第百四十九話 宮守決戦
高水寺城
「皆の者!これより遠野に向かう!なあに敵は弱兵!数も少ない!我らの負ける道理はない!いざ出陣!」
どーん!どーん!と陣太鼓が鳴らされ、高水寺城から足軽や武将が出ていく。雑然としたどこか緊張感の乏しい出陣であるが、行進訓練などというものが影も形もなかったこの時代、誰も咎める者はいない。
高水寺城からほど近い日詰で北上川をかき集めた渡し船を使って渡っていく。全軍が渡河を終えるのに二刻ほどを要した。渡り終えた部隊から北上川の左岸を南下し彦部川を今度は渡渉したのち佐比内川に沿って山道に入っていく。
一つ峠を越えたところにある大迫にはいる。ここは稗貫氏の家臣、大迫氏の居城である大迫城がおかれている。本日はここに本陣を構え、明日には遠野に侵入することとなる。
「明日には遠野に入るからな。者共、しっかり体を休めておけ」
「ははっ。殿のお気遣い痛み入ります。しかし、この数を見れば戦う前に逃げ出すのではないかと」
「うむ。岩清水の言うとおりであろう」
将の中には出番が無いかもしれないとため息をつくものまで居る。三戸南部が倒れた今、陸奥北部で一度に三千の兵を動かせる唯一の存在となってしまったため誰も負けることなど予想もしていない。
◇
達曽部村 鱒沢守綱
「敵は大迫城に入ったようだな」
保安局からもたらされた情報を受け、達曽部の土塁に入る。壕は先日の雨ですっかりぬかるんでおり守るには都合のいい状態である。
「治部少輔様(守綱のこと)、本当に勝てるんでしょうか?」
「今更何を言っておる。そなた名は?」
弥右衛門と名乗るのは、このあたりの肝煎の長男。攻め込まれると聞いたときは一も二もなく立ち上がったが、いざ合戦となってくると不安感が増すようだ。
「弥右衛門、そなたの気持ちもわかる。しかし、我らがすべきはここで打ち負かすでも死兵になることでもない。調練通りにやれば良い」
「わかっているつもりではあるのですが」
いくら練度を高めたとはいえ、実戦はやはり空気が違う。ここを守る精鋭二百でもって十倍以上の敵をひきつけるものであるので、無事で済まない可能性がある。
「ふむ。仕方がないのう。ほれ皆の者これは気付けじゃ」
そう言うと守綱は弥右衛門に盃をもたせ、酒を注ぐ。
突然のことに弥右衛門は驚くが、一息に呷る。続いて順々に各武将に酒が振る舞われていく。少量ではあるが体が暖かくなり、不安感が軽減する。
「ふぅ、旨い酒ですね」
「京から来た上等な酒だ。この戦に勝てばまた振る舞ってやろう」
皆の士気は上がり、まだ見ぬ敵をまだかと待ち受ける。
◇
日が正中に差し掛かる頃、山陰から地鳴りが聞こえてくる。
「敵が来たようだ。狼煙を上げろ」
多数の足軽たちの中に紛れて騎馬武者がチラホラと見える。通常であれば矢がギリギリ届かないところで敵が停止し、一人の騎馬武者が前に出てくる。
「われこそは斯波兵部大輔詮高である。いまここには三千を超える兵がおる。今のうちに我らに降るならば悪いようにはせぬぞ」
まさかの敵の大将自らが名乗りを上げるとは思わず、守綱を始めとする全員が固まった。
「ふふふ、まさか大将自ら名乗るとはな。これは返礼せねば」
そういうや、周りが止めるのも構わず土塁の上に守綱が登る。
「やぁやぁ、大将自らの名乗り、誠にあっぱれでござる。我は阿曽沼家当主が次弟、増沢治部少輔守綱と申す。兵部大輔殿のご提案、まっこと感銘いたし申す!我からの返礼を申し上げる!」
そう言い、滑車弓を引き絞ると重い鉄でできた矢を放つ。狙いがわずかにそれ、斯波詮高の乗る馬の眉間に突き刺さる。
一瞬馬がいななき、そして斃れ、詮高が投げ出される。
「ちっ。外したか。まだまだだったな」
それを合図に遠野軍から矢が飛び始める。
持っているのは皆滑車弓であり、その威力に胴丸が貫かれ、幾人かが倒れ伏す。
助け起こされた詮高は遠目にも、怒っているのがわかる動きで、進軍を指示するかのように軍配を振る。
しかし広く掘られた壕はぬかるみ、足がとられ、敵の進行が鈍る。ころんだり、矢に貫かれた者達は後ろの足軽や将にふまれ、泥の中に沈んでいき、後続の足場となっていく。
守綱らは精一杯射ちかけるが、多勢に無勢。あっという間に土塁に取りつかれ始める。
