第百四十六話 迎撃準備
宮守
「山にこんな壕を掘ってどうすんだべ?」
「なんでもこの壕を通って行き来するようにするんだとさ」
「はぁ。ここで敵の足止めをするんでねぇのか?」
「そこまでは俺にゃあわからんよ。殿様にでもきいてくれ」
無駄口を叩きながらも、壕掘りがすでにはげ山となっている山肌にそって急ピッチに進んでいる。
「ところでよ、もし斯波の殿様を討ち取ったらどうなるんだ?」
「さあてなぁ、儂等のような下々にはわからん。それより、手を動かせ」
こちらでは残土の運び出しに馬が用いられる。
「もっこだけでなく駄馬までだしてもらえるとはのぅ」
かごに満載された残土が粛々と運び出されていく。少し屈めば隠れる程度の深さの壕が出来上がっていき、所々に百足梯子が置かれていく。
「こんなもんでいいのか?」
「それも俺らが気にすることじゃないだろう。偉い殿様がこれで良いと言うならこれで良いんだろうよ」
吉金から関谷に抜ける谷(現代であれば宮守駅があるあたり)に塹壕が掘られていく。隠蔽のためところどころ木を残している。
「いやあしかし、普請で飯を出してもらえるとはなぁ」
「いや、全くだ。お陰で朝飯が浮く」
やいのやいの言いながら作業が進んでいく。
◇
鍋倉城 阿曽沼孫四郎
「左近、状況はどうか?」
「あちらに入れている者からの報せによると、どうやらかなり舐めておるようです」
「悔しいがここで言っても仕方が無い。その代償はきっちり払って貰うことになるがな」
仕方ないことではあるがこれで当家が勝ったらかなり面白くなるな。負けたらどうしようね。
「若様、如何なされました?」
「いや、なんでもない。それより人夫に飯は行き渡っておるか?」
「今のところ遅滞なく。若様のご提案のおかげで人夫共も士気高く作業に当たっております」
良いことだ。工賃に出せる金はないがせめて飯くらいは出してやらねば。
「父上らの様子はどうか?」
「それこそ毎日くたびれたご様子で城にお戻りになっているのをごらんになっているのでは?」
「うむ、それはそうなのだが、最近夜襲の訓練もしておるようでな、夕刻に出かけることもあるのだ」
「夜襲ですか。あまり夜目など鍛えられると我らの出番が減ってしまいますな」
左近が冗談とも本心ともとれる発言をする。
「まあそういうな。そなたらは色々やって貰うことが多いからな」
左近が苦笑いを浮かべるが、やってもらうことは多い。シークレットサービスみたいな要人警護とかな。
「それはそうと斯波以外の周辺の状況は?」
「まず葛西様は様子見のようで」
「大崎との関係もあるからな。仕方がない」
「九戸に集まっていた者共はこの機会に兵を休ませるようです」
「まあそれも仕方あるまい」
春からこちら斯波や八戸との戦が続いていたようだったからな。南部の残党共も休むか。斯波も大差がないように思うが、南北から押されるというのは厳しいものがあるのだろう。
「ところで若様、まだ内密の話ではございますが」
なんと久慈の家中では我らと誼を結ぶべきではないかという声がちらりほらりと出てきているという。
「その噂は真か?」
流石に俄に信じることはできない。南部の残党共が流した囮情報ではないのか?
