【一幕】魚々島 洋 VS 松羽 烏京 其の五
「おまえさんの投げのトンデモ精度と威力。
その秘密もまた松脂にある……違うかい?」
シュルルル──パチン。
巻尺様の《鮫貝》を伸縮させながら、洋は烏京に笑いかける。
10メートル先の対戦者は、身じろぎもしない。両手も袖に収めたままだ。
「投擲の要は握りにある。
どんな名投手だって、すべすべのボールじゃまともに投げられない。
野球で滑り止めに使うロージンバック、ロージンてのは松脂のことだ。
だが、度の過ぎる滑り止めはゲームを壊す。昔のメジャーにゃ球に唾をつけたり、ヤスリを隠し持った名投手がゴロゴロいたそうだが、今じゃ全部反則だ。
唾や傷程度でも、これだけの差が出る。
投げの天才が、自分専用の滑り止めを使えばどうなるか──?
それが、おまえさんの神技の秘密だ」
烏京は表情を変えない。反論もない。
「ついでの推理だが、松脂には種類があると見た。
《独楽打ち》と《竈門打ち》で、同じ松脂を使ってるはずがねえ。
石を加工した瞬間接着剤みたいな松脂も別だ。
複数用意してるのか、粘度を調整してるのかまではわからねえが」
教鞭よろしく伸びた白線の先が、烏京の腕を指し示す。
「そのデカい袖は握りを隠すだけじゃない。
投げ技に最適な弾を造り出す、工廠でもあるわけだ」
「フン──そこまでわかっていながら、無駄口を叩くとはな。
その工廠が、豚の戯言に合わせて、作業を止めると思ったか?」
「思ってねえさ。ジャンジャン稼働してくれ。多少はハンデも埋まるだろ」
洋の鷹揚ぶりに、烏京が鼻白む。真意を測りかねた表情だ。
「あんた……その手、痛くないの?」
洋にそう尋ねたのは、巫女のたつきである。
烏京と同じく、距離は10メートルばかり離れているが、輩の聴覚をもってすれば、声を張り上げずとも会話が成立する。
「骨は折れてねえ。戦ってる間は気にならねえかな。
正直、貫通するたー思ってなかったが」
「そういう意味で聞いたんじゃないけど……まあいいわ」
撃たれた者が殺伐ともせず、撃った者に平然と話しかける。
その辺りの異常な感覚を問うたつもりだが、どのみち理解できそうにない。
「──本物の魚々島なら、受けられたはずだ」
洋は肩を竦め、烏京に向き直った。
「おまえさん、さっきからやたら魚々島を持ち上げてくれるな。
ファンクラブにでも入ってんのか?」
「──オレの兄弟子は、前回の《天覧試合》で貴様の兄に惨敗を喫した」
洋の笑みが固まった。《鮫貝》の白線が勢いよく戻る。
「その汚名を雪ぐべく、松羽でもっとも強いオレが送り込まれた。
だが、魚々島と忍野が選んだのは、《陸亀》の豚だった──それだけの話だ」
「なーるほど」
洋は神妙な顔で、鼻の頭を擦った。
「そういや、松羽流の話は兄貴から聞いたんだっけ。
闘ったって話は知らなかったが、そういう因縁とはね」
「雪辱の機が失われた以上、ハンデをつけた上で貴様を潰す他にない。
愚かな人選をした魚々島に、松羽の名を刻み込むにはな」
ふうん、と思案する洋。
「ま、確かに兄貴は魚々島最強だったし、オレは魚々島最弱だ。
そこは否定しねぇが、おまえさん、一つだけ勘違いしてるぜ」
あっけらかんと続ける。
「『松羽最強が、魚々島最弱より上』って勘違いをな」
「──ほざけ、豚が」
眉をいからせ、烏京は言下に言い放った。
「戯言は聞き飽きた。
松羽流の神髄で終わらせてやる──そのよく回る舌もろともな」
対峙する烏京が、構えを変えた。
左手は前回同様、袖の中で胸元配置。
だが、右手は肩より上、上段の位を取る。
空へ伸びた手は袖から露出し、握った《石手裏剣》も見える。手裏剣術では《直打ち》と呼ばれる基本的な型だ。隠匿性はないが、安定した威力と精度を誇る。
