5月1日(火) 晴れ
私が産まれてすぐに両親は死にました。
とんでもない災害があったらしいです。周囲の地形が変わるほど、酷い天災だったそうです。
父の友人だという人に生まれたばかりの私が引き取られたのは幸運でした。……両親を失った子はそう長くは生きられませんから。
だから私が厄介者扱いされるのも、仕方のないことでした。
大きな街ならそうでもないでしょうけれど、人里離れた田舎では誰もが生きていくのがやっとでした。しかも大災害が起こった後じゃ、その生活は困窮極まります。
そんな中で、いくら友人の子とはいえ、血の繋がらない私を養うのは大変なことだったでしょう。住まわせていただけるだけで感謝しなければなりません。
叔父さんと叔母さんと、その一人息子が同じテーブルで食事をとっているとき、私は外で水くみをするのが仕事でした。子供の力では小さなバケツで何度も水を運ばなければなりません。食事は、彼らが食べた後の残り物です。
あの時はそれが日常でした。それが普通のことでした。だから不満はありませんでした。ただ、苦しかっただけです。
唯一の救いは、一人息子でした。
彼は、私のことを妹のように見てくれていました。だから私が辛そうにしていると、いつもバケツを持って手伝ってくれました。
理由はわかりませんでしたが、私はいつも助けてくれる彼のことが大好きでした。早く仕事が終わったときは、一緒に隠れて遊んでいました。もしかしたら、遊び相手が欲しくて仕事を手伝ってくれていたのかもしれません。
私と彼はよく一緒に二人だけで遊んでいました。というのも、同じくらいの年の子が他にいなかったからです。
今考えるとその理由はわかるのですが、あの時はなぜ子供が他にいないのか不思議でした。
辛うじてもっとも年の近い人は、商人のお兄さんでした。年に2,3回やってくる商隊の若頭で、背の高いお兄さんでした。
お兄さんがやってきたときは凄く楽しかった記憶があります。お兄さんは色んな不思議なモノを持っていて、たくさんの知らない景色を知っていて、私たちが知らない知識をたくさん教えてくれました。
特に一人息子の方は、彼にベッタリでした。私も、大人にしか見えないお兄さんのことが大好きでした。
あの時のことはよく覚えています。陽の沈まない土地から逃げてきた魔物が畑を荒らしていったのです。
死者も出たそうでした。家の外がいつまでも騒がしかったのです。私は一人息子に頭を抱えてもらってずっと家の中で震えていました。
その後、すぐに日常に戻りましたが、いくつか変わったことがありました。
一つは、食事が粗末になりました。いつも多くはない食卓でしたが、その日からさらに半分くらいに減りました。もちろん、私の食事はないこともあり、たまに食べられませんでした。
一人息子がたまに自分の食事の半分を私にくれなければ、餓死していたと思います。
もう一つは、商隊のリーダーが私たちの家に2度ほど来ました。その時、私も挨拶させられましたが、話が難しくて理解できませんでした。
商人のお兄さんも一度だけ家に来てくれました。いつも会う時は外だったからか、お兄さんが家に来てくれたことがうれしくて一人息子が舞い上がっていました。
ただ、来てくれた時は大喜びしていたのに、お兄さんが帰ったその日の夜はとても暗い表情をしていたのが印象的でした。
商隊が引き上げ、また貧しくひもじい暮らしが続き、そろそろ冬が訪れるというときになって、また商隊が来ました。
苦しい暮らしのせいかいつも暗い表情をしていた叔父さんと叔母さんがなぜかすごく喜んでいて、それを見た私も嬉しくなったことを覚えています。
その夕方のことです。
久しぶりにお腹いっぱいご飯を食べて満足していた私に、一人息子が食卓を片付けながら我儘を言いました。
「おい、喉が渇いた。水持ってこいよ」
私は驚きました。一人息子が私に命令するなんて初めてのことだったからです。
テーブルについてお茶を飲んでいた叔父さんと叔母さんが怪訝そうな表情をしましたが、止めるつもりはなかったようです。当然です、私は下働きのようなものなのだから。
驚いて一瞬固まりましたが、すぐ返事をすると家の外へ出ていき、井戸へと向かいました。
「こっち! こっちだよ!!」
大人が使うバケツを持ち上げて井戸に放り込もうとしていたら、草陰から声がしました。聞き覚えのある声でした。私はその方へ向かいます。
暗闇に隠れていた商人のお兄さんが私に口早に説明してくれます。
「君は今夜売られる。そのお金で冬の食料を補うつもりなんだ。アイツに頼まれたから君を逃がす手伝いをする。沈まない太陽を目指せ」
