本の話
家族の影響もあって本が好きだった。もうあまり読まないけれども、小説なら未だに書くことがある。人に読ませられるような小説なんて書けやしないけど、世界設定や裏設定などを考えるのが好きで、絵は描けなくても文字なら書けるということから始まった小説は世界観が凝りすぎて自分でも訳の分からないものがよくできあがっている。
しかも私の場合、単調に同じ場面を書き続けることができない。気付くと話が流れて行ってしまって最初に書き始めたところからずっと流されたところを書いてしまうから脈絡がないというか魑魅魍魎と言うか、話を理解していないと理解できそうにない、つまり伝わらない文章を書いていることが多い。だから人にはあまり見せない。
但し私は自己顕示欲の塊なのでおだてられるとどうにか見てくれだけでも形にしようとするもんだから始末が悪い。ただ、金に関しては結構押しとどめられる方だと思っている。最近は3000円あれば外泊できるという概念に縛られて高い買い物ができなくなった。セールスにいくらおだてられても金を出さないところはまだ社会不適応者に成り下がっていない証拠だと思っていたい。
話はどうやら小説から始まっていたらしい。小説に戻ろう。私は想像力の乏しい人間だし、発想力もそこまで広げられるほどに豊かな感性を持ち得ているわけではない。そのため月並みの言葉を月並み程度に面白くして月並みの小説しか書けない。今書いている文章を見ればわかると思うが、そんなボキャブラリーが多いわけでもないし面白い話がかけるわけでもない。面白くない話を言い方を変えて面白くするなんてこともできない。けれども表現したいものがあるから必死になって文を書いて、少しでも面白くしようと努力する。残念ながら今書いている文章は面白くするために書いているわけではなくてほとんどが自分のため、ちょっとばかしはこれを読んだ人に何か残すために書いているので面白くなどないだろうが。
小学生のころは子供向けの本を読んでいた。探偵もの、冒険もの、SF、ファンタジー、日常系。最初こそは自分の読みたいものを読んでいた。それこそファンタジーの世界で主人公が冒険するような物語は大好きだった。ちなみに、ゲームも好きだ。ゲームも同様、剣と魔法が織りなすファンタジー世界を主人公として歩きまわり、魔王を倒すなんて話や架空のモンスターを引き連れて各地を巡る話なんかには熱を上げていた。その他にも色々やっていたが、ゲームの話は置いておこう。小説はそんな感じで読んでいた。
外遊びはむしろ嫌いだった。運動が苦手だったわけではないと思う。けど、外で遊ぶ楽しさがわからなかった。価値がないと思ってしまったのが一番に来る。外を走り回る、校庭を走り回る、何の楽しさがあるのかさっぱり理解できなかった。鬼ごっこなど大嫌いだった。私は純粋に怖かった。臆病だった。今も大して変わっていないが。後ろから誰かが追いかけてくる圧迫感に潰されそうだったから。捕まったってなんの怖いものがない。ただ、後ろから誰かが追いかけてくるということが怖かった。自分より体力のある誰かが自分を捕まえるために全力を持って追いかけてくる。頼れるのは己の体力と足の速さだけ。別に足が遅いわけではなかったと思う。体力が人よりなかったわけでもないはず。だから生存率は高かった気がする。でも嫌いだった。
今思えば、あれが怖かったのかもしれない。休み時間のチャイムが鳴って、一斉に教室に戻る時に「鬼が来たぞー」「逃げろー」と友人たちが全力で逃げていくのが。もう終わっているのに、と泣きそうになったような気がする。忘れた。泣きそうになってなどいなかったかもしれない。怒ったかもしれない。とにかく、その言葉を覚えているということは何かしらの感情を同時に覚えたということだと思う。そうやって去って行った友人たちが放課後になっても「お前が鬼だから」と言ってきて一緒に帰ってくれなかったとか、もう友達でいられないのではないか、というどうしようもない杞憂に苛まれて身動きが取れなくなるのが。理由は「鬼ごっこの最後の鬼だから」。鬼は人じゃない、人と違う存在に自分がなってしまったという恐怖をただの小学生の遊びの言葉で真に受けてしまうほど気持ちの沈みやすい人間だったのかもしれない。だとしたら、今も変わっていない。
