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For ME  作者:   
4/10

旅の話

 人は考えるのをやめることができない生き物なのではないだろうか、と思ってみた。例えば階段を上っている最中に聞こえてくる自分の足音に意識が研ぎ澄まされていく。そして「今自分は階段を上っている」という事実に対して「階段を上り切ろう」という思考がやってきて、「今1段上がった」「今1段上がった」と認識を繰り返して目的を忘れないために「階段を上り切ろう」と思考し続けるのであれば、結構私は「普通」じゃないかなと思う。

 そんなことはどうでもよくなった。数か月前まで私は1人で日本を回っていた。価値観が総崩れして、世の中がどうでもよくなった原因となった旅だ。これが悪い旅だったのかと聞かれたら滅相もない。とても楽しかった。その間、私は思考することとある意味無縁だったと思っている。

 私は旅している最中は生きるのに必死だったと思う。金銭の計算をし、一日で行ける距離を測り、目的となる距離を達成するために知らない道を延々と進んだ。自転車初心者のくせに自転車で旅したもんだからいつ足を壊すかと思って念入りに湿布の準備をしたけれども、結局半分も使わなかったのは驚いた。まぁ無理のない計画を立てられていたのだと思えばいいことだと思う。

 私の旅を長々話すのは別の機会にしよう。別枠で小説にもならない小説を書いてよみたければどうぞ、としておこう。

 ただ旅先で出会った人々については書かねばいけないだろう。彼らは幸せそうだったと言う話はしただろうか?した気がするがイマイチ覚えていないからとりあえず話しておこう。学歴があれば幸せに生きて行けると言われて生きてきた私だったが、旅先で出会った人々は学歴がなくても幸せに生きていてショックを受けたという話だ。私は「幸せ」に見放された気分になって勝手に1人で落ち込んで行った。やっぱり書いた気がする。同じような言葉を使って。

 私が悩んだのは今までの生き方が正しいかったかどうかだ。人生に正しいとか間違いとかあるはずないのに私はそうやって悶々と考えていた。そして今でも悩んでいる。けれども、薬のせいかな、前よりこの悩みはどうでもいいと思えている。

 今日になってようやく友人たちと話すのも気兼ねなくできるようになった。立ち直りが早くていい傾向だと思う。ただその前に、いつか私がまた「狂っ」た時のために今回のことを書き終えておかなければいけないわけだが。

 人間とは本当にあやふやな生き物だな、と思う。私だけかもしれないけど。今回、私は私のことを「書く」と目標付けしたにもかかわらず、なぜ書き始めたのかという理由も経過も何一つとして実はまともに覚えていない。とりあえず思ったことを書くためにこの文章が開かれていることだけは覚えている。だから以前、確か昨日あたりに、全く別のことを理由に挙げて書いたかもしれないけれども、今私が筆を執っている理由は今の理由であるということ。昨日と違うかもしれないけれどももはやどうでもいいということだ。この適当さかげんよ。

 人の記憶はどうでもいいと思ったことは忘れるらしい。私は人の名前と顔は1ヵ月ぐらい見まくったり呼びまくったりしない限り覚えないのだが、きっと私にとって人の名前やら顔やらはクソほどにどうでもいいことだと認識されているということだろう。逆に、こういったちょっとした小話は意外と覚えていることが多い。こういうのはどうでもよくないこととして認識されているのなら、間違いなく人の顔を覚えている方が社会的に利便性高いから認識よ変わってくれと言いたくなる。変わってくれないから苦労しているのだけれども。

