電中なのにテレビはついたままなのだろう。テレビのリモコンを手にしてボタンを押すが、テレビが反応することはなく。
「は?おい、どういうことだよ」
思わず悪態をつくが、それに返事をするものなどいない……筈だったが。
『*****************************』
突然、ゲームの画面に会話ウィンドウが開き、意味を為さない文字列が並ぶ。こんな現象あったか?と一瞬疑問に思った直後、画面が激しく点滅した。
「うおっ!?」
何色にも変わり点滅する画面。耳を劈くエラー音。反射的に眼を閉じ、耳を塞ぐ。閉じられた視界が真っ赤に染まっていく。部屋中に壊れた音達が響き渡る中で何故か、誰かの歌声が聞こえた気がした。