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転生を望んだら戦国時代の遠野に来ました  作者: 海胆の人
文亀4年/永正元年(1504年)
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第百二十八話 上洛①

鎌倉街道 阿曽沼孫四郎


 大宮様の付添という形となるため、煩わしい他家への挨拶をすっ飛ばしていく。といっても利府をすぎれば我らのような弱小勢力は歯牙にもかけないだろう。街道とは名ばかりの獣道に毛が生えた程度の道をとことこ歩くこと十四日ほどで鎌倉にたどり着く。


「ここが鎌倉ですか。随分と荒れ果てていますね。」


「明応に起きた地揺れの際に大波が起きてかなり流されてしまったようです」


 前世でもみた鎌倉大仏は奈良の大仏と同じく大仏殿を有していたそうだが、この頃からすでに露坐している。大仏殿はいずれ復活させたほうが良いのだろうか、それともこのまま露坐していただくのがいいのだろうか。


「清之よ、ここの大仏はどういう仏様なのだ?」


「阿弥陀如来様と言われております」


「ここは阿弥陀様か。今は臨済宗の寺だそうだな」


 今度は大宮様が聞いてくる。


「左様にございます」


「武家の寺か」


 詳しいことはよくわからないが臨済宗は武家、特に源氏の幕府や足利幕府との結びつきが強いという。

 一方で遠野阿曽沼が普段菩提寺にしている東禅寺は曹洞宗でこちらは地方豪族や民に信徒が多く、臨済宗と比べて格が落ちるという。宗派の格なんてどうでもいいと思うが、この時代はこれが一般的な考え方だそうだ。

 そしてこの時代はまだ北条氏は鎌倉を治めておらず、三浦氏が治めているという。しかし最近今川から別れた伊勢新九郎が小田原城を奪い取り、いずれはこの鎌倉も制圧するのだろう。


「伊勢新九郎とやらは随分と戦上手なのだな」


「もとは政所執事である伊勢氏の庶流の出だとか。最近まで今川の軍師を務めておったそうですが、明応四年(1495年)に出家して早雲庵宗瑞と名乗って居るようです」


 山内上杉と扇谷上杉の争いの最中にどうやったのか大森氏の守る西相模の小田原城を手に入れ、いまや日の出の勢いという。しかし早雲か。歴史の授業でやった記憶がある。出自のよくわからない人で下剋上というか戦国大名のはしりとなった一人と習ったような。


 いつ死んだかは覚えていないが、俺が関東に到達できる頃には多分死んでるだろう。優秀な北条早雲とはできれば相対したくないな。しかし北条早雲といい、太原雪斎といい、今川家って優秀な軍師がいて羨ましいな。


 鎌倉で一泊し、朝から相模湾を横目に進んでいく。前世では東京近郊のビーチで人が溢れていたが、いまはただ漁村があるのみ。富士山ははっきりみえるので気分はよい。


「あれが富士の山か」


 前世でもみたが排ガスの影響のない、この時代ではより美しくみえるような気がする。


「聞くところによれば、山頂は八つの峰があることから八葉ともよばれておるな」


 大宮様からの注釈が入る。


「八葉と申しますと、仏様のお座りになる八葉蓮華のことでございますか?」


「左様、よう知っとるの。傅役殿のご指導が良いようだな」


「お褒めに預かり恐縮です」


 清之が照れたように頭を掻く。それにしても山の美しさに加えて八葉蓮華を思わせる頂きも霊峰と呼ばれる理由の一つだったりするのだろうか。


 夕方になり小田原に到着する。


「これが小田原、伊勢家の居城……」


「ずいぶんと大きな構えですな」


 総構えだったか小田原の町をすべて空堀と土塁で囲ったこの時代の日本には珍しいタイプの城。まあ遠野なんかは盆地だから周囲の山々が城壁とも言えるし近くを流れる川が水濠の代わりを果たしてくれる。それに侵攻ルートは限られるのでそこさえ抑えておけば良いからある意味防衛はし易いか。


「ここは明応の地揺れで混乱した際に伊勢が大森とやらから乗っ取ったそうだが詳しいことはようわからん」


 一足先に小田原に着いて宿の確保をしていた守儀叔父上が街の人から聞いてきたという。もともと大森氏の統治は評判が悪かったのも乗っ取りを成功させた一因だとか。乗っ取ったあとは民心の慰撫に努めわずか数年で盤石の体制になったという。


「伊勢氏は随分と政もうまいのだな」


 これほどに優れた後北条氏でも関東を統一するには至らなかったのだから、関東平野はなかなかの魔境だな。群雄割拠できるだけ生産力が大きいというのも有ったのだろうか。山背に悩む我らからすれば羨ましいことこの上ない。むしろ生産力の差が大きすぎてどうしようもない。絶望感すら感じるがきっとなんとかしてみせよう。こっちにはまだ開発できていないけど鉱山がたくさんあるしな。


