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今日がとても楽しみだった。昨日は本当はやらなければいけないことがあったのにやらなかった。私は何が欲しいんだろう。きっと時間が欲しい。考える時間、悩む時間、自分と向き直る時間、与えられたとしてもそれは苦しくて仕方がなくてきっと何かに逃げてしまう気がする。けれども私は時間が欲しい。
きっと今日友人に会ったら泣き出してしまう気がする。いつもそうだ、誰かと会うと悲しくなる。母に話しかけられても悲しくなる。心配させまいと泣かないようにしているのに涙が出る。父に話しかけられるたびに無感情になる。そして父が去って行ったあとに言葉の意味をようやく理解して悲しくなる。
父と母に伝える言葉がちぐはぐだ。嘘をついている。色んな嘘をついている。行ってもいないこと、やりもしていない「普通」をまるでやったかのように語って食事の席を立つ。いつもそうだ、いつもそんな生活を送っている。どうすればいいかわからない。
きっとこういうことはもっと別の媒体を使って書くべきなのだろうけど私はここに書いている。なぜかはわからない。少しばかりなじみのある、文字制限も1万字以上で書け、なおかつ日記のように書き連ねることができてネットにあげられる場所がここぐらいしか思いつかなかったからだと思う。
小説を書くのは好きだ。ゲームをするのも好きだ。勉強は別に好きじゃないけど嫌いじゃない。でも今やれるかと言われたらできる気がしない。新しいものを取り込む力がない。
食事が美味しくない。昨日久しぶりにラム肉を食べた。北海道で食べたジンギスカンと同じ味だと思った。それを美味しいと思ったかどうかがわからない。もう忘れてしまった。
寒くて仕方がない。手がかじかむ。動きたくない。それでも布団の中にくるまり続けるのはどうしても嫌だ。なぜかはわからない。きっと寝ていれば起きろと誰かがやって来るから。それが怖くて仕方がない。誰も来ないでほっといて。
数日前から家事をしなくなった。家に長い時間いるようになってから全くと言っていいほど家事をしていない。一昨日は母がやって行ったらしい。昨日はふと洗濯機を見たら干されていない洗濯物が洗濯機の周りにこびり付いていた。やってしまったと思った。
母に外へ連れ出されることになった。月曜日に約束を取り付けてしまった。もう後戻りできない。怖い。嫌だ。外に出たくない、このままでいたい。物語を終わらせたい。
部屋を片付けろと言われた。旅の時は毎日整備していた愛車にかけたカバーはうっすら埃をかぶっている。風呂に入れと言われるようになった。1週間ぐらい入らない日が続いたことがある。汚いと言われた。汚いかもしれないけれども入る気がしない。でも最近はちゃんと入っている。指先を温めるために。でも寒くて仕方がない。
物語のことばかりを考えている。彼らを助ける術が思いつかない。どうすればいいのかわからない。誰か助けてと言っても私の物語なのだから私以外が助けられるわけがない。どうしていいかわからない。でも物語のことを考えている間だけはなんだか安心しているられる。現実は私を追い詰める緩やかなアイアンメイデンに思えてくる。私は狂った代償として「異常」を排除しようとする「普通」に殺され始めている。いっそのこと、この鋼鉄の処女から抜け出したい。そうすれば楽になる。
ある人が言っていた。死にたいと思う人は死ぬことしか頭にないということ。死とは生と1つの対であり生なしに存在しえない現象である。にもかかわらず、一方の生を考えなくとも、一方の死のみだけで頭がいっぱいになるほどに死という現象に執着するのだという。全く理解できない。
残っている薬は元から少ない。あと1週間耐えなければいけないらしい。昨日思わず調べてしまったのだが、精神安定剤とはどうやら洗脳などにも使われるものだという。それらは少なからず人体、およびその人の行動原理にも異常をきたすと言われているらしい。これがどこまで本当なのか私にはわからない。けれどもそうだとしたら私は6年前に一度壊たことになる。
あの物語に出てくる人々はもしかしたらバラバラになった私なのだろう。彼らは私と同じ考え方で全く違うことを考えている。でも根本は同じことを考えている。彼らが私なら彼らが持つ根本的な考え方は私と同じだと言える。私はきっと生きていたいと願っているはずだ。そう思っても実感が湧かない。彼らの気持ちにリンクして私は物語を書きながら涙して、彼らの動作1つひとつを真似て笑う。ディスプレイの向こうで一生懸命生きる彼らをたった一人の劇場で傍観しているような感覚だ。これが今の私だ。話しかけられればその劇場がどんなにいいシーンであったとしても止まってしまう。私は肩を震わせて振り返る。怒られる、そう思うと舞台を描き出していたワードを閉じてそちらに向き直る。そんな日ばかりを過ごしている。誰でもいいから助けてはくれないだろうか?何を言っているのか自分でもわからないけどとにかく助けてと言いたいらしい。グチャグチャの頭でもそう言うことだけは明瞭に理解する。物語の人々は言う。生きてさえいられりゃそれでいい。彼らを助ける術が見つからない。
