4月25日(水) 曇り
神は4柱いるらしい。
善神セルバンディアは全ての生命を平等に慈しむ神で、最も信仰の多き神だという。
セルバンディアは農耕と誕生と水を司る神で、弱い者にも強い者にも力を与えるわけではなく、ただ愛を与える。その愛に包まれ世界は穏やかな暖かさに包まれ、全ての生命は生まれ成長する。
悪神トースは、悪い神という意味ではなく悪戯好きな神だそうだ。
トースは商業と発展と風を司る神で、良く言えば機智と奇知に富んでおり、悪く言えば他人を利用する神様だそうだ。セルバンディアの与えてくれる暖かさを集めて凝縮し、全ての生命を活力を与えようとする。
人神サーティスは人間大好きっ子らしい。
サーティスは宗教と文明と土を司る神で、とにかく人間に肩入れする神様だそうだ。トースの熱量を掻き散らして人間に住みやすい環境を作り、たくさんの食料と安定を与えてくれる。
魔神ロキは、逆に魔物に与する神であるという。
ロキは建築と死と火を司る神で、人を滅ぼすことを良しとする神様であった。サーティスに対する苛立ちが頂点に達したとき世界全土を暗く寒く動きづらくし、寒さに強い魔物が人間を襲うことを援護するそうだ。
サクラ街のあるティムゾン大陸はこの4柱の神に統治されており、天空より全ての生命はその加護を何らかの形で受けているそうだ。1年の四季の移り変わりは彼らの加護がいつ強まるかによって決まるとのことだった。
僕は細かい説明はさすがに聞き流した。信仰に関しての説明を大まかに聞いて大雑把に理解してメモをとり、そのメモを見ながらリュウに相談された内容を再度聞き返した。
で結局、僕が何の神様だかわからないから問題になってる、と。
「はい、すみません……」
リュウが申し訳なさそうに謝る。別に謝る必要はないんだけど、と僕は彼女を宥めつつ頬を掻いた。
リュウは理解してわざと僕のことを神様呼びしてくれているけど、エルバードさんを含むサクラ街の住人は全員本物の神様だと誤認していた。だからこそ問題が発生しているそうだ。
街は昨日の写真とそれほど変化がなかった。
街のど真ん中に100円玉が設置されてよりミニチュア感が強まったこと、正堂教会側が大人しくなって平和になったこと、最近のエルバードさんが商人より街の代表業が板についてきてちょっと楽しそうだったことくらいが大きな変化だった。リュウの話で大雑把に聞いただけだけれど、実に平和らしい。
街に名前が正式についたこととが思っていたより良い方向に作用したようで良かった、と帰宅してすぐリュウから話を聞いた僕は胸を撫でおろしたのだ。
と思ったら今度はまた問題が起きた。サクラ街の中では僕は何の神様であるか頻繁に議論されてるらしく、どの神様かで喧嘩まで怒ってるらしい。
なんでそんなことになったのか理由を聞いてみる。と、意外としょうもない理由だった。
「その、今までは正堂教会の方が、神様のことを善神セルバンディアだと断定していたんです。ですが正堂教会の方が急に広報活動をしなくなって、どの神様であるかの議論が再燃してしまったんです」
再燃というと?
