第百二十五話 寒天は戦略物資
横田城 阿曽沼孫四郎
「若様ー!」
「雪か。どうした」
「孫八郎さんはいるの?」
「まだ横田にいたと思うけど?」
「んじゃあ、ちょっと用事があるから呼んできて」
孫八郎に用事とはなんだろう珍しいな。もしかして俺から乗り換える気か?まああちらは顔もシュッとしてイケメンだし、こちらは無骨な顔になりつつあるししかたない。とりあえず小姓に孫八郎を呼びにいかせる。
一刻ほどして孫八郎が到着する。
「お待たせいたしました」
俺の私室に孫八郎を招き入れる。
「それでご用件とは何でしょうか?」
「俺ではなく、雪がそなたに頼み事だそうだ」
「雪殿が?」
「ええ、まあ若様のお願いほど面倒じゃないわ」
俺ってそんな面倒なことお願いしたっけか。せいぜい新型帆船作れとか蝦夷にいけとか湊を整備しろとか、それくらいしか孫八郎に指示していないはずだ。
「寒天を作って欲しいの」
「「寒天?」」
「ところてんは今の時代でも食べられているのだけれど、寒天はまだないの」
「ところてんから寒天ってどうやるんだ?」
「ところてんを凍らせて干して乾かせばできるわよ」
聞けば江戸時代の発明だそうだから、今の時代でもところてんさえ作ることができれば製造可能か。
「でもさ、寒天食いたいの?」
夏場はツルンとしていいが、まだ春先の寒い時期。そこまで食いたいというほどでもない。
「黒蜜かけて食べると美味しいわよね。まあそれもあるんだけど、菌類の純粋培養に使うのよ」
「寒天なんかで菌が育つのか?」
「もちろん寒天自体は利用できないんだけどね。古くなった米とか麦からデンプンを取り出せばそれが栄養になって菌が育つのよ」
「で、それをするとなにか良いことがあるか?」
「もちろん!例えば戦国転生モノでよくある椎茸栽培、あれがおが屑でできるようになるわ」
いきなり椎茸栽培だけが現代的になりそうだ。
「もちろん原理を理解できればいくらでも真似できるけど、この時代は菌からきのこができるなんて想像すらしていないどころか菌の存在自体知られていないから、しばらくは真似すらできないわ。たぶん」
おがくずを盗んだところで真似ができないから、秘匿する必要もないと。雪で冬期に仕事がない民の金稼ぎにできそうだ。最後のたぶんが無ければ。
そうは言っても麹座なんてものがあるんだし、真似くらいできるかもしれないから、保安局に警備させよう。
◇
「そういえば時計はどうなっていますか?」
ふと孫八郎が聞いてくる。
「そういえばどうなっているのかしら?」
「もうすぐできると聞いているが」
「それ年始にも聞いてるわよ」
「そういえばそうだな。どれ、呼び出してみるか」
しばらくして一郎が登城する。
「遅くなりまして」
「うむ。で、時計の製造はどうなっている」
「今調整中でして、今しばらくお時間を頂きたく」
「正月にも同じ言葉を聞いたが」
むぐっ!と一郎が言葉を詰まらせる。
「な、なれば今の未完成品でよろしければご覧に入れましょう。ただ、分解して動かせる状態ではございませんので研究所にお越しください」
雪解けのぬかるんだあぜ道を進み、研究所の扉を開ける。中からもわっとした空気が出てくる。
「ぬぅ暑いな」
「いま工部大輔様が蒸気機関の研究をなさっていますので」
なんだと!すでに蒸気機関の研究を始めておったか。
奥の扉からブシューという音が聞こえてきたかと思うとバーン!と大きな音が響く。数瞬後に砂!砂!との声が聞こえてくる。
「おお、な、なにが起こってるのだ」
「それよりも時計でございますが、こちらです」
それよりもで済ませおった。茶飯事なのか一郎は興味が無いような、自分の研究が優先なのか時計工房に案内していく。
「さてこれが時計一号機です。重りが降りていくのを利用して時刻を知らせる物を作ろうとしましたが、おもりが二つ必要で準備できないため、振り子時計にしております」
そろそろ日が南中する。日時計で正午を指したところでおもりを離す。
すると前世ぶりにカチカチと規則正しいリズムがなり始める。
「よく動いてるが、これでもまだ調整が甘いのか?」
「ええ、一日動かすと数分、場合によっては十分ほどのズレが生じてしまいます」
この時代はまだ分単位で物事を行うというのもないので十分だとは思うが、技術者というのはこんなものなのかもしれないな。しかしこのまま技術者になってしまうと前世で教師をやっていたというのはもうあんまり関係ないな。
「とりあえずはこの時計で定時法をなじませることにしよう」
附馬牛の東禅寺を鍋倉城下に移して時刻を知らせてもらおうかね。少しずつ時間の感覚を定時法に慣らしていく。
「若様がその不良品で良いとおっしゃるなら、構いませんが」
「これはこれで良い。精度を上げてもらいたいのはあるが、それよりも小型化して船にも持ち込めるような時計を拵えてほしい」
「クロノメーターですね。なら動力はゼンマイにして……脱進機を少し調整して……なるべくシンプルなのがいいかな」
ぶつぶつと一郎が自分の世界に入り込んでいく。
そういえば振り子時計だけど、振り子の定時制をガリレオが発見するのはもう少し後のような気がするけども、細かいことは気にしないほうがいいだろう。
「なんだか割と早くクロノメーターも作っていただけそうですね。それと蒸気機関もなんだか割と早くに手に入りそうですね」
「うむ、そうなれば航海も少し安全になるだろうし、船足も速くなるだろう」
「いずれ船団を組んで遠洋航海に出たいのですね」
「どの辺りまでだ?」
「北はカムチャッカ、南はマリアナ諸島、西は琉球あたりをまずは目指したいと思います」
長期の航海になりそうだな。その間の交易も必要だが航路の開拓は必要だし、先行投資として割り切ろう。
「少なくとも一隻は蝦夷交易のために残してほしいが、まあいいぞ」
となると船員と船大工と樵夫(木こりのこと)を増やさねばならんな。葛屋に申し付けて西国から人を買い付けるか。となると銭が必要になるから産業を、産業を増やすためには人が……いかん、なんだか堂々巡りになってきたぞ。色々やりたくても先立つものが足りないと厳しいな。