第百三十話 上洛③
東海道中 阿曽沼孫四郎
逢坂関をこえて山科に降りてくると、まるで要塞のような高い土塁が見える。
「大宮様、あれはなんですか?」
「あれは本願寺や」
寛正六年(1465年)に比叡山に焼き討ちされこの山科の地に新しい本願寺を建立したそうだ。京に近い広い土地を探していたようで、ちょうど荒れ地だったこの山科に本願寺を置いたという。ちなみに大坂にもすでに御堂がおかれているそうだ。
「こんな土塁を築くということは、いろいろと恨みを買っているようだな」
たしか史実でも加賀一向一揆とかやったり信長と対立して長島城の戦いでは撫で斬りになったりしてたな。一向宗も比叡山もやり過ぎだから仕方が無い。いずれ俺たちも宗教勢力と争う時が来るのだろうな。
江戸時代の宗教政策が参考になりそうだが、残念ながら俺にはわからん。帰ったら雪に聞いてみよう。知っていれば儲けもの、知らないようなら利を与えつつ力をそぐか、明治維新のように廃仏毀釈で腐った坊主共を篩いに掛けて直接的に勢力を削るか。
そんなことを考えながら山科の本願寺を通り抜け蹴上にでる。山道が開けるといよいよ京がこの目に映るわけだが。
「これが京?」
広い平地に南北二カ所の街が見える。前世の記憶にあるような盆地いっぱいに広がる都市は当然ながら影も形もない。
「せや。御所がある北側が上京、南側にある街が下京でおじゃる」
前世では百万人以上が住む余裕の無い町並みだったが、まだまだこの時代は空き地が多いな。
「今日は強訴はおらぬようで静やな」
何やら物騒な言葉が聞こえるが、まあなんとも治安は確かに良くないのだろう。長い土塁が築かれ、所々に物見櫓があり、一部は焦げたような黒い部分がみえる。土塁の側には蓑にくるまった物乞いがたむろし、さらに鴨川には所々死体が浮いている。死体の幾ばくかは矢が刺さったものもあり、度々戦になっているようだ。
「なんとも死臭が酷いですな」
「うむ。これが京の匂い……これは真似たくないな」
「ほっほっほ、応仁からの戦が激しいときはこれよりもっと酷かったぞよ」
人が多い分、死ぬ人も多いか。なるべく遠野は平和な都市として拡大させたいものだと思いながら三条大橋を渡り、下京の街に入る。
「おお、おおお」
完全にお上りさんになったが仕方が無い。街の外はなかなかに悲惨であったが、中に入れば色鮮やかな服装の公家や武士、それに町民が賑やかに歩いている。
「こ、これが京の人々」
戦乱に怯える日々なのは間違いないのだろうけども、それを差し引いてもの繁栄である。これは京を獲ろうと思うわ。陸奥の田舎とは大違いの賑わいである。
「ほっほっほ。さしもの神童も京の気に中てられたようじゃの」
見渡すと建物はだいたいが木造で板葺きになっている。
「京は茅葺きではないのですね」
「家が多いからの、茅が足りんのや」
そういうのもあるのか。あと燃えやすいから人口密集地には向かないかもね。
◇
とりあえず大宮様の邸に上げて頂く。四条様の都合がつく日まで、数日間待たせて頂く事となった。庭に出ると焼けた倉がそのままにされている。
「あれはな応仁の大戦で焼けてしもうたんや。壬生家はなんとか持ち出せたが、うちは持ち出せんでな。もう小槻氏氏長者はよう名乗れへんやろなぁ」
公家は公家で勢力争いが激しいな。前世の官僚機構が最善ではないけれど、世襲制だと家同士の争いにまでなってしまうからなかなか難しいな。
「それでもまあ、久しぶりの我が家や。そなたらしばし待っておれ」
そう言い残し大宮様が奥に消えていく。
「いやはや、京は乱世と聞いておりましたが、なかなかどうして活気が溢れておりますな」
「うむ。葛屋、そなたの話だと魑魅魍魎がはびこる恐ろしいところと聞いてたが、素晴らしいとこじゃねぇか。神童殿なんか呆けておったわ」
「皆様、恐ろしいのはこれからの時間でございます。この上京はまだましではございますが下京は」
葛屋がうなる。そういえば葛屋は焼き討ちにあったのだな。家人の生命があっただけまだましだったとかいうから、なかなかの世紀末ぶりなのだろう。
と思っていたら下京のある南側が明るくなる。
「始まりましたな」
ここからではなぜ火の手が上がったのかまではわからないが盗賊がねずみの尻尾に火を点けて放し、混乱に乗じて泥棒を働くものもいたり、ただ火付けしたいだけに火矢を放ったりめちゃくちゃなようだ。
「これが……」
「なんとも……」
葛屋はさめたような顔つきだが、どこかのんびりとした遠野の者としては戦でもないのに相争う恐ろしい光景でしか無い。
「侍所は何をなさっているのか」