「その、元々何の神様なのかわかりづらいところがあったんです。サクラ街の周辺は夏は涼しく、冬は暖かくて過ごしやすかったので、春の神である善神セルバンディアではないかとも言われてましたし、私たちサクラ街の住人に加護と恩恵をくださるから人神サーティスの化身だとも言われてました。それだけじゃなく、マシューで直接的なご利益をくださったり沈まない太陽のような前例から、悪神トースじゃないかとも噂されていましたし、そもそも神様が降臨されるのが寒い冬だけなので、あれは本当は魔神ロキの一味で、だからこそ魔物も倦厭して近寄ろうとしないんだと悪口を言う人もいたんです……」
リュウの説明を聞いて、なるほどと納得してしまった。確かに全部覚えがある。
すぐに理解できるものは全部自分から率先してやったことだ、身に覚えがありすぎる。
すぐに理解できなかったことは気温関連だが、推測はできた。ガラスケースの中に手を突っ込もうとすると妙に冷たかったのは、冬の寒い空気が遅くなった時間の中で手に纏わりついてきたからだろう。
そして夏は涼しく冬は暖かいというのは、おそらくガラスケースの外側、僕の自室の気温がこのミニチュア世界に影響しているのだと思う。今は春の終わり際、半袖でも気分よく過ごせる21度だった。
つまり正堂教会とやらを黙らせるために街に名前をつけ、僕がエルバードさんの後ろ盾になったわけだが、そのせいで本当に黙り込んでしまった正堂教会のおかげで、『僕が何の神様であるか論争』が再発してしまったということだった。
こういうのを痛し痒しというのだろうか。なんだかなぁとため息をつかずにいられない。
リュウが申し訳なさそうに「こんなはずでは……」と身を小さくしているが、僕だってこんなことになるなんて思ってもみなかった。リュウを責めるつもりなんて毛頭ない。
ああ、気にしないで。僕だって予想外だったし、それに街の名前自体は必要だったでしょ? だから気にしなくても……。
「おい! お前もわかってなかったってどういう意味なんだよ!!」
と、横から男の声が聞こえてきた。エルバードさんの落ち着いた大人の声色ではなく、ヤンチャさが感じられる刺々しい声だった。
本日のゲストはカチくんだった。わかりやすいくらい敵愾心ある言葉遣いだった。リュウと同じくらいの背丈で、ルーペ無しでもわかるくらい露骨に上目遣いでこちらを睨みつけてきている。
……昨日のエルバードさんも対応しづらかったけど、これはこれで居心地の悪い……。
「そ、その、すみません! こら、カチくん! 連れてってあげるから言葉遣いは直しなさいって言ったでしょ! 神様に失礼でしょ!!」
「……フン」
カチくんはそっぽを向く。しかしリュウの手を離さないあたりが実に微笑ましい。
口調が刺々しいのは、未だに僕のことが信用できないからだろう。そういうことがわかるから怒ったりはしない。
……まあ、うん、ほんのちょっとだけ、多少は、気持ち程度には、ごくごく僅かに、イラっとするときもあるけどね。ホントにちょっとだけね?
聞くところによるとカチくんはリュウと同じ年で13歳だそうだ。僕は年下に怒ったりなんてしないよ、うん。
何を話しかけても怒鳴られそうだったので、カチくんは無視してリュウとだけ話を続ける。
それで、僕は神様じゃないわけなんだけど、なんかの神様の化身か眷属ってことにしちゃえば話は丸く収まるってところかな?
「は、はい。神がいらっしゃるというのはみんなも安心感を得られて嬉しいんでしょうけど、それが何の神様だかわからないのは不安なようで……。それに一部では、魔神ロキなのではないかという疑問の声もあって、少し騒ぎが起きることもあるんです……それはその、私もさすがに嫌だなって……」
リュウは視線をそらしながらそう言った。確かに、自分がずっと関わってきた神様(もどき)が悪い神様だと思われるのは嫌だろう。
それにしても、と僕は考えた。毎日毎日なんらかのトラブルや悩み事が発生するもんだなぁと、この時の僕は思っていた。しかし観察日記をつけてる途中でふと気づいたが、よくよく考えてみたら、僕にとってはたったの1日でも、リュウたちにとっては1年の時間が経っているのだ。問題なんてどんどん山積するのだろう、と考え直した。
僕はメモをとった神様の相関図を見て、自分はどの神様を自称するのが妥当か少し考えた。
「あの……いんたーねっとというもので調べられないのですか?」
はい?
