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神風VS  作者: 梶野カメムシ
【開幕】《神風天覧試合》、始まりの儀
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【開幕】《神風天覧試合》、始まりの儀 其の二




 東海道本線・新快速の席で、営業マンは思わず眼鏡を正した。

 電車はJR大阪駅を出発し、京都駅へ向かっている。時間は正午過ぎ。得意先の営業を済ませ、京都に帰社するところだ。天気もよく、船を漕ぎかけていたのだが、とんでもない美人が乗り合わせているのに気付き、眠気が飛んだ。

 まさに目が覚めるような美女だった。白い肌とすらりとした長身、大人びた美貌はモデルのようだが、化粧気は乏しい。背中に届くストレートの黒髪も工夫がなく、磨けばさらに輝く原石のおもむきがある。ネイビーのジャケットにタイトスカート、黒ストッキングのビジネススタイルでも、社会人に思えないのはそのせいだろう。手提げのバッグも、不似合いに大きな代物だ。

 平日昼の車内はそこそこ空いていたが、美女に座る様子はない。

 扉横の空間で並んでいる相手は、フンコロガシを思わせる小太りの男だ。こちらはフィッシングベストにカーゴパンツと釣りに行くような服で、バッグ以上に不釣り合いに思えたが、何か言葉を交わすたび、美女は輝くような笑みをこぼす。

 弟じゃないよな。後輩か。まさか恋人か。あんな奴がか。

 まあどのみち、オレには縁のない人種か。

 男はブラインドを降ろし、京都までの三十分を睡眠に充てるべく目を閉じた。


 東海道本線・新快速の車中で、原田 智雄は最高の獲物を見つけた。

 原田は痴漢である。痴漢といえば陰気な変質者やストレスの嵩じたサラリーマンが思い浮かぶが、原田は筋骨隆々の巨漢だ。しごきに耐え切れずすぐに逃げたが、若い頃はプロレス道場にいたこともある。今は犯罪まがいの荒事で糊口をしのいでいる。

 痴漢といえば混雑に乗じて女体に触るというイメージがあるが、これも原田には当てはまらない。原田が乗るのは平日の空いた電車。停車駅が少なく、区間の長い新快速を好む。原田は人目を恐れない。先に一睨みしておけば、邪魔はおろか通報すらする者は現れない。原田は知っている。赤の他人のために危険を犯して立ち上がる、ドラマのようなヒーローは現実にはいない。原田にとって、電車とは観客付きの無料風俗店だった。気に入った女は《《持ち帰る》》ことも珍しくなかった。

 その原田が目をつけたのは、扉の傍に立っている若い女だ。

 扉傍で窓の方を向き、形のいい尻を車内に向けている。やぼったいスーツだが、タイトなスカートでは隠し切れない肉付きのよさだった。ストッキングに包まれた脚も絶品で、むしゃぶりつきたくなる。何より背丈がいい。原田の体格では並みの女の尻を触るのは一苦労だが、こいつの尻はあつらえたような位置にある。触ってくれと言わんばかりだった。

 隣の小男はツレらしいが、でっぷりと太っていて、まるでオタクだ。原田は知っている。こいつらは暴力に弱い。ツレが絡まれても声一つ上げず俯くだけだ。

 荒い鼻息を隠そうともせず、原田は女の後ろに近づいた。

 いつも通り、まずは周囲を睨みつける。強面の一瞥に、こちらを見ていた視線が一斉に霧散した。慌ててスマホをしまう者もいる。いい心がけだった。ヒーローは今日も不在だ。

 女の背後に張り付くと、シャンプーの清涼な香りが鼻腔を満たした。女に気付いた様子はない。わざと気付かせ、嫌がる様子を愉しむのもオツなものだが、空前の美女を前に気がはやった。太い指を虫のように蠢かしながら、原田は女のスカートに手を伸ばした。

 その手が、尻ではない感触を伝えたのは、次の瞬間だった。

 触れると同時に触れられていた。手だ。女が後ろに手を回している。ガードではなかった。手と手を合わせ、指と指を絡めて、握り返している。

 戸惑いが原田を襲った。これはOKの意思表示なのか。たまに遭遇する、触られて喜ぶ類の女なのか。

 答えは、すぐに出た。

 電車が揺れた瞬間、指が異音を発したのだ。親指を除いた、原田の手指全てが。 

 女は力を込めていない。わずかにバランスを崩した原田の巨体、その体重を指に導き、折った──そんな感じだった。華奢に思えた女の指が、その一瞬だけ鋼に変化した。何より信じがたいことに、女は一度もこちらを振り向いていない。ノールック、しかも後ろ手で、元レスラーの自分が痛めつけられている。

 折れた指に容赦ない捻りが加わり、ペットボトルを潰すような音が響き渡った。

 痛みはない。感覚もない。ただ全身の血が一気に冷えていく。原田は知っている。これは激痛の前兆だ。心を壊すほどの痛みには、脳が猶予時間をくれる。プロレス道場を逃げた日もそうだった。地獄は後から追いついてくる。

「そこまでにしとけ、蓮葉」

 デブの一言で、ようやく原田の手は解放された。よく通る声は、原田の想定と異なり、まるで平常運転だ。

「触った後だったら止めてねーけどな。

 その図体で痴漢とか、殺す気も失せるクズ野郎だ。

 今日は見逃してやるが、次にこんなことやったら指だけじゃねえ。

 全身バラして撒き餌(コマセ)にしてやるからな。わかったか?」

 威勢のいい啖呵に、原田はうなずくしかない。指が熱を帯び始めた。地獄が来る。もう追いついて来る。

「あー、ちょっと目立ち過ぎたか。次で降りるぞ、蓮葉」

「うん」 

 車内アナウンスが駅到着を告げる中、それを掻き消すボリュームの絶叫が新快速にこだました。


 高槻駅に停車した新快速が、大量の人間を吐き出し、吸い込んでいく。 

 やがて潮が引くように人の数は減り、プラットホームには洋と蓮葉、そして原田が残された。

「おいおい、おまえも降りたのかよ?」

 洋が驚いたのも無理はない。指を折られた原田は床をのたうち回り、とても降車できる様子ではなかったのだ。京都に向かう途中、無用な面倒を避けて途中下車したというのに、これでは意味がない。

「あ、足が勝手に……」

「何言ってやがる。オレらを狙って──じゃねえよな。流石に」

 原田の泣き顔を見て、洋は首をひねった。痴漢の表情に嘘の色はない。とはいえ、自分で降りたのはあまりに不自然だ。

 ──誰かに追い出されたってのか?

 目で新快速を追うが、とっくにホームを出た後だ。

「おかしなのはこいつだけと思ってたが……いや、まさかな」

 隣には蓮葉もいた。敵意があれば気付かぬはずがない。

 ホームに残った人々が、うずくまった痴漢に注目している。

 洋は考えるのを止め、急ぎ原田から離れると、足早に改札へ向かった。


「……置いてかれても困るっつーの、あんな粗大ゴミ」

 東海道本線・新快速の車中で、少女はそうつぶやいた。

 淡色のスプリングニットに膝丈スカート、編み上げ靴。ガーリーなコーデが小柄ショートの外見に似合っている。本格的なサイズのトランクは、少女が旅慣れていること、今回の旅も長くなることの証拠だろう。

「荷物、大阪駅で預ければよかったかも。でもトランク、これ一つだしなあ。

 ……あ。京都駅でロッカーに入れて、夜、取り来ればいっか。

 観光ついでに替えのバッグ探して、それに着替えだけ入れてってー」

 にんまり笑うと、宮山みやまたつきは再び、観光案内に目を落とした。

 


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