当時から物事を考えることは多かったと思う。今ほどだったかは忘れた。多分今ほど酷くはなかったと思う。私が小学生の頃であると、外で遊ぶとなればドッジボールか鬼ごっこと相場が決まっていた。時々趣向を凝らしてドロケーやらかくれんぼなんかやっていたけれども、かくれんぼはそもそも隠れられる場所がほとんどなかったからほとんど隠れ鬼のルールを適用してやっていた。だから嫌いだった。ドロケーも泥棒役は嫌いだった。ドッジボールも内野は嫌い。ずっと外野で使えない人間として立っていた。ちなみに、ドッジボールも人並み程度には避けられたと思った。あまり当たった記憶がない。そもそもやってないだけかもしれないが。
そんなこんなで、外遊びは嫌いだった。一輪車やら竹馬やらもあった気がするけど、一輪車はほとんど使われていてできなかったし、竹馬は出すのが大変だった覚えがある。だから一人で遊べる外遊びも無くて結局室内で本を読むのが日課となっていた。
友達は少なかった。今ですら数えるほどしかいない。小学生の頃など、まともに話している友人が何人いただろう。いい思い出がない。人と違うと人はその人とは違うと一線置きたくなる生き物らしい。私はその対象だった。だから口を開いても喜んでくれる人などあまりいなかった。
活字を追うのが好きだったのかもしれない。私は本を読んでいたというよりは文字を追っていたと言った方が正しかったかもしれない。もちろん好きな種別ばかり読んでいたわけだが、知らない文字があれば辞書を引いたような覚えがあるし、想像を掻き立てられるような表現を読めばその光景を目の前に映して楽しんだ。空飛ぶ船から手紙をばらまきながら夕陽に向けて出港する、そんな「好きだ」と思える表現は何度か読み直してはうっとりしていた。そんな小学生だった。
仲が良かったといえば図書館司書の先生が週に1度いらっしゃっていた。「将来先生のように本に埋もれて仕事したい」などと言った時に「司書って儲からないしやめた方がいいよ」と言われたのはよく覚えている。小学生の頃は図書室で本を借りることが特に多かったので、いらっしゃる度に話しかけてはおすすめの本を聞いてみたり、こんな本を探している、という要望によく答えていただいていた。いい先生だった。
家族の影響が強くて本を読み始めた、と冒頭で書いた気がする。だから家族から本を借りることもあった。家族から借りる本はダークファンタジーもあった。司書さんからは詩集を薦められた覚えがある。その詩人の詩が気に入って、別の本を借りに行った時「この本いいよねぇ」と言われた時は嬉しかった。その本は時期を空けて2回ぐらい借りた気がする。あと、家族の友人にも本が好きな人がいた。その人は学校の先生をやっていたそうなので私も先生と呼んでいたのだが、この人に「本を読みたい」と言ったら小学生に読ませるにはあまりに残酷な話を紹介されて、それを司書さんに言ったら「誰からそんな本を読めと言われた」と散々に貸し出しを渋られた覚えがある。それも読み切った。ハッピーエンドだったからよかったものの、あれでバッドエンドだったらかなり後味悪かっただろうなと今でも思う。
本から離れ始めたのは高校受験からだった。受験するにあたって本を読んでいる場合でなくなったから。本を読む時間は参考書を見る時間に代わり、小説を書く時間は勉強時間に変わった。受験が終わった頃、そうやって変化した時間はゲームをする時間へと姿を変えて、今ではほとんど本を読む時間を設けてなどいない。必要なときに必要な文章を読んでいる程度、暇なときに「小説を読もう」や「カクヨム」なんかの文章を追っていることがある程度だ。
時間の使い方、これは結構変わったと思う。小学生の頃は学校では本を読んで気になって仕方のない本は家で続きを読んで。ゲームもよくやっていた。中学生になって本から離れ始めて、勉強する時間が増えた。それでもゲームは矢っていた覚えがあるが。そうして、本から離れてゲームばかりするようになって、最近はゲームすることも減った。一体何をしているんだろう?考えても思い出せないが、ここ数日前までは何もせずただ天井を見上げていることが多かった。今になってようやく外に出て歩くようになった。思考が煩くてまとまらないけど、きっとそうだ。私は時間を無で潰している。少し本でも読んでみようかと思ってみる。一体何を読もうか?でも、今、決して乗り気になったわけではないからきっと読まないだろうな。
せいぜい垂れ流した思考の断片から出来上がったできそこないの小説を文章にして喜ぶぐらいしか文字に触れる気は起きそうにない。