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狐火鉢  作者: 柊 椿
1/8

俳優魂

「何やってんだよ!いらねぇんだよ、そういうの」

監督の罵声と周囲からの白い眼差しが同時に私に向かってやってくる。


40手前の売れない俳優、それが世間から見た私への評価だ。


「夢は大きく持て」


子供の頃から父からよく言われた言葉だ。


父は厳しい人だった。

父子家庭だったという事も影響しているのだろう。

勉強、言葉使い、箸使いに至るまで私は父にしつこいくらいに私に言い聞かせてきた。


私の父は画家を生業としている

とりわけ有名というわけでは無いが、私を大学卒業まで育ててくれる位の才はあった。


私も父の背中を追いかけ画家という世界を目指してみたが、あいにく私には父のような絵の才能は無かった。


大学の入学と同時に私は1人暮らしを始めた。決して実家から通えない距離ではないが、父の傍にいたくなかったのだ。

その代わり家賃、生活費共に自分で工面しなくてはならなかった。

父から解放されたかった私にとってそれ自体は苦では無かった。

世間一般のイメージでは、遊んでばかりいる大学生などというイメージだろうが私はその例に漏れ、毎日の生活の為のバイトに日々を追われていた。

大学に入り1年も経つとそんな生活にも慣れていったが何の為に大学に入ったのかさえ分からなくなっていた。

大学を辞めるという選択肢もあったが、私は辞めずにこの生活を続けた。

もはや私の目的は父から離れる事だったかのように今は思う。

何とか大学自体は卒業出来たが当然のように就職は出来なかった。

未来への切符よりも来月の家賃を重視した結果だ。


結果は父にも報告したが


「そうか」


の一言だった。


父の「そうか」の言葉の中には怒り、落胆、哀れみ、嘆き、そのような意味が籠められていたのだろうか。


「夢は大きく持て」


久しぶりに聞いた言葉だった。

1人暮らしを始めてからは余り実家に寄り付かなくなっていた私は、久しぶりに聞いた父からのその言葉に涙が出そうになった。

当時の私には何も目指す所などなかったのだから。

厳しい父から逃げるように1人暮らしを始め、その結果がこれだ。

父は厳しくすることで私の人生のレールを引いてくれていたのかもしれない。

そのレールを自ら脱線し動けなくしたのは正真正銘私なのだ。

独り立ちという言葉もあるが今の私には自業自得、因果応報という言葉が合っているのかもしれない。

身の丈に合わない行動をとった私への報いである。


しかしそれから先も私は1人暮らしを続けた。もう父のレールは外されているのだ。


大学を卒業したが、就職できず相変わらずのバイト三昧の私に、声をかけたのはバイト先の若い女性だった。


女性は私に劇団に入らないかとスカウトをしてきたのだ。


演技の経験があるわけでも、際立って顔が良い訳でも無い。


スカウトというと聞こえはいいが、10人にも満たない小さな劇団だった。

入ってくれれば誰でもいいのだろう。


だが、漠然とした未来しか想像出来なかった私に目指すものが出来た。


それからはバイトをしながら劇団の稽古に明け暮れた。

小さな劇団であった為、新人の私にも小さな役が用意されていた。

もちろんこんな名の知れない小劇団のチケットなど誰も買うはずがなく、劇団員にはそれぞれ10枚のチケット販売のノルマが課せられた。

私も最初は友人などに頼み込みチケットを購入してもらっていたが、回を増すことに友人たちが離れていくのがわかった。

今ではもうチケットはほぼ自腹で買っている。

それでも私は続けたかった、今辞めたら今までの自分を否定するような気がして・・・。

ここは私の唯一の居場所なのだ。


22歳で入り、もう今年で15年だ。


劇団も存続はしているが、人の増減を繰り返し私が入った時にいたメンバーはもう誰も居ない。私を誘った彼女も結婚して今は専業主婦として子育ての真っ最中らしい。


皆、劇団を辞め就職するか、結婚するか、大手の事務所に受かったりして辞めていった。