私は矢継ぎ早に説明されて混乱しました。ただならぬ気配は察したものの、急な話だったからです。
お兄さんは安心するように私の頭を撫でながら、急いで説明を続けます。
「少し歩く羽目になるが、沈まない太陽の土地の真逆側に村がある。そこまで行けば僕の知り合いがいる。君を助けてくれるはずだ。今から出発すると夜になってしまうが、安心して、あそこは一日中明るい。道中で変な魔物に見つからなければ大丈夫なはずだ。魔物は夜に活発に動く。今ならまだ間に合うはずだ」
でも、私はお水を……。
「大丈夫、彼がわざと君を外に出すためについた方便だ。急がないと君は僕の商隊の商品にされてしまう。売られた子の、しかも女の子の末路は……碌なことがないよ。早く行きなさい」
でも、私が売れなかったら、お金が入らないんじゃ……。
「あの家は大丈夫だ。君一人分の食い扶持が減れば、多少は苦しいだろうが、何とか持つはずだ」
でも、私が逃げちゃったら、あの子とお兄さんが……。
「大丈夫。アイツとちゃんと相談してキチンと決めたことだから。それに僕も、昔からの友達は売りたくないからね。いくら商人の端くれとはいえ、そこは、ね」
でも……。
「でもはもういい。早く行きなさい。急がないと本当にまずい。人にも魔物にも見つかってはいけないよ。急ぎなさい、早く!」
そう言ってお兄さんは私に食料の入った小さな袋と、知人に向けて書いた木札を渡してくれた。そして私はすぐに村から旅立った。
しかし自分が話を長引かせて出発が遅れたせいか、それとも生来の運の悪さか、魔物に見つかってしまった。
陽の沈まない大地には魔物は近寄らない。しかし獲物を追いかけている時は別なのだろう。私は6匹の黒い魔物に追いかけられていた。
私なんて力がないか弱い子供だ。襲い掛かれば一発で殺せるだろうに、なぜか襲い掛かっては来なかった。
一度追い払われて人間を警戒しているのか、それとも明るいと凶暴性が下がるのか、単に私を怯えさせて楽しんでいるのか、魔物はずっと私の周囲を取り囲むように移動し、走る私に並走していた。
子供の体力は少ない。でも、立ち止まったら死ぬという焦りが足を止めさせてくれなかった。どんどん走る速度が遅くなり、最後は歩くのと変わらない速度で、それでも前へ進み続けました。
商人のお兄さんが言っていたところによると、途中に大きな川があるらしい。その川まで行けば逃げられる、そう思って私は歩み続けました。だからこそ水辺が見えたとき安心しましたし、それが川ではなく湖であることに気づいてかなり戸惑いました。
飛び込もうと思っていたのですが、息も絶え絶えで飛び込んだら水を飲んで溺れてしまいそうだという考えと、あとなぜかこの湖に違和感を覚えて飛び込むのに一瞬躊躇ってしまいました。それがいけませんでした。
魔物たちに取り囲まれました。太い足を踏みしめ、硬そうな体毛を逆立たせ、真っ赤な目を血走らせて私の一挙一足を凝視していました。私が湖に飛び込もうとしたら、その瞬間飛び掛かってくるだろうと想像するのは難しくありませんでした。
一番体が大きい、おそらくリーダー格なのでしょう、魔物が一匹私の前へゆっくり近づいてきました。涎と血の匂いのする口臭が私の体を縛り付けました。あまりに怖くて指一つ動かせません。
前足に力が入り、次の瞬間に飛び掛かってくるなとわかりました。私の命は終わる。最後に見た表情がふくれっ面だった一人息子や、私を逃がしてくれた優しい顔のお兄さんのことを思い出しました。
ごめんなさい、二人がせっかく助けてくれたのに、お礼を言いそびれました……。
私は恐怖に身を竦み、でも目を瞑ることすらできず、襲い掛かってくる魔物の牙をただ見ているだけで、自分の死を確信したとき
巨大な手が。
こわっ。
僕は魔物を摘まんでプチっと潰した巨大な手を見て素直な感想を返す。いやいや、だって怖いでしょうこれ。どう考えても。
ライオンくらいの大きさの黒い狼が抵抗することすらできず指に摘ままれ、ちょっとグロい感じに潰れて中身が飛び出てしまい、そのまま天空へと連れ去られていく光景というのはなんというかとんでもない。
下手な宇宙人侵略系の映画でもここまで怖い光景は見られないだろう。そりゃ他の残った魔物たちは逃げ出すだろうし、リュウも驚いて湖に落っこちるだろう。恐怖でショック死しててもおかしくない衝撃映像である。
赤ん坊を抱いたリュウに記憶を見せてもらいながら、僕は感想を返した。