「ほっほっほ、若殿よ室町殿に期待しても仕方ないぞよ。管領殿とうまくいっておらんようでな、京の町をどうにかするより幕府の中での争いが大事なようやからな」
戻って来られた大宮様が呆れたようにため息をつく。政治も将軍親政を目論んで管領家と仲が悪くなっておるそうな。そう思えば寺社や下京などのように町民の共同体などが複雑に絡まったのが今の京の政治状況らしい。複雑すぎてなにがなんだかよくわからん。欧州政治は複雑怪奇とかいった人がいたが、この時代なら畿内政治は複雑怪奇と言ったところだろう。
大宮邸 阿曽沼孫四郎
「そなたらに紹介しておこう。息子の伊春や」
「従五位下左大史伊春や。普段は父が世話になっとるようで、えらいすまんなぁ」
丁寧に挨拶をされる。あまり嫌みな感じもないけど京都のひとってもっとそうニヒリズムな言動じゃないのだな。
「ははっ。とんでもございません。官務様にはこちらこそ大変お世話になっております」
「ほほほ。それに食事も良いようで、こちらに居たときよりも随分と血色が良うなっとりますわ。父上、陸奥で一体なにを召し上がっておられたんでしょう?」
「んむ。向こうは米が少ないでな、代わりに魚や獣肉を喰っておるのだ」
大宮様の言葉に伊春様が飛び上がる。
「なんと!仏の教えを無視されるのですか?」
「何を今更。山門の奴らも山鯨だとか牡丹だとか兎は鳥だとか言って獣肉を喰っておるではないか」
なんだ比叡山も肉食してるんだ。なんでも薬食いとか言うらしいが。
「それより若殿よ、このわからず屋にそなたの燻製肉を食わせてやってくれんか。わしも食いたいんや」
ということで下人が持ってこきた火鉢でベーコンとソーセージを炙っていく。ふつふつと脂が浮きでてうまそうな香りがあたりに充満する。
「おまえさま、随分とええ匂いがしてきよるけど一体何ですの?」
「おお清子か。陸奥から持ってきた肉を焼いておるのだ。」
「まあ!肉だなんて穢らわしい!」
「でもうまそうだろう?」
「う、それは、その……」
大宮様が奥方様と言い合いになりかけているので、割って入る。
「奥方様にはこちらの雉の燻製をお出ししましょう」
「ほぁぁ、いい匂いじゃ。鳥なら四つ足ではあらへんから食べても罰はあたらんやろうけど」
「でもうまそうじゃろ。ほほ。そちらはいい塩梅のようじゃな。少し切ってたもれ」
言われるがままにベーコンを切って渡す。ソーセージには醤油を塗って更に香ばしさを足してみる。
「ほほほ。実に滋味にあふれる。美味いぞ。清子も伊春も食わんでよいのか?」
「ぐ、ぬぬ。父上だけを咎人にするわけにはいかぬ。わ、私も喰らおう」
よだれを拭いながら伊春様が醤油を塗ったソーセージを口に含む。
「んんんん!美味いな!穢のくせに!美味いやないか!」
「そ、そんなに。こ、これは薬、薬でございます。ん?さっぱりというかパサパサしていますね。美味しいですけど。伊春やそちらの肉をよこしなさい!んんん!美味しい!」
スモークチキン美味いけどな。まあ脂が落ちるからソーセージやベーコンにはかなわないかもしれない。美味さは穢思想なんぞを吹き飛ばす。前世でも豚肉が食えない宗教の人たちだってとんかつ美味いって喰ってたし。
「これをそなたは毎日?」
「いやいや流石に毎日は食えぬ」
「わかりました。私も陸奥に下向します。おまえさまだけこんな美味しいものを食べていたなんて許せません」
とはいえ陸奥に帰るのはこれから四条様に会って、もし可能なら将軍に挨拶して、更に可能なら大内に挨拶してからだから早くて数カ月後だと話したら、なら直ぐにでも京を発つから準備しろと大宮様の尻を叩き始めた。
折角なので京味噌を作れるものを引き連れて頂くようお願いしたらあっさり了承頂いた。これで西京焼きが作れるようになるな。むふふ。
四条邸 阿曽沼孫四郎
大宮様の邸についた翌日、四条様の使いが来て四条邸に赴くこととなった。
「お初にお目にかかります。陸奥は遠野の阿曽沼左馬頭守親が嫡男孫四郎でございます」
「ほう、そなたが遠野の神童か。葛屋から話は聞いておる。おもてを上げられよ」
恐る恐る顔を上げていく。なんでも直ぐに上げてはいけないマナーらしい。めんどくさい。
「ほぅほぅ。なかなか彫りの深い顔つきじゃな」
そんなに珍しい顔だろうか。しげしげと四条様が眺めてくる。ぼそりと「好みでは無い」という声が聞こえた気がした。もし好みだったらなんだったのか。ここは聞かぬが華というものだろう。
「それはそうと、四条様、我が領の土産をお持ちしました。大したものはございませぬが、お納めください」
「ほほう、それは殊勝な心がけやな」