今は私を含めて7人の小さな劇団だ。


今日の仕事はオーディションで何とか勝ち取った通行人Aだ。


主人公に道を聞かれ、道を教える役。


名前さえ与えて貰えない。


「ここなら、そこを曲がってすぐですよ。」


それが私のセリフの全てだ。


ただそれを言って立ち去るだけ。


私はそれに

「案内しますよ」

を付け加え、主人公を案内した。


監督から罵声が飛んできた。


「何やってんだよ!いらねぇんだよ、そういうの」


周りからの白い目にも慣れた。


私は何か爪痕を残さなければと必死なのだ。


1秒でも長く出演したい、少しでも知ってもらいたい、そんな思いが空回りだけを続けている。


再度同じシーンを取り直す。

私よりも1周り以上も年下の主演の俳優からは小声で

「余計な事をしないで下さい。」

と念を押される。


私は決められたセリフを決められた通りに行う。

私の名前も役目も、もうここには無い。


また小さな役でも使ってもらいたい為、監督へ謝罪に行ったが監督からは罵詈雑言を浴びせられた。


15年続けてきたがもう限界であるのは自分が一番よく分かっている。


役目の無くなった私は来た事の無いこの町を少し散策してから帰ることにした。


街並みは昔ながらの瓦屋敷の家が立ち並び、石畳と竹林が似合う風情のある街並みだ。


苛立つ心が少し落ち着きを取り戻す。


大きな道を外れ裏路地に足を進めると一際古い屋敷を見つけた。外観は古いが他の屋敷よりも趣はあった。


「狐火鉢」


小さな木の看板に狐火鉢と墨で書かれていた。


一見何の店か分からなかったが、珈琲のいい香りが屋敷の中から漂ってきた。


店の前で立ち尽くしていると店の戸が開く。


「いらっしゃいませ。」


顔立ちの整った女が立ち竦む私に声をかける。


「ここは喫茶店ですか?」


女は微笑み答える。

「昔はお茶屋だったんですが、今は小さな喫茶店です。」


私はその女に連れられ中に入る。


中に入ると珈琲豆を焙煎するいい香りが私の体と心を包んだ。


「いい店ですね。」


「古いだけですよ。」



私はコーヒーを1杯注文し店を見渡す。

私の他に客は居ないようだ。


「1人でやられているんですか?」


「アルバイトの子と2人でやっています。」


「今日はお休みですなんですか?」


「今仕事が終わったところです。」


たわいのない話から私の仕事の話になった。


「役者さんなんですか?凄いですね。」


凄いと言われて嫌な気はしないが私のように知名度のない無名な役者など星の数ほどいる。


「いやぁ。売れない俳優なんで全然凄くないですよ。それにもう辞めようと思ってるんです。」


「なぜですが?」


「今日撮影現場で色々ありましてね。」


それは私のセリフが終わり監督に謝りに行った時だった。


「お前は変質者と同じだよ。真っ裸にコート羽織って女の子の前でコートを開く変質者。 誰も見たくないんだよ。見たくないものを見せようとするのは変質者と同じだ。」


私は言い返す事も出来ずにその場を立ち去った。


監督の言ってる事は的を射ている。

私の演技など誰も見たいと思っていなのだ。

私は変質者と同じなのかもしれない。



さっきまで苛立っていた心が美味い珈琲と美人のマスターのおかげで私の心は少し穏やかになった。


私は久しぶりに実家に帰る事にした。

父に言わなければならない。

私はもう夢を諦め、真っ当に生きると。


私は店を出て実家に帰る事にした。


家に帰り私の目に写ったものは血だらけで倒れている父親の姿だった。


「ウワアアアアアアアア!!」


私は思わず声を出した。

何が起こっているんだ。目の前の現実が信じられなかった。


父に声をかけても、揺すっても反応は無い。

死んでいた。


父の前で泣いている私の背後に気配を感じた。


振り返ると女が立っていた。

狐火鉢の店主だ。


「なぜここに?お前がやったのか?」


咄嗟に出た言葉だった。


女は笑いながら言った。

「酷い言われようだ。殺したのはあなたですよ。」


私が殺した?

