そのよん
「……すまん、リリ」
「……」
酒場のリリの指定席、休憩室には気まずい空気が流れていた。
今日は味噌漬け白身魚のフライ定食にしよう! と、酒場にやって来たリリを迎えたのは、床に座って頭を下げるラウとマスターだった。
「……決してそういうつもりでリリと酒を呑んでいたわけではない。だが、どうか話を聞いて、魔道具師ドーラ殿に繋いで欲しい」
ラウが「依頼」を口にした。
マスターが済まなそうに口添えした。
「リリ、俺はこの人に戦場で助けてもらったんだ。白身魚のフライ定食にイカと里芋の炊き合わせをつけて、熱燗出してやるから。〆には寒天の黒蜜がけも出してやるから、話だけでも聞いてやってくれないか?」
好物×好物×好物×好物=「……分かったわよ。まずは話だけよ」
リリはマスターにあっさり買収された。
かたじけない、とラウがマスターに頭を下げると、マスターも頭を下げて退室して行った。
え、二人きりはちょっと。
今までだって休憩室ではマスターなり従業員なり他の顔見知りの客なりと一緒に呑んでいたのである。
「身の安全は保証する。すまないが内密の話となる。俺の話を聞いてから、ドーラ殿に依頼を繋いでもらえるか判断してもらって構わないが、今から聞く話は、依頼を受ける受けないに関わらず他言無用だ。誓ってもらえるだろうか」
この場合の「誓う」は、魔術による誓約である。
「ペナルティを科しますか?」
誓約を破った場合のペナルティは誓約時に組み込まれる。何かを失うような代償を求める誓約も可能であり、極限で言えば、誓約を破ると命を失うというペナルティもありうるのである。
「いや、ペナルティではなく、事情を知らない人に話そうとすると声が出なくなる、というのはどうだろうか。もちろん、話すことをやめたら声は普通に出せる」
とにもかくにも話し回って欲しくないようである。
リリは、それならば話さなければ良いだけなので、魔術による誓約に同意した。
「結界の中との通話ですか……」
「そうだ。呪具の暴走により、結界内に閉じ込められた人と話をしたい。結界自体を解けるように魔術師が解術を試みているが、とんでもなく複雑な術で、時間がかかっている。ひとまず中の者と話がしたい」
「結界が不透明でお互いが見えないということですか?」
「いや、透明な結界だ」
「ならば、こう紙に書いて、見せ合えば良いのでは? 紙がなければ土に書けば?」
リリが胸の前に紙を掲げるようにしてみれば、ラウは何とも言えない顔をして言った。
「姿が見えるところにいないのだ。恐らく、家の中にいる」
「家?」
リリは嫌な予感がした。
「敷地を囲むように結界が張られている。敷地の境界には木や生け垣があり、あまり見通しは良くない。敷地の井戸は涸れているし、畑もない。辛うじて木々から木の実が少し採れるだろうが……」
リリは更に嫌な予感がした。
そう何カ所も「敷地に結界を張られて閉じ込められた」現象なんかない。
そんな偶然はいらないぞ! と心の中で叫んだ。
「……結界はいつから?」
リリの問いにラウは苦悶の表情を浮かべて言った。
「三ヶ月前だ」
うん、それ、自分のことだわ。
ラウは王宮で働いているのだろう。一応自分の夫の部下なのか。……クマが更に濃くなっている。この国の王宮は随分ブラックな職場なんだな。ああ、クソ野郎の国だもんね。
リリはそんなことを思いながら「ん゛ん゛ん゛ん゛っ」と変な咳払いをして、話を続けた。
「井戸が涸れて、食べる物がなくて三ヶ月じゃ……」
「生きている」
ラウはリリの言葉に被せるように言い、続けた。
「魔術での誓約がある。その署名は消えていない。命はある」
魔術での誓約は、どちらかが死ねば終わりとなるように術を組むことがほとんどである。当事者が命を落とすと署名は消え去り、当事者が全員死ぬと誓約書は燃え尽きて灰となる。
その署名が消えていないということは、例えどんな状態であっても生きている証拠でもあった。
うん、生キテルヨ……。
リリは力無く、なけなしの抵抗をしてみた。
「しかし、人は飲み食いしなくては一週間も持ちません」
ラウは、意を決したように「他言無用」と更に念押しをした。
「結界の中にいるのは、隣国の姫だ。隣国の魔力が多ければ多い程良いという価値観においては、魔力が少ないと判定された姫の扱いはひどいものだったという。忘れられた姫と呼ばれ、どうやら世話も何もされずに、後宮で自給自足していたらしい」
その通りです。
ようやっと調べましたか。
「自給自足していた姫ならば、何かしら口にして生きている可能性がある。水も、魔力が無いわけでは無いのだから飲み水くらいは出せるだろう」
ええ、出せますよ。井戸に水を呼びましたがね。
「問題は姫がどう思っているかだ」
リリは首を傾げた。姫の意思など、なんだというのだ。
「姫は、国境から一人で歩いて城に来た、らしいのだ。……通常では考えられん。供もなく嫁入り道具もなく、ましてや護衛もいないなど。そうやってたどり着いた城で、夫となった者からも守ってもらえず、廃墟に案内され、結界に閉じ込められるという仕打ちに、これ以上無い程傷ついたに違いない」
リリは情報がこんがらがって、混乱した。
夫は早く妻に死んで欲しいから、閉じ込めたのではないのか。あんな恨みのこもった結界を張って。
「話をしたくても、結界内に声が届いていないようなのだ。早く結界を解くように急がせているが、既に三ヶ月も経っている。早く出してやりたいのだが」
ここでリリは矛盾に気が付いた。
王は妻にとっとと死んで欲しくて結界を張ったのだと思っていたが、ラウは「呪具の暴走」と言った。つまりは故意に結界を張ったのではなく、事故だという。
ラウとこの酒場で出会ったのはおよそ二ヶ月前。リリが町に出るようになり、魔道具師ドーラの窓口として活動し始めた後である。
その頃のラウは、ここまで忙しくしていなかったし、ドーラに興味はあっても、無理して繋いで欲しいなどとは思っていないことは態度で分かっていた。だからこそ、気が合ったのだ。
つまりは、結界内に「姫」がいることに気が付いたのは、極々最近のこと。
「はあっ!?」
リリはうっかり口に出してしまい、慌てて口をつぐんだ。
「……俺もそう言った。姫は、しかるべき宮でしかるべき待遇で恙なくゆったりと滋養をつけている、と報告されていたんだ。それが、反逆者どもの嘘の塊で初日から廃墟に案内して捨て置き、呪具の暴走により結界が張られた後は、死ぬのを待っていたというのだ。俺を謀るなど、一族郎党に及ぶ罪を犯しながら、「そんなつもりはなかった」と言い放つ奴らを家臣に据え、姫の側に置いていた咎は自分にある。結界の解術に時間がかかるのであれば、せめて姫と話だけでもしたいのだ」
俺を謀るなど、一族郎党に及ぶ罪。
リリは冷や汗と脂汗の両方をかくという、生まれて初めての体験をしていた。
前世でもこんな嫌な汗をかいたことはない。
それでも、聞かざるを得なかった。
「……姫、は、ラウの……何?」
「妻だ」
本人、キターーーーーーッ!!
読んでくださり、ありがとうございました。