4月18日(水) 曇り
異質なことに対して恐怖心はある。異常なことが起こっていて警戒もしている。
でもそんなことより好奇心が勝っていた。今のところ怪我とかしてないしね。
昨日確認したくてできなかったことをやりました。箇条書きでメモを。
・山は普通に山だった。軽く撫でたら大量に木が根こそぎ折れて少し焦った。
・ケースの中に流れる水路の水は本当に普通のただの水のようだった。
研究室のようなところで精密検査してみないとわからないけれど、スポイトで吸った水は普通の水にしか見えなかった。舐めるのは怖いのでやっていない。
・生き物は他にもいるみたい。
ただ、どれも小さすぎて肉眼での視認はかなり厳しい。拡大鏡を望遠鏡のように使って確認したところ、空をサッと横切って飛ぶ埃のようなものが鳥で、水の中を泳いでいる黒い染みのようなものが魚のようだった。
回収したかったけれど無理でした、早すぎるし小さすぎる。
こんなところだろうか。昨日結論を出した「虫籠ケースの中にミクロ世界ができあがった」という推論は正しいようだった。
何か忘れてる気がするけれど、とりあえず後で良いや。
そんなことより観察は次の段階に進むことにした。生物の捕獲である。
昼の間は外出しているためどうしても観察ケースから長時間離れる必要があった。
そして離れる時間が長ければ長いほど、帰ってきたとき何しようか考えてしまうのだ。そりゃもう気になりすぎて。今日も帰宅と同時に巨大虫籠にへばりついた。
昨日、間違いなく潰れた死骸は生物の、しかもおそらく哺乳類のそれだと思われた。
もちろん確証はないのだが、真っ赤な血の跡と毛皮のようなものの痕跡から察すると他に考えようが無い。ちなみにそのミニ死骸は洗っちゃった、だって汚いし。
前述した様々な確認を行っている間にも、生物の痕跡はチラホラと見かけられたのだ。
とりわけ、空を飛行する小さな影と鬱蒼と茂った木々の間を駆ける少し大きめの影はすでに何度も確認していた。
別に昨日の死骸にこだわる必要はない。新しく回収すればいいだけの話だ。
というわけで生物を探してピンセットで摘まんでやろうと思ったが、なかなか上手くいかない。
ミニ鳥(たぶん)を摘まんで捕獲するのは最初から諦めている。小さいし早いし空飛んでるしで掴みようがない。
だから地面を這う大型の生き物を確保しようと思っていたのだが、それも存外なかなか難しい。
アリを摘まむ行為は何度もやったから慣れている。だからアリと同じくらいの大きさの動物なら捕まえられると思ったが、そう話は簡単ではなかった。
まず腕全体を覆う抵抗感のせいで上手く動かせない。指先にも抵抗感があるから、気合を入れて動かさないと精密な作業ができない。
そして一番問題なのは、アリとは違いこの小型生物は目が良いようなのだ。
金魚すくいの金魚がポイを見かけると避けるのと同じように、ミニ樹の上あたりからピンセットで物色していると、近くにいる小型生物が露骨にどんどん離れていくのが見えた。厄介だ。
仕方ないのでミニ動物たちの視界に入らないであろう上空、二重蓋の近くでピンセットを構えてチャンスを待った。
しかし待てど暮らせど、なかなか良いタイミングがない。ミニ動物確保をしようと決めて小一時間、何度も捕獲しようとして逃げられるのを繰り返し、結局何の収穫もなかった。
まあ収穫はないなりに面白かったので、時間を忘れて観察と捕獲作業をし続けていられたけど、正直ちょっと焦れてきた。
ピンセットを二重蓋の横に置いて上から眺める。苛立ちからか、蓋をとんとん指で叩きながら。
正確な時刻はわからないけれど、21時少し過ぎ辺り。チャンス到来。
大型の黒い影……といってもせいぜい1㎝くらいだけど……比較的大きな影を発見した。しかも複数、木々の間なので判別つきづらいけれど、たぶん7体。
木陰に隠れてしまっているのでなんの動物だかわからないが、一直線に端から中央へと走ってくる。
群れが狩りでもしてるのだろうか、7匹は同じ方向に隊列を組んで移動しているようだった。小さな生き物が同じ方向に向かって一斉に走る姿はアリ相手では見られない行動なのでテンションが上がる。
真ん中に作った池(昨日から水がたまり続けた結果、もう完全に池になっていた)に来たら捕獲しようと待ち伏せする。
ピンセットを構えようとしたが、こう肝心な時に手元にない。どこへ行ったんだか。
もう指でいいやと人差し指と親指をワキワキさせながらタイミングを計る。
なぜこうも愚直に一直線に走ってるのか少しだけ疑問に思ったが、今はそんなことはどうでもいい。
7匹が池の手前に到着する。1匹が池の近くに待機し、6匹がその背後に付く。小さすぎてまだ黒い点にしか見えない。この7匹は何の動物だろうか。
いや、よく見ると池の近くにいる1匹は形が違う。他の6匹の3分の1以下の大きさしかない。この1匹を狙っていたのかとようやく理解した。
僕は動きが止まった隙を見逃さない。急いで手を伸ばした。
抵抗感に逆らうために力と体重をいっぱいにかけて腕を地面へと急降下させる。
狙うは小さい1匹……ではなく、6匹の方の一番大きい個体を狙う。小さい奴だとうっかり潰してしまいそうだったからだ。
素早くその一番大きな個体を確保する。群れは驚いたのか、一瞬動きを止めた。その一瞬で十分だった。一番小さい1匹が池に落ちた。
柔らかく摘まんだつもりだったが、何かが潰れる嫌な感触があった。失敗したと思ったが、今はそんなことはどうでもいい。急いで引き上げる。
もう一匹確保できないか、と淡い期待を抱いたが、無理な話だった。もう逃げられてしまって姿形も見えない。
勢いよく腕をめり込ませたせいで土埃が舞っている。こんな状態が目の前で起こって逃げない生き物がいるだろうか、いや無い。
残り5匹はどこかへ散ってしまった。池に落っこちた1匹だけは何とか池の岸に辿り着いていた。こいつも捕まえようかと一瞬考えたが、やめた。
またプチッと潰してしまう未来しか見えない。まあ一匹だけでもいいや、と摘まんだ奴を引っ張り上げる。ティッシュの上に落とす。
やはり潰れていた。赤い内臓がはみ出ているのが拡大鏡越しに見える。どう考えても生きているようには見えない。
それでもよかった。完全に確証が取れた。昨日の落下した生き物は跡形もなく潰れてしまったが、これはまだ原型が残っている。
狼だった。
とても小さいのでわかりづらいが、なんというか、すごく荒々しい感じがする狼だった。死にかけなのかピクピク動いている。
野生動物ってこんなのが普通なのだろうか。正直、大型犬くらいの大きさでコイツが目の前にいたらビビル自信がある。牙も鋭いし尻尾もフサフサだし、額になんか跡がある。(写真B‐1を参照)
いろいろ拡大鏡やピンセットを使って観察したが、結局分かったことは少なかった。
アリの外骨格を剥いで内筋を観察したこともあるが、狼はさすがに解剖したことがない。なので調べたかったけれど調べようがなかった。
一応防腐処置をしておく。手持ちの溶液が昆虫用のしかなかったけれど大丈夫だろうか?
もっと回収できないか、できれば生きたのを捕まえたいと思ったが、その後2時間待って見つからなかった。
気が付いたら深夜になっていたので、今日は諦めて明日に賭けることにする。
興奮で脳に血が上がっていることを自覚する。ああ、明日が楽しみだ。楽しみだ。