「我が遠野もいずれこれくらいの街にしたいな」


「神童殿はなかなかの夢想家だな」


「宇夫方様、若様なら成せるかと」


「まあ期待しておる。必ず為すしてくれよ神童殿」



 賑わう小田原の街を朝日が照らす頃、小田原の街を西にぬける。早川に沿って歩き、湯本温泉から支流の須雲川に入ると傾斜がきつくなる。ちなみに湯本温泉はすでにというか聖武帝の時代からあったそうで疱瘡(天然痘)によく効いたらしい。本当なんかな?湯治に行けるくらい体力がある人だったから回復したってだけだったりしてね。


「ふぅふぅ」


「若様、この程度の坂で息が上がるとは鍛錬が足りませぬぞ。はぁふぅ」


 何を言うか、清之そなたも十分息が上がっておろう。いやしかし坂がきつい。車で登ってもきついがこの時代はもちろん徒歩なのでほぼ登山である。しばらくきつい坂を登ると小さな池がある開けた場所にでる。前世でいうお玉ヶ池だろう。


「皆様、もう少し行けば箱根という小さな村がございます。そこで一休みいたしましょう」


 葛屋は何度も行き来しているからか、行商が長かったからか、すこし息が弾んでいるが俺たちほどでは無い。さすがと言うかなんというか。しかし箱根の町……前世で言えば元箱根になるのかな時代が違いすぎるとこのあたりの地理関係はよくわからないね。


「これは素晴らしい眺めだな」


 漸く息を整え顔をあげると、穏やかな湖に映る美しい逆さ富士が目に入り思わず息を呑む。


「ほんに美しいのぅ。遠野に下るときは雨でおじゃったからのぅ」


 周りのものも同じように息を呑んで見入っている。


「みなさまこれから下っても山中で夜になりますのでこの箱根で宿をお取りしましょう」


 いうや葛屋は丁稚を走らせ近くの木賃宿を確保する。


「そういえばこの近くに箱根神社があるのだったか」


「若様よくご存じで。そうです。この箱根大権現(現:箱根神社)はかつて源頼朝公が参詣なさったことで、関東守護の社とされておりまする」


「ほぅ。面白いな。俺も行ってみるか。三喜殿はどうなさる?」


「私はここで夕餉の支度しつつ皆さんをお待ちしております」


 ということで俺と清之に守儀叔父上の三人で箱根神社に参拝する。祀られているのは瓊瓊杵尊ににぎのみこと木花開耶姫このはなのさくやひめに彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと:山幸彦)で、この三柱を併祀はいしして箱根大神はこねのおおかみと奉称しているそうだ。


 さらに神主に聞くところでは坂上田村麻呂も蝦夷遠征の際に奉献しているそうだ。陸奥のものからすると微妙な感情ではあるが、ここはあやかっておこう。


 参拝を終えて宿に戻ると小田原で買ったかまぼこで糧飯を喰らう。


「このかまぼこはまた旨いな」


「小田原のあたりは魚がよく採れるようで、このようにかまぼこ作りがさかんだと聞いております」


 葛屋はそう言いながら手慣れたように飯を盛っていく。手代以下は別の部屋でそちらは干物だそうだ。なんでも一度すり身にせねばならない分干物より高級品な扱いだそうだ。


「遠野に帰ったらこの蒲鉾をつくろうか」


 量産できるようになれば食糧事情がまた少し改善するかもしれない。あれ、かまぼこって日持ちするんだっけか。



 山登りで疲れた体はまだ眠いけど、朝日が昇る前に箱根を出る。この時代はまだ山中城はなかった。整備されるのはもっと後の時代だろうか。そのまま降りていくと三嶋大社だが、石垣などが崩れている。


「若様、この三島大明神(現:三嶋大社)もかつて頼朝公が平家討伐する際に必勝祈願をなさったところでございます」


「なるほどな。我らもその故事にあやかるか。ところで石垣の一部が崩れておるが、これはどうされたのだ?」


 聞くところによると先年の地震により一部の石垣が崩れたが、門前町の復興を優先した為にまだ大社の復興が進んでいないと言うことらしい。


「寄進したいが、我らも余裕があるわけではないしな」


「それよりも寺社といえど他領のものにおいそれと寄進しては成りませぬ」


 そういえばそうだ。その地の領主の了解も取らずに寄進などしては領主の顔に泥を塗ることになりかねん。とりあえず拝むだけ拝んで西にすすむ。三島の街をぬけると沼地が多くぐずぐずの土地に出る。


「このあたりは随分と地盤が緩いのだな」


「若殿よこのあたりは水が豊富でな、少し掘ればすぐに水がでて沼のようになるのだ」


 まさかの大宮様から指導を頂く。地下水位が高いというのは田圃にするにはうってつけだが、雨が降ればすぐに冠水しそうだな。今日中に吉原までいけるかと思ったが三嶋大社参拝で時間を食ったので今日はこの沼津で宿を取ることとなった。



北条早雲が小田原城を手に入れた詳細は今のところよくわかっていないようです。拙作では地震の混乱に乗じて乗っ取ったという設定です。

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