5月5日(土) 晴れ
最低のゴールデンウィークだと思う。ここまで気分が滅入ってる連休というのは生まれて初めてだ。
タオルケットで隠したガラスケースの中は、まだ見る勇気が湧かなかった。ずっと背を向けて、スレイプニルの世話ばかりしている。
ようやく心を許してくれたのか、スレイプニルに歯ブラシを見せるとほんの少し嬉しそうにこちらに近づいてくる。その「ほんの少し」に妙に癒される。自分の歯を磨くとき以上に優しく丁寧にスレイプニルの背中を撫で続けていた。
暇だからこそスレイプニル牧場の整備をした。もらったミニ木箱をカッターで切って餌入れ場を作ってみたり、遊具替わりになるかとツマヨウジで作った柵やテントもどきを作ったりした。
小さい物の加工作業は意外と熱中できた。何も考えずにひたすらにピンセットを動かす。指先で細かい作業をしているうちは嫌なことは何も考えずに済んだ。
不格好だけどそれなりに見栄えのする施設を丸一日かけて6つほど作った。スレイプニル牧場が単なる更地から子供の作った砂場の基地みたいな見た目に進化した。スレイプニルが喜んでくれてるかどうかはわからないが、僕は満足した。
餌を補充しようとして、ダイコンもどきがだいぶ減ってることに気づいた。僕は眉を顰める。
作業をしている間はいい、何も考えないでいられるから。作業の手がふと止まったときや、何か物音を聞いてハッと我に返ったとき、後ろのガラスケースの存在を思い出してしまう。そうすると、僕は後悔の念で胸が押しつぶされそうになる。
でも、いい加減目をそらしてばかりはいられなかった。リュウがいないサクラ街に僕は何ができるのか凄く不安だったけれど、僕が蒔いた種だ、ちゃんと確認しないと無責任だろう。
そう思ってタオルケットを2日ぶりに剥がしてみると……僕はまた失敗したことを知った。
サクラ街は壊滅していた。
完全に人がいなくなったわけではない。人はいる。建物も3日前と同じだ。ただ、圧倒的に過疎っていた。
3日前なら人通りが多くて、常に誰かしらが馬車で移動していた大通りに、今は誰も通っていない。
常に賑やかに商売をしている人がいたり、旅人や住人の往来がたくさんあった人波も、今はほとんどない。
サクラ街全体にあふれていた活気が、今は欠片も見当たらない。どことなく薄暗く、淀んだ空気が僕の場所からも見ることができた。
僕が怒りに任せて叩き潰してしまった正堂教会跡地は、単なる更地として放置されていた。
中央に置いてあるサクラ街のシンボルであった百円硬貨が、街に漂う寂れた空気と相まってゴミ捨て場のような雰囲気を醸し出してしまっていた。
僕は慌てた。なんでこんなに変化してしまったのか、と。
この時の僕は、まさか自分が原因だとは思っていなかったので、とにかく焦っていたため、まずはリュウにすぐ話を聞かなければと考えた。そしてまた落ち込んだ。
もう、リュウはいないのに……。
また辛くなったので、僕はガラスケースにタオルケットを被せて、もう見ないことにしてしまおうとした。
正直、自分でも卑怯な考えだと思った。でもその時はそうするしか考えられなかった。
そんな後ろ向きの僕を思いとどめたのは、見覚えのある姿だった。
掃除がきちんとされていないのか、薄汚れたリュウの家の前にある荒れた池の畔に、傅いている人影があったのだ。
他に人がいない中に、ポツンと天空に祈る小さな姿。10日くらい前のリュウの姿と完全に瓜二つだった。僕は息を飲んだ。
見覚えのない人影だけど、見覚えのある恰好で祈るその姿にしばらく魅入ってしまった。そして彼女が誰なのか察しがつくと、僕は慌てて手を伸ばした。
祈っていた人影はたいそう驚いた様子だった。上を見上げてポカンとしている。
その慄いている姿も見覚えがあって僕は目を細めた。たった10日前の話なのに、ものすごく懐かしく感じたからだ。
慣れない様子で僕の手に登ろうとする人影に、僕の方から乗りやすいように斜めに指を構える。小さい体を一生懸命動かして、その子は僕の手に何とか乗り込んだ。
見ると、周囲に人が増えていた。僕の手を見上げている。しかし以前の数の4分の1もいないように見えた。何が起こったのかすごく気になる。僕は急いでその子を引き上げた。
降ろすときも手間取ったが、なんとか二重蓋の上にその子を降ろすことができた。お互いに様子を伺う。
足場が透明で下が見えていることに怯え、どういう姿勢で待てばいいのか悩んで最終的に膝をついて祈る姿勢をとり、僕が伸ばした手におずおずと手を伸ばしてくる。もういちいち懐かしい反応である。
彼女の手が触れた瞬間、少しだけ頭に衝撃を受けた。油断していたので少しビックリしたけれど、問題はなかった。
その子は、自らをリュウと名乗った。
「お、お久しぶりです。人神サーティスさ、様……」
うん、えっと、久しぶりだね。
ちょっと気マズイ思いをしつつ、挨拶をした。最後に会ったときは赤ん坊だったから、お互い久しぶりという感覚はない。社交辞令として無難に返事をしておく。
僕が次に何を話かければいいか迷っているうちに、その子はものすごく長い呪文を唱え始めた。
「(挨拶だということは把握できたけれど、言い回しが難しいうえやたら長口上だったので省略)」
間違いなくこの子はリュウとエルバードさんの子だとわかった。言い回しに覚えがありすぎる。
恐らくエルバードさんに躾けられたのだろう、挨拶らしき言い回しがやたら修飾語が多くて無学な自分には理解できない。神様相手ということで緊張しているのだろうか。この子も自分の挨拶の意味を理解していないのだろう、かなりつっかえながら棒読みで挨拶をしていた。
あのチッコイ赤ん坊だった子が、少なくとも初めて会ったときのリュウと同じくらいの見た目に成長している。時間の流れが違うことを実感せざるを得ない。
写真を見て比較してみると、服装が比較的綺麗なことを除けば、10日前のリュウと全く同じ見た目だった。髪色が少し明るいところくらいが違うだろうか?
