第百十三話 気仙郡出兵
赤羽根峠 宇夫方守儀
「うぬら、準備は良いか!これより赤羽根峠を越え、気仙郡に入る。まずは上有住と世田米に向かう。敵の主力は登米の方に出張らっておる故、残りは雑魚ばかり!ゆくぞ!」
兄上の号令で峠を降りていく。敵の動向は保安局から逐一伝えられており、世田米周辺に敵兵はほとんどおらぬということだが、上有住は北方の防衛拠点になって居るようでまとまった数が残っている。
農民の他、流れ者の中で武功を上げたいやつを兵として組み込み、こちらは敵の三倍はいる。
「ついに初陣だ!武功を上げてみせるぞ!」
こう気勢を上げるのは五辻俊仲殿。公家から武家になったわけだがなかなかどうして弓の扱いは良いようだ。まあ俺にはかなわんがな。
「俊仲殿、あまり気張ってもいかんぞ。無駄な力が入っては武功を挙げられぬばかりか、命を落としかねん」
「これは守儀殿。ご忠告痛み居る」
「それに世田米には将はおらぬと言う話だ。大した戦闘にはならんだろうから、今回は戦の空気に慣れるのを優先してくれ」
「承知した」
公家の出だと言うのに随分と素直だな。もう少し厄介な奴らばかりだと思っておったが。
「ところで、この滑車弓や馬の蹄鉄とやらはあの若殿が作ったのか?」
「そうなのだ。滑車弓はいつだったかおもちゃの弓にこの滑車を取り付けて遊んでおったのを見かけてな」
「なんと……。このおかげで強弓を楽に引けるばかりか、この狙いを点ける絡繰りのおかげで当たりやすいの」
俊仲殿が馬上で滑車弓をいじっている。神童殿は鍛錬に時間のかかる弓よりも先日城で披露した鉄砲なるものを主力にしたいようだ。あれなら多少の訓練で打てるようになるという。ただ雨や雪だと火薬が濡れるので、濡れない絡繰りを組み込むとか言っておったが。
「そういえば、此度の戦はてつはうや棒火矢などは無いのだな」
そう、前回小国で使った鉄はうと棒火矢で火薬が払底したらしい。冬の間は製造が進まないので今回は従前通りの武具での戦いとなる。
「冬に作れないとはまるで米のようですな」
俊仲殿が火薬を米に例えたが、なるほどそういう見方もあるか。今後火薬を使った戦が主流になるとすれば、戦における米みたいなものとなるかもしれんな。差し詰め弓や槍が雑穀とな。面白い。
二刻ほどで八日町の集落が見えてくる。
「ほれ、まずは上有住城を落とすぞ」
上有住城をみれば門を閉じ、幾人かが櫓からこちらをのぞいている。兄上が使いに文をもたせ投降を呼びかけるが、城門で射殺される。
「ほぉうどうやら死にたいようだな。守儀、ここから火矢を放て」
兄上の指示の下、荏胡麻油を染み込ませたボロ布をまとった矢を放つ。向こうはこの距離で火矢が届くと思っていないのか、余裕の表情だ。
「弓隊構えて……撃て!」
見事に城門に刺さり、燃え始める。慌てて城兵が消火作業を始める。その間にも続けて火矢を放つ。数発が敵兵にあたり火だるまとなって転げ落ちていった。城門が閉じられそうになったため俺が一番槍で乗り込むとあとから皆がなだれ込んでくる。そのままの勢いで駆けると二の門は閉じられておらず、兵もまばら、そんな数少ない兵らも我らを見るや逃げていく。
「射殺す位だから、もっと兵が居ると聞いておったが」
あまりにもあっけなく本丸までたどり着いてしまったことに違和感が募る。とりあえず城兵を皆殺しにしながら城を探る。
「と、殿!」
斥候に行っておったものが慌てて呼びに来る。
「どうした」
「こちらにお越しください」
兄上と共に城の奥へと進むとそこには城主の一族とみられるもの達の骸が横たわっている。
「これは?」
「おそらくここの城主、千葉内膳の家族と思われます」
「肝煎(庄屋のこと)を呼んでこい。まだ殺してなかったはずだ」
肝煎に聞いたところ、ここ数年苛政に悩んでいたがこの城の勢力が強かったため何もできなかった。このたび葛西殿と戦になったため城主が主立った兵と共に出払って隙だらけになったので、城に出入りしていたものの手入れにより一揆勢が入り込んで城主の一族を皆殺しにしたという。さらに我らの支配も許さない心づもりであったため応戦したという。
「あ、阿曽沼の殿様は善政を敷かれていると伺っております。上有住は阿曽沼様の元に組み入れて頂ければと存じます。」
上有住を占領する。一揆を先導し、我らに弓を引くよう指示した肝煎の一族を城に集め、これ以上一揆を起こさぬなら来年の年貢までは免除すると兄上から伝えられる。
「我らも気をつけねばな。聞けば加賀なんぞは一揆で守護が追い出されたそうだ」
肝煎本人と其の嫡男を除き、一族を血祭りにあげながら、兄上が誰に向けるとも無い言葉をつぶやく。