リュウは、こんな怖い光景見て大丈夫だった? 知らなかったとはいえ驚かせてスマヌ、スマヌ……。
「何言ってるんですか! 私はあの時助けてもらいました。カチくんに私は何度も助けられましたし、エルバードさんにも大きな恩があります。でも、人神様がいらっしゃらなかったら、私はあの時死んでいました。すごく感謝しています」
リュウは笑顔でそう言ってくれる。僕は、この時申し訳ない気持ちをしていたと思う。
だってあれ、単にサンプル捕まえようとしただけだし……つうか今思い返すと、一番先頭にいたリュウを潰す可能性もあったし……一番デカイの捕まえようとしたのはたまたまの気まぐれだし……。
そういう格好悪いことを知られたくなかったので、僕は話をそらした。
でも、なかなか辛かったみたいだね。小さいとき。まあ後進国の貧しい寒村だとこういうのが普通って聞いたことあるけど……。
「はい、あの時は私にとって普通だったからおかしいことだと思いませんでしたが、今思うとずいぶん不幸だったと思います。カチくんがいなかったら、本当にどうしようもなかったと思います」
リュウの中ではカチくん株がものすごく高かったのは、こういう理由があったらしい。僕の中でも現在進行形で絶賛高騰中である。
それでもなおフラれてしまったカチくんに、なんというか、同情の念を禁じ得ない。別に僕は追い出さなくても良かった気がするんだけどなぁ……。
しばらくお互いにカチくんを褒めたたえあう。
カチくんイケメンだし優しいし超強いし言うことないね。というかカチくんならさっきの魔物倒せるんじゃない?
「はい、カチくん私と一緒に魔法の練習していたから、あの程度は簡単でしょうね。王都の騎士でも敵わないでしょうし」
などなど。(いくらカチくん株高騰中とはいえ、イケメンを誉める言葉はメモする気になれなかったのでここは省略)
しばらく笑って話し合うと、赤ん坊が少しむずがった。リュウは我が子をあやしながら、憂いを秘めた目をする。
「……この子の名前がついたとき、サクラ街の住人全員でお祝いしてくれました。すごく嬉しかったです。すごく嬉しかったのですけれど……少し不安になったのです」
不安?
急に暗い雰囲気になったので僕は戸惑った。リュウは赤ん坊の頭を優しく撫でながら述懐を続ける。
「私がみんなに必要とされているのは、人神様がいるおかげです。人神様と交神できるリュウだから、みんなは私を大事にしてくれます。この子もそうです。時代を担う存在だと思われてるから、みんな喜んでくれるんだと思います。それが不安なんです……人神様がいなくなったら、私たちはもう必要ないんじゃないかって。昔のようになってしまうんじゃないかって……」
僕は何も言えなかった。リュウの声色が本当に思い詰めている人のソレだったからだ。
あまり深く考えず、ただ面白いからという理由でリュウたちと関わっていた自分を恥じた。サクラ街の住人にとっては、少なくともリュウにとっては、僕との交流は遊びではないのだ。
「人神様がいらっしゃるのならまだ良いです。見捨てられてしまったら、私は、私たち街の人間はどうしたら良いか、わからなくなってしまうでしょう。私たちには人神様が必要なんです」
そういうとリュウはその場に重々しく傅いた。赤ん坊を抱いたまま透明な二重蓋に膝をつく。赤ん坊が両目をまん丸にしている。
リュウは、まるでエルバードさんのように小難しいセリフを言った。
「人神サーティス様、我々の信仰と敬愛を全てあなたに捧げます。だから未熟な私たちに、その威光と栄誉をお与えください。永久に、永久に……」
まるで神に仕える巫女のように、その祈りは絵になる姿だった。僕は、何も言えなかった。
その後、リュウを返して今この観察日記を書いている。
いつも通りマシュマロと塩を渡し、貢物にミニ陶芸品をいくつか貰い、それらを整理してから悩んでしまった。
「もうすぐゴールデンウィークだから一日かけて観察できるぞー、楽しみだなー」とか頭の悪いことを考えていた自分がバカに思えてしまった。
リュウたちにとって、彼らの生活は遊びなんかじゃないんだ。それに積極的にかかわることを決めた以上、僕も覚悟をすべきなんじゃないだろうか。ただ観察できればいいなんて甘い考えじゃダメなんじゃないか。
アリの巣が全滅したら中身を捨ててケースを洗ってやり直し、なんてことをリュウたちにやるわけにはいかないんだ。僕は本当にこのままでいいのだろうか。
こういうことを気にして考えだしたら、何か怖くなってきた。今日は気持ちよく眠れるかわからないです。本当にどうしよう……。