今思ったが、この文章を書きはじめてからどれぐらい時間が経っただろう?起きたのが確か7時過ぎ、寝巻とも部屋着とも普段着とも取れない服を着たまま今は生きている。寒すぎて着替える気すら起きない。暖房をつける気も起きない。その機械音が嫌なのだ。家の外から工事の音がする。暴走族が走る音がする。それだって時々苛立つけれども、ただひたすらの静寂も怖い。パソコンを打つ手を止められない。音がないと怖い。なんでもいいから音が欲しいのに私を安心させようとするかのような暖房の音は嫌いだ。わがままだ、どうしていいかわからない。
今何をしたいのかわからない。誰かと会いたいのかもしれない。そうだ今日は友達と会う日だから着替えなければいけない。身支度を整えなくてはいけない。薬を先に飲んでおかなければいけない。「普通」の人を演じなければいけない。どうすればいいかわからない。今のいつもどおりの私を見せてしまえばその人が何と言うかが怖い。どうしていいかわからない。今日はそうだ、カラオケに行くつもりなんだ。歌うのは好きだ。苦手でもない。音楽の授業程度でならなんどか褒められたことがある。小田原で出会ったおばさんから歌を褒められたことがある。今でこそ人と話してスラいない私だ、ちゃんと声が出るかわからないけど歌だけなら普段通りを演じることができるはずだと思う。そう信じられなければやって行けない気がする。
友人も歌がうまい。友人の歌を聞いて歌うようになった曲も多い。彼女の歌う曲は私の知っている曲と結構被る。彼女が何を考えているのか私にはわからないけれども私のことを好いていると他の誰かに話したことがあるらしい。それをどう取っていいかわからなかった数年前の自分がいる。その彼女と1対1で話をしなければいけないのはある意味恐怖だ。昔はそんなことなかったのに。
彼女は旅の思い出を聞いてくれるだろう。今の状況も理解してくれるだろう。そして彼女は私のことを心配してくれているだろう。話を聞けばさらに心配してくれるだろう。そして大丈夫?と声をかけてくれるだろう。それが苦しくて仕方がない。申し訳なくて仕方がない。どうしていいかわからない。
物語に出てくる人物にユウリという女性がいる。彼女は私とさして変わらない年齢だったと思う。彼女の境遇は私とは全然違う。私よりよっぽど頭がいいだろうし、私よりよっぽど優しいだろうし、私よりよっぽど普通の人だが私よりよっぽど強い人だ。私は彼女にはなんとなく好意を持っている。友達に似ているわけでもない。彼女は彼女なりに必死になって生きている。戦い続けている。私はどうだろう。戦ってもいない、ただ時間を浪費し続けている。カナと一緒だ。これも物語の登場人物だ。だんだんと私のことを書いているのか物語のことを書いているのかわからなくなってきた。そのうち公開しようと思えたら公開しよう。でもきっと狂気で酔狂で狂っている物語だ。支離滅裂だ。現実に沿って作られていない仮想空間で行われる知りもしない戦闘の話をしている。人間はあんなに強くない。私はそう思っている。でも、もしかしたら、強いのかもしれない。規格外に強い人々が世の中には存在するのかもしれない。あれは私が作り上げたどこにでもありそうなSFだ。平凡な月並みなどうしようもなくくだらない文字の羅列だ。
彼らの感情がわからなくなってきた。彼らは一人の人間として独立し始めた。そうなれば私の手には負えなくなる。そうすれば私の物語を私が描き出すことができなくなる。どうにか彼らの共通点を探して必死になって文字を連ねている。タイピング音を止めないように必死になって書いて消して書いて消してを繰り返してようやく音で生きている。
ご飯がおいしくない。母が朝食を作ったらしい。父が呼びに来た。怖い。もう行かなければ怒られる。怖い。行きたくない。今昨日食べて遺したおにぎりをむさぼっている。なのに朝食に来いと言われる。命令されたら逆らえない。言葉に逆らう術は無い。嫌だ、まだ物語が終わってない。けれども行かなければいけない。1人になりたい。でも、一人暮らしもダメと怒られた。
逃げ出そうか。でも勇気もない。もう行かなければ。