とりあえず、難しい言い回しはやめてほしい旨を伝える。お互い話しづらいでしょう、と。
「は、はい。わかりました……。良いのかな?」
意外と素直な性格なのかもしれない。思考が少し漏れてきている。
とりあえず「大きくなったね」とか親戚のおじさんみたいなことを言って誤魔化す。そしてようやく僕が聞きたいことを質問した。
えっと、それで聞きたいんだけど、サクラ街の様子がおかしいんだけど、何かあったの?
「……はい、お、おはなし、いたします……」
結論から言えば、全部僕のせいだった。
リュウ、つまり彼女の母親が連れ去られたことにより、正堂教会が神から鉄槌を受けた。鉄槌というか、僕の拳だけど。
しかし、教会が神から怒りを買う、という情報がサクラ街に混乱を呼んだ。すわ神の使いであったリュウを審問にかけるのは良くなかった、だとか。すわ今まで温厚で加護をくださった人神が初めてお怒りになった、とか。すわ神からの怒りを買ったサクラ街は災いが訪れるのではないか、とか。
エルバードさんは街の長として皆を諫めようとしたらしい。おかげで人の流れが少し悪くなった程度で悪影響はでなかったのだけど、正堂教会の跡地の死体を片付け終わったあたりでまた災難が襲った。夜が来たのだ。
サクラ街は夜の訪れない土地だったのだ。僕が予算をケチった結果、点けっぱなしだった常夜灯のせいで常に明るく照らされている。おかげで魔物が避けるようになり、作物も良く育つ土地になったのだけど、それがなくなった。
僕の視点だとたった20日だが、彼らにとっては20年近く夜の訪れなかった土地に暗闇に閉ざされたのだ。街の人間の慌てようは尋常ではなく、サクラ街に愛着を持っていた住人以外は軒並み離れてしまったらしい。
それだけではない。夜が訪れるようになったサクラ街に、さらに異変が起きた。神が訪れなくなったのだ。
一年前、新人の神の使いとしてデビューしようとしたこの子が、何日も池の前で祈り続けたそうだ。しかし、神は応じなかった。
そのことでサクラ街の求心力がなくなり、離れる人も増えてしまったそうだ。全盛期のときの3分の1くらいに住人が減ってしまい、商隊もエルバードさんの隊しか来なくなってしまい、てんてこ舞いだったそうだ。
思い当たる節は山ほどあった。
ガラスケースにかけっぱなしにしていたタオルケット。そして昨日はそっぽ向いてインターネットしていた。サクラ街の衰退は全部僕のせいだった。
「い、いえ、人神様のせいでは、ありません。お母さ……せんだいさまが、いなくなったせい、ですから……」
この子はこの子で、何か責任を感じているらしい。どう考えても僕の責任なのに、何か申し訳ない。
冷静に考えると、そもそもリュウが連れていかれたのも僕の責任によるところが大きい。本当に謝っても謝りきれない。
僕が「ごめん、僕のせいだ」と言うと、その子は首を振って再度否定してくれた。
「いえ、私たちは人神様の、えっと、しんと? ですから……。せんだいさまを守れなかった私たちの責任だって、お父さんが……。それに、今回は私の祈りにおうじてくださいました。ありがとうです」
また神の加護がある街として復興できる、と思考が漏れてきた。父も喜ぶ、と。
エルバードさんのことを考えた瞬間、苦しい生活のシーンが一瞬だけ垣間見えた。少ない食事と綺麗な服が入手しづらい毎日。家の整備をするのも自分たちでやらなければならない辛さ。人のいない廃屋の群れ。
やはり僕のせいだと思った。だからこそ、何かできないかと聞いてみた。
「えっと……あの、しずまない太陽を戻していただけませんか? 私はよく覚えてないのですけど、太陽が照っているとすごく良いらしいので……」
陽の光を嫌う魔物が近寄らなくなる、作物が良く育つようになる、というだけでなく、常時明るい土地というのはそれだけで神の加護を強く感じるそうだ。失って初めて気づいた、とはエルバードさんの弁。
それくらいなら簡単だ。他に何かできないか聞いてみる。
「あの……ごめんなさい、私にはよくわからないです。お父さんなら、何かきっと、わかると思うんですけど……」
小さい子に頭を下げて謝られると、逆にこっちが申し訳ない気持ちになる。僕は謝らなくていいよと宥めた。
冷静に考えれば、この子は5歳くらいなのだ。むしろ今までよく論理だてて説明できていたと思う。僕は素直に褒めた。
