【番外】ドラッグ・レース・クイーン 其の五
結果から述べると、三人は余裕をもって《神風天覧試合》に間に合った。
復路に安全運転を望む洋に反し、往路超えの最速を求めたのは、意外にも烏京だった。時間を惜しんだ洋が引き、暴走パトカーは再び夜の大阪に降臨した。
往路ほどのトラブルはなく、復路は一分ばかり記録を塗り替えた。「まさかのスピード狂」とは洋の弁だ。
余談になるが、翌日、《UFOパトカー》なる噂がローカルSNS界隈を賑わせる。
目撃情報は、「夜の道路を超スピードで走っていた」「信号が勝手に裏返った」「空を飛んだ」などなど。
中には遠ざかるパトカーの背中を映した動画もあったが、あまりの速度にぶれがひどく、ナンバーや車体表記は確認できなかった。大阪府警への問い合わせは限定的で、噂は数日と待たず収まり、風化した。
「先に行け? 何でだよ」
振り返った洋が、怪訝そうに烏京を見る。
梅田第三ビル裏手、パトカーを置いた直後。《神風天覧試合》開始まで後九分。十分に間に合う時間だが、余裕はない。
「──野暮用だ」
「そりゃあ、一人でないとダメな用事か?」
「──その必要がある」
「ふぅん……わかった。早めに切り上げろよ。
あとパトカーの礼は、おまえから頼むわ」
大方察したのか、洋はそれ以上追及せず、蓮葉を連れて裏道を後にする。
二人を見送り、烏京は羽織ったパーカーを脱いだ。下には黒装束を着込んでいる。脇に畳んだ袋袖を伸ばし、覆帯を喉から口元に巻けば、本来の松羽 烏京の出立ちである。
「出て来い──時間がない」
裏道の傍らに澱む闇に問うと、現れる影一つ。
野暮ったいスーツを着た女である。年齢は二十代後半。中肉中背。豊かな胸の膨らみまで届く、たてがみのようなウルフカット。両耳にはカメオのピアス。個性の強いデザインで意匠が読みづらいが、烏京には見て取れる──《一対の死神》。
「何用でしょうか……松羽 烏京さま」
山上 狼火が、慇懃な口調で尋ねた。
畔の例に漏れぬ美貌だが、その目は夜の獣のように、胡乱な光を湛えている。
「──俺は生粋の殺し屋だ。
どれだけ薄めようと殺意の質が読める──
どこまで本気なのか──猛毒か否かまでな」
「何の話でしょう?」
「貴様の話だ──山上 狼火。
先刻の電話に含まれた殺意は──致死量だった。
──貴様は遠からず、畔 蓮葉を殺しに来る。
あの豚はまだ、気付いてないようだがな──」
《畔》と蓮葉の間に何があるのか、烏京は知らない。しかし《畔》からの接触を禁ずる理由は、およそ想像がついた。《畔》の中に敵がいるからだ。蓮葉を亡き者にしようという勢力が。
蓮葉は《畔の最高傑作》である。単純な武力で首を取るのは畔と言えど至難だろう。ともに暮らす洋も、必ず妹に加勢する。現状での暗殺は不可能に近い。
だからこそ、殺意は秘められ、濃縮する。
そしていつか、主人の隙を狙い、カゴの鳥を襲う──何食わぬ顔で、どんな手段を講じてでも。
それほどまでにドス黒い、怨念じみた殺意。
「……仮にもし、そうだとして」
狼火の声が、底冷えして響く。
「それが烏京さまに、何のご関係が……?」
「──同盟だからな」
「……意外ですね。
貴方は《松羽》以外では孤高を貫く一匹狼。
それに同盟を組んで、まだ日も浅いはず」
「そのつもりだったが──《《少し面白くなってきた》》」
覆帯の下で哂う。こんな心境は初めてだった。わずか数分の体験が、これほど己を変えようとは。
「──そういうわけだ。
畔 蓮葉は殺させない──俺がいる限りな」
「まるで、女王を守る騎士の台詞ですね」
飾り気のないポーチを持ち上げ、口づけするように顔を寄せる狼火。
その唇がまくれ、白い牙を覗かせる。
「……山を降りたばかりの小烏が、吹き上がるな」
「俺の台詞だ──街で飼われる雌犬風情が」
声音の変化に動じず、やり返す烏京。
その刹那、番えられた殺意が放たれた。
まさに「殺到」。矢のように飛び込む狼火に、仰け反りながら烏京が反応する。
喉元を切り裂く、狼火の手刀。
無音で迎撃する《竈門打ち》。
火花を散らし、散開する両者。
烏京の首が切り裂かれ、覆帯の端切れが舞った。
けれど、口から血を垂らし、たたらを踏んだのは狼火の方だ。片方の牙が砕け折れている。交差の際に礫を撃ち込まれたのだ。
「これは警告だ──《神風候補》を舐めるな」
残心を取りながら、意図して牙を狙ったことを言外に含める。さもなくば戦闘が継続しかねない。
整った狼火の顔が怒りと屈辱に歪んでいる。まさに手負いの狼の形相だが、迂闊に飛びかかるほど愚かではない。
その間を見計らい、烏京は引いた。狼火に背を向け歩き出す。追う気配はない。
時間制限の中、上首尾だと思われた。
烏京の覆帯は見た目に反して重い。防刃対策に細い鎖を編み込んであるからだ。それが容易に断たれている。畔の眷属は伊達ではない。
何より、見切ったはずの手刀に掠られた。指先が瞬時に伸びた。あれは爪ではなく──
裏道に残された狼火は、音もなく身を屈める。
床に落ちた牙を拾い上げ、口に含む。
力任せに噛み砕き、粉々にして嚥下する。
怒りが解け、百合のような笑顔を取り戻す。
そして再び、闇に消える──
第三ビルの地下入り口には、まだ洋と蓮葉が立っていた。腹がすいたのか、蓮葉は土産に持たされた堂島ロールを咥えている。
「──何をやっている。間に合わんぞ」
「まだ二分あるさ」
「──先に行けと言ったはずだが」
「オレらの同盟のお披露目だぜ? 三人揃わなきゃよ」
烏京はまじまじと洋を見た。
皮肉の色はない。どうやら本気らしい。
「──待たせたな」
洋に言ったつもりだが、蓮葉の堂島ロールが縦に動き、烏京を驚かせた。
「さあ、行こうぜ。
《神風天覧試合》、蓮葉の初舞台だ」
洋を先頭に、蓮葉と烏京が続き、第三ビルの階段を駆け下りた。
【番外】ドラッグ・レース・クイーン 終