 けれども旅中に出会った人々のことは結構顔を覚えていると思っている。顔を覚えてなくても声やもらった言葉は忘れていない。初日に止まったゲストハウスのご夫婦、未来予知だかなんだか忘れたけど、それで世界的にも有名な師匠さんを持つというおばあさん、朝早くから美味しい蒲鉾を売ってくれたおじいさん、箱根の道で諦めそうになった時に声をかけてくれた登山の団体さん、芦ノ湖のほとりで暇そうに海賊船を見ていた女性は話しすらしていないのになぜか覚えている、近くに寄るついでに久しぶりに会った友人たち、「秋になったら北海道に行く」と楽しそうに話してくれた無精ひげの男性、弱気になった私の話を聞いてくれたゲストハウスの女主人さんは二胡の生演奏を聞かせてくれたのはいい思い出だ、台風が近づく桜島でナビゲートをしてくれた国土交通省のおじさんは感謝してもしきれない、自転車の整備中になぜか性的な話をしてきたおじさんはインパクトが強くてよく覚えている、北海道ではチェックイン前に飲み過ぎてゲストハウスの主人さんにやけに怒られたっけ、地震で停電になっても楽しそうにパーティをやっていたゲストハウスの人たちはどうしているだろうか、別のゲストハウスで出会った外人さんたちは今頃自国に帰ってそれぞれの仕事でもしているのかな、なんて。意外と覚えている顔は多いもんだ。いつからこんなに記憶力が良くなったのだろうと思うのだが、別によくなってないしむしろここ最近は悪化している。昨日の夕飯すら思い出せない。

 というか、ここ最近本当に何もやっていない。覚えておくべきことが何もない。部屋が汚くて死にそうだ。空気が汚れている。換気しなければ。

 よく思い出す景色は森の中だ。どこだったか、青森か、栃木か、そのあたり。トンネルを通ろうとしたんだ。けれども車しか通っちゃダメで、自転車は回り道しなきゃいけなくて。体が重くてずるずると上った記憶がある。時間が足りないと慌てながら、それでも動かない体に鞭打って自転車を押して歩いた記憶がある。あの景色が好きだった。でも、あの景色はなんだか嫌いだ。空が曇ってたから。寒かったから。

 夜に靄の中を走ったのも覚えている。怖くて死にそうな思いで走った記憶がある。真っ暗の道を簡易ライトで照らして走った。車が時々行きかって、そのたびに安堵と恐怖に苛まれた。どうか轢かないでくれと何度思ったか。

 昼間の道の駅は好きだ。色々な物が安く買えることが多い。特に果物や食材、自炊していた私からすると肉は腐るし高いのでまず買わなかった。そのため嫌でもメインになるのが野菜類で、特に日持ちする根菜類は重宝した。果物は休憩に丸々1つ食べることが多かった。傷物、規格外、訳あり品。リンゴ4つで200円とか、150円とかを買っておいて休憩がてらに朝食代わりによく食べていた。そういった休憩には自転車を停められてトイレもあって涼んだり暖を取ったりできる道の駅をよく利用していた。青い空の下、木造新築の臭いがする道の駅は一体どこだったか、もう覚えていない。

 田舎道は道を気にすることなく走れて好きだ。ダラダラ走るだけで目的地に着くのは本当に気が楽で、無駄に思考が飽和することもなく過ごせたから走るたびに上機嫌になれた。あまりに人に会わないと刺激がなさ過ぎて、でも考える必要もないからと思いついた歌を歌いながら走ったのは楽しくて仕方がなかった。逆に、都会は嫌いだ。道が複雑すぎて訳が分からない。太陽の方角と方位磁針を片手に抜けて行った。

 反対に、街灯のない田舎道は大嫌いだ。暗い、怖い、何が出てくるかわからない恐怖に押しつぶされそうになりながら走った。では何が怖いのか、と自問自答して出した答えは人が怖い、だった。先行きの見えない道の先に突然誰かが現れたら怖い。それ程度の恐怖だと言い聞かせて見たものの、怖さが軽減することはなかった。嵐で海が大荒れなのに走った海岸沿いの街灯のない夜道は宮崎だったか。あれは二度と経験したくないものだ。

 こうやって書いていると、わくわくしてくる。旅は好きだ。どこへ向かう、という目的だけを考えていればいい。思考が勝手に流れて行っても誰も困らないし私も苦労しなくて済む。何か忘れてしまっても些細なことだと思える。そうやって気楽に考えた方が物忘れは減るのだろうか?そうだとしたら、今も今までも私は堅苦しく考えすぎだということだろうか?また旅にしたくなってきた。そんな遠くないのではないだろうか、私が正常に戻るまで。

 

 

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