しかし、あまり表情は晴れなかった。
「は、はい、ありがとうございます……」
なんで暗いんだろう、と思ってリュウを名乗ったこの子の顔を見ていたら、顔をそらされた。そして彼女の思考が少しだけ漏れてきた。
母親が連れていかれたことや正堂教会が叩き潰されたこと、神の御手が来なかったことなどから、彼女はたくさんの大人から冷たい視線を向けられていたらしい。母親のようにこの子も神に愛されるだろうと期待していたのに、期待外れだったと。
表向きは優しくしてくれるけれど、大人から残念な物を見るような目にずっと晒されてきたそうだ。父親であるエルバードさんは気にするなと何度も庇ってくれたけれど、少なからず他人に対して不信感を抱いているようだった。
これも完全に僕のせいだろう。赤子が住人に愛されていて心底喜んでいたリュウになんて言えばいいのか。申し開きしようがない。
せめて僕だけはこの子の味方でいないといけない。そう思ったので、とりあえず関係ない雑談をして距離を縮めようと思った。一笑いでも取れればせめて気晴らしになるだろうと思ったのだ。
えっと、そういえば君もリュウって呼べばいいの? 確か違う名前だった気がしたけど。
「……え? 私の名前、ですか? 名前は違いますけど……」
その子が困惑する気配が感じられた。僕はメモ帳を見返しながら昔話をする。
赤ん坊の名前をつけようとしたとき、僕が考えたネーミングはどれも変な響きだからと受け入れられず、リュウたちが予め考えておいた名前のうち僕が気に入ったものを選んだ、というエピソードを面白おかしく脚色して話した。それを聞いて、その子は不思議そうに首を傾げた。
「はい、私の名前はそれです。でも、それが何か?」
いや、名前はちゃんと別にあるのに、なんで母親と同じリュウって呼んでほしいって言ったのかなぁって思って。名前呼びは嫌なの?
「……え、私たちはリュウなんじゃないんですか? お母さんも、リュウになったんじゃないんですか?」
……え?
「……え?」
何か話がズレている気がする。僕は1から順に説明してもらった。
このミニ世界にはドラゴンがいるらしい。最も強く、最も生命力の高い魔物であるドラゴンにあやかって、神から愛されし巫女のことを「リュウ」と呼ばれるそうな。
思い返してみれば、今までも若干違和感があった。僕は日記を見返して、今までスルーしていた違和感を確かめた。
僕は呆然とした。
……リュウって本名じゃなかったのね……。
「えっと、はい。そうなりますね。神様に仕える偉い人がリュウってことになります」
……ってことは、僕ずうっとリュウの本名知らなかったってことになるの!?
「……えっと、お母さんのことですよね? そうなる、のかな?」
……えー、まじかー……。
僕が絶望してガックリ項垂れるた。違う世界とはいえ、女の子にリュウって名前はゴツすぎるんじゃないかとはずっと思ってたのだ。まさか名前ではなく役職名だったとは。
僕があわあわと慌てていると、その子は、リュウはポカンとしているようだった。思っていたより恰好よくない神様でごめんね。
その日はこれで解散した。いつもより多めのマシュマロと塩、そしておまけに飴玉を1個あげた。二代目となったリュウが「人神様に会えたことを、皆に伝えます」と言って今日は帰っていった。
リュウ(二代目)が池の畔に戻ると、思っていた以上にたくさんの人が彼女を出迎えていた。最初にリュウを抱きしめた大人はエルバードさんだろうか。とにかく喜んでもらえたのなら何よりだった。
僕は少し考える。今までは適当に相手して、適当にマシュマロあげていけばそれでいいやと思っていた。
僕はミニ世界の観察ができるし、初代リュウたちは美味しいものが食べられる。それだけで良いのではと軽く考えていた。
でもそれじゃダメなんだとわかった。僕はこのミニ世界に影響を与えすぎた。もう簡単に放り出すことも、無責任なことをすることも許されない。
カチくんとも約束した。初代リュウに怒られてしまう。2代目リュウと彼女が治めるであろうサクラ街の今後は、僕の采配にかかっている。
僕はこの異世界に対して、ちゃんと神様として君臨しようと、今日初めて思った。
ちなみに、初代リュウの本名も聞いた。でも……僕の中では彼女はリュウだ。今更本名を聞かされても実感がない。
リュウは、リュウとして覚えていこうと思う。