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神風VS  作者: 梶野カメムシ
【序幕】ー海と山とー
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【序幕】魚々島 洋、畔 蓮葉と会遇する 其の二

 まさか。本当に商売女なのか?

 意外過ぎる淫靡な展開に、その可能性が脳裏をよぎる。

 だが、それはおかしい。ヤクザに用意された女が、ここで色事に応じる意味があるだろうか?

 むしろ逆だ。女が抵抗してこそ、哀れな人質の印象は強まる。

 さくらであれ不幸な一般人であれ、ここは抵抗一択の場面なのだ。逆に唇を奪われた男の驚愕が、如実に物語っている。

 とはいえ男の戸惑いは、容易く獣欲に押し流された。

 紅に光る唇に夢中で吸い付くと、鼻息荒く制服の胸を揉みしだく。意馬心猿の欲望のまま、さらに指を襟元へ滑らせ、白い谷間へ潜り込ま──

 発火せんばかりに集束する視線の中、突如、男の手が凍り付いた。

 そのまま両手を前に突き出す。女を挟んで《小さく前に習え》のポーズ。不可解な男の挙動に、半グレたちが揃って疑問符を浮かべる。だが男はふざけてはいない。瞠目する眼窩に詰まっているのは、あらん限りの恐怖だ。 

 動いたのは、女の方だった。ゆっくりと歩き出す。後ろ手に縛られたまま、男と相対したまま、熱い口づけを交わしたまま。そして男は、繋がれた羊のように従順に女についていく。 

 波止場を洗う波だけが、しばし、しじまを支配した。

 暴力を日常とする半グレの面々。血生臭い修羅場に慣れた彼らが今、揃って絶句し、歩む男女を見送っている。男の恭順が望まぬものなのは明らかだが、何が起こっているかはわからない。彼らを畏怖させたのは、その異常性だ。

「待てこら、動くんじゃねぇ!」

 いち早く金縛りを脱したのは、名越だった。懐から抜いた拳銃を突き出し、女に向ける。流れるような動きに迷いはないが、銃口の先にあるのは男の背中だ。

「こ、こいつ……!」

 ようやく理解した──盾だ。この女、男を盾に使っている。

「何やってるてめぇら!女が先だ!殺せ!殺せ!」

 名越の激に打たれ、荒くれたちの金縛りが解ける。だが、いち早く女が車に到達した。扉は開いたまま。男を外に残して、するりと車内に飛び込む。

 怒号をあげて押し寄せる暴力の波を迎えたのは、真紅の噴水だった。

 男だ。女に置き去りにされた男が、口元を抑え、のたうち回る。言葉を忘れたような唸り声は大量の出血に彩られ、充満する殺意を鼻白ませた。

 舌を、食いちぎられている……!

 男の身に何が起こったのか、半グレたちはようやく理解した。男は舌を《人質》に取られていたのだ。抵抗できないのも無理はない。舌を噛む程度ならいざ知らず、相手を意のままに操り、最後には食いちぎるなど、普通の女の所業ではない。

 その間隙を突いて、女が飛び出した。

 座席を蹴って跳躍し、一回転してミニバンの屋根に立ち尽くす。流れる黒髪。その手には女の荷物であろう、学生カバンと細長いスポーツバッグ。手首の拘束はそのままだ。

 集団の視線が一斉に上を向いた瞬間、制服の女は敵に背を向け、車から跳んだ。

 車の反対方向は、海だ。

 大方の想像通り、大きな水音が響き渡る。

「海やと?」「逃げた?」「アホ言え、逃げれるか」「死ぬ気か?」

「ゴチャゴチャ言わずに、探せぇボケ!」

 尻を蹴り上げられたように、男たちは波打ち際に散開する。

 港は水揚げ用の岸壁である。海面は岸から1メートル下だ。常人では登るのも困難だし、対岸の咲州さきしまに渡るには、夜の海を1キロ近く泳ぐ必要がある。まして女は、手首を縛られたままだ。自殺という推測はあながち外れていない。

 未知は恐怖を呼び寄せる。得体が知れなければなおのことだ。それは悪党でも例外なく、捜索はおのずと及び腰になる。

 一方、名越は改めて《鬼デブ》と対峙する。 

 異常事態のさなかでも、洋に特別な動きはない。寒さがこたえたのか、両手がポケットに移っているくらいか。突き付けられた銃口を前にしてすらそれは変わらず、むしろ破顔した。

赤星マカロフか。やっすい銃だな。装弾数は八、いや九発だっけ」

「死ぬ前に答えろや。あの女はいったい何なんだ?」

「だから、知らないって言ってんだろ」

 揶揄するように片目を閉じる。

「でもま、見当はついてる。オレに当てられたら、教えてやるよ」

 名越は眉間に皺を寄せ、引き金を絞る。いい加減、こいつの軽口は聞き飽きた。

「おまえみたいなデブ公を、この距離で外すかよ」

 躊躇いなく、撃った。

 彼我の距離は7メートル、標的はドラム缶サイズ。逃亡も反撃の心配もない。これで外すのは、老いぼれか酔っ払いだけだ。

 銃声に被さるような、乾いた金属音が届いた。 

 名越は耳を疑った。《鬼デブ》の後方、かなり先にはコンテナがある。今のが跳弾音ならしっくりくる感じだ。

 だが、相手は一歩も動いていない。弾丸を外す道理がない。

 確かめるように、続けざまに撃つ。

 二発、三発、四発。

 避けようがない太鼓腹目がけての連射は、またしても同じ数の跳弾音を奏でる。

「いいねいいねぇ。続けて頼むぜ」

 いや、違う。名越は見た。弾が命中する直前、わずかに体を捻り、傾け、体軸をずらし、元に戻る。揺れる水滴のような柔らかな体捌きで、その場を動かず弾を避けている。動きが自然なあまり、弾が抜けたように錯覚したのだ。