「くっ、ここまでだな。皆、退くぞ!」
皆一目散に逃げ出すが、数人が槍や矢に貫かれ斃れていく。
才ノ神から菖蒲沢、そしてついに吉金の地まで逃げる。ここまでに五十ほどの武将が斃れていた。
「みな、もう少しだ!死ぬなよ!」
更に二里ほど走り粡町の集落に消えていく。そしてついに敵の主力が吉金を抜けようとしていた。
◇
阿曽沼軍本隊 阿曽沼守親
「狼煙が上がったか」
「治部少輔殿は大丈夫でございましょうか」
「儂の弟だ。きっと立派に務めを果たす」
守親が采配を振り上げ、全軍が臨戦態勢になる。永遠にも感じられる時を過ごし、日が少し傾いて来て、影が長くなり始めた頃に、甲冑の至る所に矢が刺さった守綱らが吉金を駆け抜けていく。
その後ろに下卑た笑みをした足軽や騎馬武者たちがゆっくりと歩きながら追いかけてくる。
「敵はだいぶ逃げ込んでいるぞ!追え!追えぇ!」
なんの疑いも見せずに守綱たちを追いかける斯波軍が阿曽沼軍の眼前を通り過ぎていく。
「殿!まだでございますか!」
「慌てるな!ここで慌てては勝てるものも勝てぬぞ」
「ぐぬぬ」
そして遅れること半刻、ついに斯波の本隊と思しき指物を掲げた一団が吉金に入ってくる。
「来たぞ。もう少しだ」
吉金の中ほどにかかったところで再度、采配を振り上げる。すると、それを合図に向かいの山に轟音と黒煙が上がる。
何事かと足を止めた斯波の本隊に砲弾が落ち、数人が肉塊となり弾け、あるいは血溜まりに変わる。
「今だ!皆の者、一斉に射掛けよ!」
足が止まった敵に矢の雨が降り注ぐ。そのほとんどは竹を斜めにしただけの石鏃すらない矢ではあるが雑兵を射抜くくらいは問題がない。狙わずただ射掛けるのみだが、狭い盆地に敵は密集しており適当に射っても当たる。さらに敵方は今までにない砲撃に、矢の嵐に対応できず次々と打倒されていく。
さらに遠くからはパンパンと乾いた音が聞こえてくる。今まで聞いたこともない攻撃にさらされ恐慌状態に陥る足軽達が居ると思えば、聞いたこともない音に敵の馬が驚き、振り落とされる将、その馬に踏み潰される雑兵。さらに一目散に逃げようとするところを諫める将を突き刺す足軽たち。
まさに阿鼻叫喚と言っていいような地獄絵図が展開されていた。
「いまだ!狙うは斯波兵部大輔の首一つ!者共!続けぇッ!」
皆あらかた矢を撃ち尽くすと守親がそう叫ぶ。塹壕の奥に繋いでいた馬に跨がり、未だ混乱収まらぬ敵の中へと駆け込んでいく。
「と、殿!お待ち下さい!」
慌てて数人の武将が馬に跨がり後を追い、さらに足軽や農兵が続く。
守親が大槍を振り回せば数個の首が空に舞い、あっという間に馬に振り落とされた斯波詮高の側へと駆け寄る。
「我こそは阿曽沼家当主、阿曽沼左馬頭守親である!斯波兵部大輔殿とお見受けする!その首、この儂がもらい受ける!」
「何をほざくか!遠野の田舎侍などに負ける足利一門では無いわぁ!」
そう言い抵抗するものの、近習が一人また一人と斃されていく。双方すでに槍が折れ、刀が折れ、所によっては徒手での戦闘になってきている。
「なかなかやるではないか。田舎侍と侮ったことは詫びようぞ」
「お褒めに預かり恐悦至極。しかし、当家に手を出した報いは受けてもらおう!」
中程で折れた太刀を振り上げ、守親が斬りかかる。しかし疲れもあり踏み込みが甘かったところを斯波詮高の体当たりを受け倒される。
「惜しかったな!貴様の首はこの斯波兵部大輔が獲ってやろう!光栄に思え!……っぐはぁ!」
斯波詮高が逆手に持った脇差しを振り下ろそうとしたその時、守親の近習である来内茂左衛門紀之の野太刀が詮高の左胸を背中から捉える。
「と、殿は、遠野は貴様らにはやらぬぞぉ!」
野太刀が引き抜かれた胸から鮮血がほとばしり、斯波詮高が憤怒の表情で倒れ伏す。
「はあっ、はぁっ!斯波詮高が首級!この来内茂左衛門紀之が討ち取ったりぃぃぃ!」
大将首が取られたことは瞬く間に両軍の全軍に伝わり、蜘蛛の子を散らす様に逃げ始める。しかしそこはホームグラウンドである。阿曽沼の領民で戦闘に参加できなかった老人たちからなる落ち武者狩りに遭いながら這う這うの体で領地へ逃げ帰る事となった。
「戦力を宮守館に集結させろ。状況を確認する」
勝ち戦に疲れを忘れたかのように伝令の足軽が走って行く。