私が父を殺すはずなど無い。

「私は殺っていない。」


「自分で記憶を封印しているだけですよ。

よく思い出してごらんなさい。昨日この場所にあなたは来ているんですよ。」


私がここに来ている?

昨日私は何をしていた。


私は昨日、私は、私は、わたしは、わた・・・。


私は昨日ここに来ていた。


そうだ。私は父に呼ばれて久しぶりに実家に帰っていた。


何があったんだ。そこで何があった?


記憶が蘇ってくる。


昨日は映画の役を貰えた事を報告した。


しかし予想に反し父からでた言葉は・・・

「いつまで俳優を目指しているんだ。お前には俳優の才能は無い。地に足を着けて地道に働け。」


夢は大きく持て、父はずっとそう言っていたはずなのに突然の否定に私は混乱した。

ずっと父のいいつけを守ってきた。

夢を大きく持て。

小さな時から言われてきた。

私は俳優になりたかったわけでも、父の様に絵描きになりたかった訳でも無い。ただ父に言われたから、父に認められたかった。


私は傍にあったガラスの灰皿を取った。

そして・・・。


父を殺したのは私だ。


「ウワアアアアアアアア!!」

私は叫んだ。喉がはち切れるくらいに。


そしてハッと気付く。


なぜ狐火鉢の店主がここにいるのか?


少し落ち着きを取り戻した私は店主に問いた。


「なぜあなたはここに?」


女は微笑みながら答える。

「私はあなたと取り引きをしにここに来ました。」


取り引き?


いったいこの女は何を言っているのだ?


「私は行き場のない魂の収集をしている。この世に留まっていると災厄を呼ぶからね。

これも私の仕事なの。自殺した魂は何処へも行けない。その日を永遠に繰り返す。

もちろんあなたの記憶の中だけでだけどね。現実世界は事件からもう3か月は経っているよ。」


女の言っている事が理解出来ない。

私が父を殺した。その後は私はどうしたんだ?

分からない、思い出せない。なぜだ。



「記憶が無いようだから教えてあげるわ。あなたは父親を殺したあとにそのまま自分の家へ帰っていったのよ。あなたの心情までは分からないけど現実逃避がうまいのね。きっと昔からそうやって逃げてきたのね。家に帰った頃にはすっかり日常生活を送っていたわ。

臭いものには蓋ってやつかしら。

そして次の日、現実世界では3か月前、あなたにとっては今日よ、また実家に行き父親の遺体を発見したあなたは自分が殺した事を思い出し奥の部屋で首を吊り自殺したのよ。」


女が話をする事で私の記憶が蘇っていく。

そうだ私は父を殺し、そして自分も・・・。


じゃあ今の私は幽霊というやつなのか?


「あなたが今日を繰り返していけばいくほど怨念が溜まっていく。

私の管理する地区だからね。見かねて手を差し延べてあげたってわけ。」


「あなたはいったい何者ですか?神様?」


「当たらずとも遠からずというところね。神の使いよ。」


「私は地獄行きですか?」


「さっきも言った通りあなたの魂は行き場は無いの。天国にも地獄にもね。

まぁ私も天国や地獄があるかなんて知らないけど、あなたの魂が何処へも行き場が無い事だけは確かよ。」


「私はどうすればいいんでしょうか?」


「私の狐火として使命を全うしなさい。

このまま同じ日を繰り返すか、狐火として無に帰るか。」


「無ですか?」


「そう無よ。肉体も意識も魂も無い。無よ。さっきも言った通りあなたが同じ日を繰り返せば繰り返すほどに怨念が溜まっていく。

あなたには他に選択肢は無いのよ。」


そういうと女は私の頭に手を当てた。


青い光が私を包んでいく。


意識が遠くなる。いや元々私は死んでいるのだ。私は無に帰ろう。






「あれ?椿さんまた狐火増えてません?」


バイトの純君が呆れたように私に問いかける。


「いい色してるだろう?」


店主は火鉢に入った狐火を指でつつきながら笑みを浮かべている。

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