葛籠からまずは以前に贈った、一粒金胆をいくつか、それと干鮭と昆布を積み上げていく。
「この丸薬はえらい好評やったで。えらいすまんな。それにこの干し鮭と昆布はほんまこんなにもろてええんか?」
「もちろんでございます。四条様に献上するため持参いたしました」
こんなにと言うが蝦夷交易で得た量からすれば微々たるものでしか無いのだが。喜んでくれてるからヨシとしよう。
「ところで、そなたら獣肉を食らうそうじゃな。それはどこじゃ?」
「四条様もお召し上がりになるので?」
穢と忌み嫌われるはずの肉なので羽林家たる四条様への献上品には入れていなかったのだ。
「算博士に聞いたがの、随分と美味いそうやないか。帝の包丁を預かります、あてが味見せん訳にはいかんでおじゃる」
そういうものなの?京のマナーとかよくわからないけどそういうものなら仕方ないかな。葛屋に命じて大宮様の邸からベーコンとソーセージ、スモークチキン(雉肉)を持ってこさせる。
「ほうほう、これが燻製した肉でおじゃるか。このままでも食えるのか?」
「食べられなくは無いですが、炙ったほうがうまくなります」
「なるほどの。たそ、火鉢を持っておじゃれ」
「おまえさま、肉を召し上がるのですか?」
肉の匂いにつられたのか、四条様の正室である夕子様がお目見えになる。
「ほほぅ。うまそうな匂いじゃないか。夕子そなたも食わぬか?」
「ほにほに、されどお前さま肉食は穢につながると言うではないですか」
穢思想は結構根深い。もちろん薬食いなどあるから全く食わないわけではないが、延喜式で禁止されたがため五畜は食わなくなったそうだ。
「どうせ宮中に上がる仕事も最近はおじゃらん。なれば美味いものを喰って何が悪い」
正三位権大納言なのに宮中での仕事が無いとはどういうことなのかと聞けば、権職は名ばかりの官職名だという。実際の政治は公家から武家に移って久しいし、そんなものなのかもしれないな。
じっくりと炙って良い匂いが漂う。毒味もかねてまずは叔父上が箸をつける。
「うむ。今日も旨いな。ほれ、神童殿もこれは食べ頃だ」
「やはり旨いですね」
毒見役の俺たちが食べている姿に焦れたのか、四条様が俺の皿から肉を奪う。
「ほっほっほ。どれどれ。うむ!うまい!この細長いものも柔らかくて食べやすいの」
奥様も理性が食欲に負けたようで、スモークチキンを叔父上から受け取る。
「この燻した雉肉もなかなかやわ。さっぱりしとりますが味噌につけて食べれば丁度良い塩梅です」
その後しばらく肉を焼き、鮭を焼き堪能した後、四条様が聞いてくる。
「そなたらこのあとどうするのじゃ?」
「可能であれば公方様にお目通りしたく考えておりましたが、暇がないと袖にされてしまいました。ですのでこのあとは大内様の治める山口というところへ行ってみとう思っております」
奥州の田舎武家にわざわざ会うほど公方は暇ではないと門前払いを受けてしまったからな。それよりも大内の名を述べたところ四条様が難しい顔になったのが気になる。
「なにか、問題がございましたでしょうか」
「いやな、すでに赦されておるのだが、大内は先の将軍を抱え込んで上洛しようとした咎で朝敵と相成ってな。大内にはそちらから赴くのは止しておいたほうがええやろ」
そんな事があったのか。遠い西国の出来事であり陸奥では全く情報がなかった。
「となると若様、大内様に差し上げようと思っていた物が余ってしまいますぞ」
「どうしたものか」
流石に余り物だとか言って四条様に差し上げるのは無礼かな。
「室町殿も余裕が無いのぅ。で、室町殿への献上物はどないなものやったんや?」
蝦夷錦や砂金などを見せる。
「ふむ、これはまた立派なものやな。金まであるやないか。はぁ室町殿も見る目があらへんなあ」
「公方様にもお目通りが叶いませんので、これらのものは堺で売って米や牛馬でも持って帰ろうかと存じます」
これだけあれば結構な量の米や牛馬が手に入るだろう。そうすればまた遠野が富む。
「これこれ、話を急ぐでない。これはあてが預かります」
「献上するために持って参りましたので勿論、四条様へお譲りするのは全く問題ございませんが、よろしいのですか?」
「ほっほっほ。その方らの話をこの土産物をつこて公家連中にしときます。公家の中で噂になれば公方といえどおいそれと袖にはできんやろ」
正直なところ足利将軍には興味は無いが一応武家なので礼儀として挨拶を試みただけだ。公家連中にも良い印象は無いが、名前が売れるのはありがたい。
「四条様のお心遣いに感謝申し上げます」
四条様もにっこり、俺もまあにっこり。これからも良い関係を築いていきたいものだね。