左の《竈門打ち》で敵の足を止め、右の直打ちで仕留める。
それが狙いであることを、隠そうとしていない。
加えて。会話のさなかから、烏京は砂利道の中央へ移動した。
中央とは即ち、洋が利用した《御所の細道》の上だ。ともに《細道》を使う限り、地の利は公平。道端に追い詰める戦術も使えない。
「んじゃ、行くかね」
烏京の変化に臆することなく、洋が飛び出した。
見越したように《竈門打ち》の礫が飛ぶ。まっすぐな軌道が、洋の喉元を透過し突き抜ける。
《海蛍》──礫をかわしながら前に出る。何度も繰り返した展開だ。
それを狂わせたのは、次弾だった。
突如、洋の左耳が弾けたのだ。血霧とともに、洋の足が止まる。
「……マジかよ」
引き裂かれた耳朶を意にも介さず、洋は烏京の左手に目を凝らす。
傍で見守る忍野も驚きを隠せない。《海蛍》が被弾を許したのは、自分の秘剣を除けば、これが初めてではないか。
不可触の《海蛍》を破ったのは、これまでと同じ《竈門打ち》。
異なるのは、弾と軌道だ。
平型手裏剣。棒手裏剣に対する平たい形状で、忍者の代名詞として有名な武器だ。当然、礫を松脂で繋いで作られた《石手裏剣》だが、その凄まじい回転は、玉石に刃の切れ味を、軌道に立体的な変化を与えている。
「──オレは、どんな弾でも自在に曲げられる。
加工を施せば、なおのこと万全にな」
「松羽の神髄ってやつか。おもしれえ」
なおも前に出る洋を、新たな礫が迎撃する。
一撃、二撃。陽炎のように身を揺らしかわす洋だが、間隙を縫うように打ち込まれた右の直打ちが、鎖骨の右胸に突き立った。
血が吹き出す。またも足が止まる。
軌道が変わろうと、洋の対処は同じだ。首を引いて礫の軌道を見極め、《海蛍》の体術で紙一重でかわす。それでいい。
だが、ただでさえ疾い《竈門打ち》の変化を見切るには、これまで以上に弾を引きつけ、集中する必要がある。右手の《直打ち》の警戒が、刹那薄れる。烏京はそこを突いてくる。いかなる神技も、意識外の弾は避けられない。
何より不味いのは、《海蛍》の動きが読まれ始めたことだ。
くせで避ければ、弾は確実に追ってくる。意図して外せば、どうしても反応は遅れる。直打ちの警戒も外せない。前に出る余裕がない。
この連携を掻い潜るのは、至難の業だ。
石手裏剣がこめかみを切り裂き、右肩に突き立った。
致命撃こそ避けているが、時間の問題でしかない。
烏京の予言した《肉の的》が、いましも現実化しつつある。
「オイオイ、いきなり血ダルマじゃねーか」「おっそいのよ、デブだから」
例によって騒ぎ始めた槍と巫女のコンビに、割り込む者がいた。
「私は、速度は互角。読みも互角と見るがな」
巨人の肩にいた少女である。いつのまにか降りたらしい。
そばに並ぶとたつきよりも小さいが、その目と表情は、奇妙に大人びている。
「《竈門打ち》の多用から、魚々島はタイミングを体で覚えた。
しかし、松羽もそれは同様。《海蛍》の動きを覚え、予測し始めた。
その上で、松羽は《竈門打ち》に変化を加え、戦況を優位に変えた。
《竈門打ち》の乱発は悪手と思っていたが、ここまで想定していたようだ。
現時点での両者の差は、速さではない。戦略だ」
「……ずっと不思議に思ってたンだがヨ。
おまえは何者なンだよ。そのデカジジイの孫とかか?」
少女は冷徹な眼差しを浪馬に向けた。
「私はカリナ。
最寄 雁那──荒楠の通訳兼補佐だ」
低い声の説明口調。中学生にしか見えない少女の物言いでは明らかにない。
「通訳ゥ?! どういう意味だそりゃ?」
「不必要な情報を漏らす趣味はない。
私のことより、あの二人だ。見ろ、魚々島が動く」
どこか楽しそうに、雁那は言った。
「あの目は、まだ死んでいない。もう一波乱あるぞ」