「それも大事だが兄上、まずはこの戦に勝ってからにしようぜ」
「ところで肝煎よ、そなたの名は?」
「へ、へい、あっしは太介と申します」
「そんなに苛政であったのか?」
親の首を肝煎の眼前に置きながら問いかける。
「……ひぃっ、さ、三年ほど前から年貢の取り立てが厳しくなりやして、そ、それに加えて普請の人足として度々駆り出されておりました、た、た」
そのほかにもことあるごとに呼びつけられたり、一揆の企て云々と有りもしない事を騒ぎ立て斬られたり、その他にも筆舌に尽くしがたいことをされるようになったとのことだ。
「しかし我らが攻めてくるとは思っておらなんだのか?」
「それについては葛西様を討ったらば、返す刀で撫で斬りにできると豪語されておりました故」
葛西殿は勿論千葉に比べても土地の広さ以外はたいしたことは無いからな。そう判断されるのも已む無しだが、舐められるのは腹立たしい。
「兄上、今、浜横沢城のあたりでにらみ合いになっておるようだ。今のうちに獲れる城は獲ってやろうぞ」
城の警備にとりあえず五十程置いておく。世田米攻めには守綱兄が率いる宮守、小友方面からの兵も来るのでなんとかなろう。
夜が明け出発の支度をしていると肝煎の太介とやらがやってくる。
「太介とやら、どうした?」
「はっ、世田米にはこの上有住と下有住のものが兵におります。先んじて我らがその者らに投降を呼びかけてみようと思いまする。」
「ありがたい申し出であるが、先程その方らに使いが射殺されたのでな、そなたらを信用するわけにはいかん。太介、そなたの子を人質として世田米城攻略まで預からせて貰う。上手くいけば命だけは助けてやる」
肝煎が反論しようとするが、兄上が殺気を向けると押し黙る。肝煎は幼い嫡男を人質に置いて世田米へと駆けていく。
「保安局の誰か居らぬか」
「ここに」
「守綱めの動きはどうか」
「今のところ問題なく行軍されております」
「なら重畳。この文を守綱に渡してきてくれ」
「御意」
本陣の足軽に扮した保安局のものがすすっと陣を出て行く。
「あやつ保安局だったのか」
「敵で無くてよかったな兄上」
「まったくだ」
◇
荷沢峠 鱒沢守綱
その頃、鱒沢守綱率いる別働隊は荷沢峠を進む。
「驚くほど何もないな」
「我らが手を出すと思われていなかったか、どうとでもなると思われていたかと」
沖館備中守卯兵衛が応える。
「いずれにせよなめられておるのは間違いなさそうだな。忌々しいが油断をつくのも兵法という。それより城攻めの際にはそなたの弓に期待しておるぞ」
「ははっ!」
小股川にそって山道を下っていく。伏兵などもなく順調にすすんでいると小股の集落が見えてくる。集落といっても数件家があるだけの小さなものだが。
「皆、家の影から討ってくるかも知れぬ。警戒してすすめ」
念の為、矢などが飛んでこないか警戒しながら集落に入る。集落の中で少し大きな肝煎と思しき家の戸を叩く。しばらくすると怯えた老人が出てくる。
「な、なにか御用でございましょうか」
「そなたがここの肝煎か」
「肝煎は息子でございます。あっしはすでに隠居しております」
そういえばすっかり腰の曲がった老夫婦しかいない。
「そなたの子息らは」
「若者は男なら兵に、女なら飯炊きにということで連れて行かれ、ここに残るのは儂らのような老いぼれと子供くらいでごぜぇやす」
「周りの村も似たような状況か」
「おそらくは」
根こそぎ動員かけての葛西殿との戦か、勝っても負けても今後が辛いな。
「この村は我ら阿曽沼がこれより治める。遠野の話は耳にしておろう」
「それはもう。最近の遠野はよく栄えておると聞いております。そうですか、儂らも遠野の殿様に収めて頂けますか。ありがたいことでございます」
「それでな、ここから世田米までの道案内を頼めんか」
「ようございます。なれば私めが道案内いたします。腰は曲がっておりますが、まだまだ歩きは問題ありませぬ故」
そう言うと近くの家に駆け寄り少しばかり状況説明をしたかと思うと、儂らの前に立つ。
「では道案内、と申しましても川沿いを下っていくだけでございますが」
柏里の集落でも同様のやり取りを行い、特に戦闘もなく世田米に到達する。
「まだ兄上の本体は到着しておらぬようだな。少し離れているがこの満蔵寺に陣を置くぞ」
「殿様、わしらは世田米の城に行って説得を試みようと思いますが、よろしいでしょうか?」
「む、構わんが、大丈夫か?」
「おお、儂のような老いぼれに気を駆けていただけるとはなんとお優しい。しかし心配は無用でございます」
そう言うと老人たちが城に向かって行く。
「降るようでしたら儲けものですな」
「そううまく行けばいいがな」