「はい、その、いんたーねっとというモノなら何でも調べられるのですよね? そこに神様は何の神様だかわかるような記述はないのでしょうか?」
どうやらリュウは、インターネットをアカシックレコードのように全ての知識が乗っている物だと勘違いしているようだった。
当然だが、そんなことはない。そもそもこのミニ世界のことを知ってる人が僕しかいないはずだ。万が一「僕は何の神様だと思いますか?」なんてヤフー知恵袋に質問でもしようものなら「あなたはバカの神様です」と返事が来るに決まっている。
とても名前と称号が似ている魔神ロキに関してだけは調べれば検索結果が出てきそうだけど、間違いなく別のモノが出てくるだろう。僕は涎を垂らした狼や8本足の馬の親ではない。
僕は引きつった笑いをしながら、リュウの質問を否定した。
調べればわかることも多いけど、何でもわかるわけじゃないんだよね、ネットって。
「そうなんですか……」
「……なんだよ、なんでも知ってるんじゃなかったじゃないか」
「こら! カチくん!」
リュウがカチくんを叱っているが、カチくんはそっぽ向いて話を聞き流しているようだった。僕は笑って誤魔化すしかなかった。
リュウ曰く、神様はどんなことでも知っている凄いお方だと、以前治水工事を手伝ったときに説明したらしい。それが歪んで伝わったのか、誇張表現があったのか、とにかく実際の僕はそこまですごいわけじゃない。
……ネットの知識鵜呑みにしてる程度だからなぁ。他人に自慢なんてできないよ。
リュウが申し訳なさそうにペコペコ謝る。小さい頭が上下に動くたびに「いや、事実その通りだし」と認めて宥めつつ、カチくんの小さい頭をジロリと睨んだ。
……ぐぬぬ、正論だけど、なんか悔しい……。
いずれ見返してやると心に決める。とまれ、僕がなんの神様になるかを真面目に考えた。
諸々の条件を考えると、最初はどの神を名乗っても良さそうだと思った。
僕はアリや小さい生き物の観察が好きだから、色んな種類の昆虫を飼育したことがある。カマキリ、アゲハチョウ、カブトムシ、キリギリス、スズムシ。
しかし、最終的に落ち着いたのはアリの観察だった。何といっても一番面白いからだ。
巣の条件だけ整え、あとは一切手出しをしないのが観察者としては正解なのだと思う。これは先程の神様の分類でいうと、善神セルバンディアということになるだろう。最もアリの生態を観察しやすく、僕も基本は手出し無用の精神で観察をしている。
しかし何もしない観察というは、観察結果が予想出来てしまうため、正直つまらないのだ。だから色々手出しをしている。
例えば他の昆虫を生きたままアリの巣に入れ、その食事風景を観察することもあった。また、わざと水をいれて水浸しにし、どうやって巣穴を復興させるのかの経過観察を見たこともある。酷いところでは、殺虫効果のある様々な種類の餌を用意して、どの毒餌がどういう風に効果を表すか比較したこともある。
これは、言ってしまえば人神、悪神、魔神の行為と同じだ。観察者は確かに、そのまま神の如き影響を与えることができてしまう。
僕の巨大ガラスケースの中は、どういう理屈かわからないが別の世界に通じてしまっているようだった。どんな昆虫とも違う、初めて見るミニ人間たちが住まう世界で、しかも下手に関係を持ったらどういう影響があるかわからない。
だからこそ最も適切な観察方法は、善神のように最低限の協力だけやってあとは放置することなのだろう。だが、僕の答えは違った。
うん、僕は人神サーティスの仲間ってことにしておいてくれない?
「人神サーティスですか? そうですね、それが一番似合ってると思います。これからよろしくお願いしますね」
リュウは二つ返事で頷くと、それは良いと納得してくれた。
もうすでに僕の存在はミニ人間たちに認知されてしまっている。今更隠れるのもおかしい話だし、それに僕が見放したらせっかく仲良くなったリュウたちとの関係が切れてしまう。それが嫌だった。
ミニ人間たちに存在を知られているからと言って、どうせ彼らにとって年に1回しか関わりない存在なんだ。だったらドーンと積極的に影響してしまっても問題ないだろう、そう思ったのだ。
それに、僕は神ではなく人だ。ごく普通の、どこにでもいる一般人である。だから神みたいな人、ということで人神というネーミングにすごく親近感を覚えたのだ。
僕は今日から人神様だ。
本当はただの人間なんだけどね、と言って軽く笑いをとる。リュウも「そうですね」と小さく笑ってくれた。その笑顔を見て、僕はちょっと目をそらした。
カチくんはずっと憮然とした表情をしていた。
なんか日刊ランキングの下の方に一瞬だけ載ったみたい……ありがとうございます! これからも頑張ります!