「……この、化け物が!」

 畏怖を上回る激昂が、名越を突き動かした。

 舐められては商売にならないのがヤクザ者だ。理性が断線し感情が火花を散らす《切れた》状態──それに徹することこそが、最大の武器である。 

 大股で洋に近づきながら、名越は続けざまに銃弾を撃ち込む。

 丸い身体が滑らかに揺れ、弾丸が抜ける。五発、六発、七発。

 一歩も退かぬ洋を前に、二人の距離が急速に縮まる。

 硝煙立ち昇る銃口が、ついに直接、洋の額に突き付けられた。

「くたばれ」

 勝利と飛び散る脳漿を確信し、名越は引き金を引いた。

 刹那、銃口が名越の腕ごと跳ね上がった。銃声は号砲のように夜空を貫き、拳銃は勢いのまま、アスファルトに転がる。

「最後の一発はよかったぜ。いい練習になった」

 シュルル……滑るような音を立て、細く白い帯が洋の手に消えていく。握られているのはどう見ても巻尺メジャーだが、まさかこれで拳銃を弾いたというのか。

 名越はがくりと肩を落とし、膝から崩れ落ちた。

 弾丸は尽きた。素手で続ける選択肢はあるが、銃を用いて勝てない相手にどう戦えというのか。

 絶望する名越に、追い打ちをかけたのが岸壁の光景だった。

 半グレの姿がどこにもない。あるのは岸辺に立ち並ぶ複数の棒。係柱ボラードではない。靴を履いたまま斜めの切り口を晒して立ち尽くす男の脚だ。残り(・・)の行方は問うまでもない。

「──《濡女ぬれおんな》」

 唐突に、洋が口を開いた。

「さっきの技の名だよ。舌を捉えて相手の自由を奪う《ほとり》の技さ」

「ほとり……?」

「そういう一族がいるんだよ。《畔の水妖》とも呼ばれてる。

 水辺で連中と戦るなんて、レミング顔負けの自殺行為だ」

 淡々とした語り口が、かえって背汗を凍らせる。幼い頃に聞かされた怪談のように。

「あんたが知らないのも無理ないが、機会があれば足高組の会長に聞いてみな。

 何なら《魚々島》についてもな」 

 石像と化したヤクザの目を覗き込み、洋は再び笑った。

「あんた、もう帰っていいぜ。お礼参りはいつでも大歓迎だ。

 次の手土産は自動小銃(アサルトライフル)短機関銃(サブマシンガン)にしてくれ」



 ドラッグレースさながらの加速で名越の車が姿を消した後、長髪の女が水音とともに姿を現した。

 全身濡れそぼっているが怪我はない。拘束は解けているが、片方の手首にはビニルテープが巻かれたままだ。シャツが肌に張り付き、細身だが肉付きのいい輪郭をあらわにしているが、女に気にする素振りはない。逆に洋の方が目を逸らしたくらいだ。

 互いを除き無人と化したコンテナ街で、洋と謎の女は改めて向き合った。

「皆殺しかよ。容赦ねぇのな、おまえ」

 洋の口調は、特に責める風でもない。 

 女は答えず、左手のテープを剥がし始めた。左手指を伸ばし、左手首のテープを摘む。さりげなくも異常な柔軟性だった。バッグの右手は使う素振りもない。

「名前は?」

「──ほとり 蓮葉はすは

 声は案外若いな、と洋は思った。

「オレは魚々島 洋」

 女の瞳が、初めて洋を映した。人形のような無表情がほどけ、唇がわずかに上下する。今聞いた名を反芻するように。

「それで、何故オレを訪ねてきた? 《畔》の連絡役からは何も聞いてないぜ?」

 蓮葉と名乗る女は、海の方を見やる。巻き取ったテープを丸め、岸壁の向こうへ投げ込んで、言った。

「……忘れた」

「はぁ?」

 洋の間抜け面を前に、蓮葉は真顔だ。嘘とも駆け引きとも冗談とも思えない。

「何だよそりゃ。おまえ《畔》だよな?」

 返答はないが、確認するまでもない。こんな《妖怪》が他にいる道理がない──しかし、何故ここへ?

 洋は鼻頭を擦り、ため息をついた。ジャージの上着を脱ぎ、女に投げ渡す。

「風邪……は引かねえだろうが、羽織っとけ。縦はともかく横はサイズ合うだろ」

 受け取った蓮葉に続けた。 

「ここから橋二つ越えればオレのガスタ(ねぐら)だ。

 続きはそこで聞かせてくれ。シャワーくらい貸すからよ」

 女の首肯を確認すると、洋は背を向け、歩き出す。

 だから気付かない。

 渡された上着を抱きしめる蓮葉の変化に。

 綻び、制服相応の少女に戻る、そのかおに。

 

                            「……お兄ちゃん」


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