「わかりませぬ。しかし火のない所に煙は立たぬと申します故」
「わかった。もし真であればそれはありがたいことだからな」
八戸に関しては冷害がひどく、戦どころではなくなりそうだという。
「葛西様の家中はどうなっておる?」
「千葉共の処分はかなり進んだようですが、代わりに石巻との軋轢が大きくなってきておるようです」
「そうか」
他に大崎は名ばかりの奥州探題となってしまい、国人衆をまとめるのに四苦八苦しているそうだからこちらに手を出してくることもないだろう。
「ところで今回の戦がうまく行けば、すぐではないが雄勝郡や仙北を狙いたい」
「はは。小野寺や戸沢、安東にも忍ばせておきます」
「それと最上羽州探題にもな」
「羽州探題ですか。伊達大膳大夫(尚宗)の嫡男が最上を狙っていると聞いておりますが」
そろそろ現れると思っていたが、まだ稙宗は出てきていないのか?しかし嫡男とやらは随分とやる気のようだな。もしこの嫡男が稙宗だとすると婚姻や養子で洞を形成し、東北を泥沼に引きずり込んだ天文の乱を起こすんだったな。やっぱ雪には申し訳ないが可能なら早めに逝ってもらいたい。
「伊達には幾人か送り込めるか?」
「すでに」
「よし、情勢の確認と、能うならば嫡男を殺せ。ただし、無理はするな」
「御意に」
すぐには効果はないだろうけど、鉛入りの盃を贈るのも良いかもしれないな。
◇
稲刈りが始まったのでそろそろ斯波が攻めてくる頃だろう。最低限の警備以外、動員できる人員を持って全力で稲刈りを済ませる。もちろん俺たちも手伝ったさ。猫の手も借りたい状態だったからな。
「稲刈り機が足りませぬな」
「清之か。こればかりはしかたがない。それでも手に手に鎌をもって集まってくれたお陰で稲刈りがいつもより随分早く終わった」
「これで山背が吹かなかったらどれだけ良かったことか」
全くだ。山背のお陰で刈り取りは早く終わったものの、昨年の半分ほどしか収穫がない。今までだったら領民のいくらかが餓死していたことだろう。
「ところで羽州は山背が吹かぬらしい」
「そうなのですか。それは実にいいですな」
「代わりに雪がこちらの比ではないそうだが」
「うむむ、それは困りましたな」
「父様、雪の何が困るんですか~?」
雪が冗談で突っ込みを入れる。
「な、雪は目に入れても痛くないぞ!」
「ふふっ、父様、ありがとう」
にひひっと雪が笑う。実に可愛らしいその姿に清之が悶絶している。
「ところでお春さんは戦に出られないことは大丈夫だったか」
そう、殺る気満々だったお春さんだが、先日お春さんの妊娠が発覚した。数日前から嘔気が出てきてつわりかなと思ったところ、たまたま帰郷したばかりの三喜殿が診察し、まず妊娠であろうとのことだ。
「戦に出られなくなったのは残念がってたけど、そこまで気落ちはしてなかったかな」
雪がこういうのなら多分大丈夫だろう。ちなみにお春さんだけでなく、ここ数年食糧事情が改善したことを受けてちょっとしたベビーブームになりつつある。
「この戦で負ければどうなるか皆よく存じております故、実によく動いておりまする」
自分たちの生まれ育った土地を守るという、根源的な意識から士気は高い。最近移住してきた者達も今の生活を脅かされないよう、守る為の意識が高い。
「兵の中に間者が紛れてはおらぬな?」
「保安局もよく調べておるようで、今のところそれらしき者はおらぬようです」
左近は最近、兵に間者が紛れていないかの内偵に忙殺されているようである。保安局も人員が足りないな。
「ところで若様、食料は保つのでしょうか?」
「うむ。葛屋のおかげでなんとかなりそうだ」
葛屋が足繁く塩竃まで行ってくれているおかげでなんとか食いつなげそうである。来春には百石積みの船ができる予定でさらに遠方まで商いに出られるだろう。そうなれば米だけでなくいろいろな食料が手に入り、さらに飢餓の恐れが少なくなるだろう。まあかわりに証文の束が積み重なっているのだが。
北にはスクーナー、南には在来船の改良型である弁財船に似た船を作っていく予定だ。もし興味を持つ者が居たら弁財船擬きは輸出しても良いかもな。
「しかしまた此度の戦でだいぶ火薬を使い果たしそうだな」
「若様もっと作れないの?」
「むずかしいな。牛馬に加えて兎も飼育が進んできたので去年よりは増えたが、それでも冬の間に作れないからな」
建物の気密性が悪いこともありなかなか冬季の室温が保てず発酵が進まないのだ。
「となりに囲炉裏を作れたら良いんだけどね」
「そうすると今度は火事の恐れが出るからなぁ」
何事も一筋縄ではいかないものだ。
「難しいですな」
「本当にな」